世界的心理学者ラム・ダスが考える「死を受け入れること」
元ハーバード大学心理学部教授、臨床心理学者で、アメリカの精神的指導者のラム・ダスが新著で「死を潔く受け入れる方法」について書いている。ここでは、ラム・ダスによる「死」に関する言葉を紹介する。
元ハーバード大学心理学部教授、臨床心理学者で、アメリカの精神的指導者のラム・ダスが、新たな共著『Walking Each Other Home』のなかで死を潔く受け入れる方法を指南している。
以下は、ラム・ダスとミラバイ・ブッシュの共著『Walking Each Other Home: Conversations on Loving and Dying (互いに歩いて家に帰ろう:愛と死に関する会話 (仮))』からの抜粋である。
私は精神的指導者と仰いでいるラム・ダスに会うためにウェスターン・マサチューセッツからマウイに向かっている。デルタ航空の窮屈な座席で、クッキーをつまみながら、詩人であり哲学者でもあるジョン・オドノフエの本を読んでいる。ジョンは数年前に他界してしまった友人だ。そこには、死に目を向けると、今ここに存在していて「危険なまでに自由である」という信じがたい奇跡を思い出すことができると書かれている。
私は死について執筆する旅に乗り出したが、困難な道のりになるだろうと思っている。死は生のあらゆる面に関係しているため、死について書くにしてもどの道を取るべきなのか、どんな話を語るべきなのか、どんな問題を問うべきなのか… 私たちが問題を問うことによって何らかの道が開かれて深まるようになり、死と向き合えば人生が有益かつ驚くべき方法で変わることが理解されるようになってほしいと思う。
私は今自問している。「私たちはこの危険なまでに自由な生の真っ只中にあって、ほんとうのところ死について何を知っているのだろうか」。私にはわからない。ただ、ラム・ダスと同じテーブルに着けば多くのことを学べるのは確かだ。
マウイには夜遅く到着した。ラム・ダスは太平洋を見渡す丘の上に建つ広々とした家で暮らしている。そこにはラム・ダスの介護人たちも住んでいるし、古くからの友人たちもよく訪れては滞在していく。間仕切りがない設計でエレベータもあるため、ラム・ダスが車椅子で移動しやすくなっている。ハイビスカス、ジンジャー、プロテア、極楽鳥花... 絶えず生花があって、猫たちが居眠りをしている家だ。皆が寝静まっていたので、私は到着するとベッドに直行した。うとうとしていると、天井のファンの静かな音が聞こえてきた。窓からは貿易風が入ってきて、ハヌマーンとガネーシャが描かれた、ろうけつ染めのタペストリーが波打っていた。
翌朝、数カ月ぶりにラム・ダスとの再会を果たすと、心の故郷に帰った思いがした。ラム・ダスは朝食の食卓に着くと、車椅子から私を見た。長年慣れ親しんだあの目で私を見た。私はその目に吸い込まれ、全身が一瞬で幸福感に包まれた。私たちは抱擁を交わした。そしてさらに深く抱擁しあった。喜びに満ちあふれる。そう、そうだ、これだ。
ラム・ダスは卵とトーストを食べながら、私の夫のE.J.のこと、自らの名付け子のこと、私の息子オーウェンと孫娘ダリラのことを聞いてきた。ダリラは誕生した直後にラム・ダスに祝福してもらっている。私は「皆元気です。私の腰は相変わらず調子が悪いけれど」と答えて、ダリラに言われた一言も付け加えた。「おばあちゃんは老人ではないわ。壊れて直せなくなったら老人よ」
ラム・ダスは笑い、ビタミン剤と薬を飲み下しながら「私たちは老人ではないんじゃないかな。まだ修理可能だからね」と言った。
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