「家父長制」から「家女長制」へ?家族コンテンツの形はどう変わる?

 「家父長制」から「家女長制」へ?家族コンテンツの形はどう変わる?
Adobe Stock

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

広告

日本のドラマから、ホームドラマが減ったと言われて久しい。昔はホームドラマは人気のジャンルであり、『寺内貫太郎一家』や『渡る世間は鬼ばかり』は20年以上に渡りシーズンを重ね、コンテンツとなった。近年は昔のような勢いはなく、数も減っている。

ホームドラマの衰退は、家族の形の多様化に従い、大多数の人がライドできる家族の形を提示しにくくなったことが一因にあるのだろう。

平均視聴率30%。「愛すべき」家父長制をユーモラスに描いた『寺内貫太郎一家』。

1974年から放送が開始された『寺内貫太郎一家』(向田邦子作)は、平均視聴率30%を超える大人気ホームドラマだった。メインキャラクターは父親である寺内貫太郎と、優しく美しい妻、やんちゃな息子、足が不自由で健気な娘、豪快でユニークな祖母だ。主人公の貫太郎は愛情深いけれど、何かといっては家族をぶん殴っている。貫太郎は殴ることでしか愛情を表現できない愛すべき父として描かれている。家族は全員、そんな父のことを愛し、尊敬している。『寺内貫太郎一家』の最終回は、娘、静江の結婚式で終わる。静江は、夫になる男性に、「私にいたらないことがあったら殴って下さい」と涙ながらに言うのだった。そのセリフで、静江は、貫太郎の築いたような家庭を築こうとしているのだ、と視聴者は理解する。感動の最終回である。令和にこの記事を読んでいる方は「殴るのが愛情……?」と困惑するかもしれないが、そういった時代があったのだ。

寺内貫太郎一家は、家父長制(家族の長である父か長男が絶対的な支配権を持つ制度)を体現した一家であり、家父長制が当然視されていた時代だからこそ、受け入れられたのだ。

義母と嫁の「あるある」を楽しむ『渡る世間は鬼ばかり』

『寺内貫太郎一家』の放送開始から16年後、『渡る世間は鬼ばかり』(橋田壽賀子作・通称『渡鬼』)の放送が開始し、30年にも渡る長寿ドラマとなった。『渡鬼』は、食事処を営む岡倉大吉の四人の娘たちの日常を描いたホームドラマだ。メインでフォーカスされるのは、次女のサツキとサツキを嫁いびりする姑のキミだ。サツキは長男と結婚したが為に同居を与儀なくされ、キミにいびり倒される。姑の愚痴を夫にいっても「お前がしっかりしないからだろ」などと言われ、誰も気持ちをわかってくれない。『渡鬼』の名物、嫁姑の確執は、視聴者に「あるある」として受け入れられ、人気を博したのだ。

サツキ一家も、家父長制を体現した家族だった。長男の「嫁」は、家族のために働き、姑にいびられても耐えるしかなかったのだ。『寺内貫太郎一家』や『渡鬼』のような、家父長制ど真ん中のホームドラマは、近年減少傾向にある。しかし、家父長制コンテンツは未だに大人気だ。

長男だからできた!と真顔で語る『鬼滅の刃』

漫画『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴作)は、累計発行部数1億5千万部を記録する大人気コンテンツだ。本作の主人公、炭治郎は心優しい少年で、家族を殺され、妹を鬼にされてしまったことをきっかけに鬼たちとの闘いに身を投じる。炭治郎が戦うのは「鬼にされてしまった妹を人間に戻すため」だ。本作はホームドラマではないが、炭治郎のメンタリティーは家父長制のそれである。象徴的なのは、戦いのさなかの有名なモノローグだ。

「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」。炭治郎は、長男だからこそ、強くあらねばならず、家族を守らなければならないと考えている。まさしく、家父長制だ。

『鬼滅の刃』が描く、「家族の長である強い男」というファンタジーは、実写で描かれることが少なくなっているからこそ、熱狂的に支持されたのかもしれない。炭治郎が女だったら、ここまで支持されることはなかっただろう。家父長ならぬ、家女長は、多くの日本人にとってなじみがなく、親しみやノスタルジーを感じられるものではなからだ。

しかし、これまで描かれなかったからこそ、別の家族の形を描いてみたいという人もいる。

『家女長の時代』。家父長制と違い、家事に給料が支払われる

作家のイ・スラによる小説『29歳、今日から私が家長です』は、韓国でドラマ化が決定した話題作だ。主人公の20代女性スラは、出版社を経営する作家で、父ウンイと母ボキを社員として雇っている。スラが家長になるまでは、家族の長は、祖父だった。ボキは、祖父が家長だったときも、スラが家長だったときも、ご飯をつくったり、家族の世話をしたりと、していることは変わらない。変わったのは、その無償労働が労働だと認められ、賃金が支払われるようになったことだ。

興味深いのは、本作が、著者イ・スラの実体験をベースにして書かれているということだ。実際イ・スラは出版社を経営し、両親を雇っている。イ・スラは本書を執筆した動機について以下のように述べている。

”家族の世話と家事を無償で提供していた母たちの時代が去り、愛と暴力を区別できなかった父たちの時代が去り、権威を握ったことのない娘たちの時代も去って、新しい時代がやってくることを願って書いた物語です。(略)こんな物語をテレビで見たいと思って書きました”

家父長制のコンテンツに比べて、家女長制のコンテンツはとても少ない。本作のドラマ化は、多様な家族のあり方を示す、新時代のホームドラマのひとつになりそうだ。

「家族」を描くコンテンツはどう変わる? 法が変われば、社会も変わる

上記のドラマは、韓国で放送されるものだが、日本でも今後、家父長制一辺倒ではない、多様な家族を描いたホームドラマが作られていくだろう。価値観が多様化しているいま、視聴率が30%を超えるような、大衆に支持されるドラマは作れないし、作る必要もない。

2024年3月、札幌高裁にて、同性婚認めないのは憲法違反だと判断された。2審での違憲判断は、日本の歴史上始めてのことだ。同性婚実現の追い風は吹いている。遅かれ早かれ、実現するだろう。そうなると、ホームドラマのバラエティもぐっと広がるはずだ。これまで見たことのないホームドラマが作られる日が、楽しみでならない。

広告

AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



RELATED関連記事