なぜアジャストされたいの?ヨガの生徒としての在り方を考える

 なぜアジャストされたいの?ヨガの生徒としての在り方を考える
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「誰かに何が正解なのかを示してほしい」

残念ながらヨガやメディテーションの先生はその答えをくれません。ヨガやメディテーションの練習は「答えを自分で見つけるため」のツールなのです。
考えるのってエネルギーがいる。思考を停止して誰かに全部やってもらうのは本当にラクです。正直、私もやってもらいたい。でも誰かから一方的に与えられた答えは、自分を本当に苦しみから解放してくれるのでしょうか?

白馬に乗った王子様は来てくれない

かくいう私も長い間、なにかイヤなことや苦しいことがあると悲劇のヒロインになることで自分をごまかしていました。悲劇のヒロインでいるのって、なぜか気持ちがいい。私は自分の外側に助けを求めることでその場をしのぐ、ということを繰り返していました。でも私、気づいたんです。どんなに待とうと、どんなに悲劇をアピールしようと、残念ながら誰も助けになんて来てくれないのだと!(笑)
たまに麻酔を持って目の前に現れてくれる王子様まがいな人(もの)がいます。ヨガと言う麻酔、お酒と言う麻酔、食べ物と言う麻酔、タバコと言う麻酔、恋人と言う名の麻酔。みんな一時的に効果はあるし、それが意外と、とても大きな効果をもたらすこともある。それがきっかけで鋭気を養い、また頑張れる、という構図は最高にいい。でも残念ながら麻酔って切れるんです。そうしたらまた麻酔が欲しくなる。だから頑張って手に入れる。でもまた切れる。だからまた麻酔を探す…もうこのルーティーン、いやになります(笑)
麻酔は、自分のかかえる問題の本当の解決にはなりません。

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