「大吉原展」開催。遊郭。遊女。遊興店……「遊び」という言葉が巧妙に隠してきたものとは何か

 「大吉原展」開催。遊郭。遊女。遊興店……「遊び」という言葉が巧妙に隠してきたものとは何か
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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2024年3月26日より、東京藝術大学大学美術館にて「大吉原展」が開催されているが、2月に「大吉原展」の開催が告知されるや否や、まだ開催されていないにも関わらず、大きな批判が巻き起こった。

「大吉原展」のHPでは、「桜満開の上野に江戸吉原の美が集結!」と謳い、吉原を「洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなす」場所だとし、まるでそこで人身売買がなされていなかったかのようなキラキラ粉飾がなされていた。

吉原は、男性がお金で女性を買う場所だ。借金のかたに無理やり売られた女性がいて、暴力と搾取が渦巻く空間であったことは、多くの人が知っていることだが、買春・売春・性搾取などの現実は巧妙に隠されていた。これにより、吉原の歴史を改ざんし、美化するものであるとして、非難が殺到したのだ。

非難の声を受け、主催者は声明を出した。声明では、「大吉原展」は、「吉原が生みだした文化、美術作品を通じて江戸文化を紹介する」趣旨で企画したが、「花魁を中心とした遊郭吉原は、前借金の返済にしばられ、自由意志でやめることのできない遊女たちが支えたものであり、これは人権侵害・女性虐待にほかならず、赦されない制度です。本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります」と述べている。

「大吉原展」の告知が炎上したのは、「自由意志でやめることのできない遊女たちが支えたものであり、これは人権侵害」という認識があったにも関わらず、展覧会の告知が、買われた側の苦境を透明化し、買って遊ぶ側の視点に寄ったものだったからだろう。

遊女、遊郭、遊興店。「遊び」の内実とは

そもそも、「自由意志でやめることのできない遊女たち」とは、性奴隷のことだ。遊女、というのは、遊べる女、遊ばせる女、という買う側の視点に立った言葉だ。遊女は遊んでおらず、性を売って(強制)労働している。遊女という言葉は、勝った側に都合のいいネーミングだ。

「お金のために仕方なく売られた性奴隷を買う」と、「遊女を買う」、実質同じことであっても、名前が変わると、前者は禍々しく、後者はまるで気軽で楽しい遊びのように感じられる。

女性が商品化され、買う側の視点で名付けられることは、現代でも行われている。『男たちの部屋 韓国の遊興店とホモソーシャルな欲望』(平凡社 ファン・ユナ著 森田智惠訳)では、男性を接待する「遊興店」の実態について詳しく記されている。遊興店とは、日本でいうキャバクラのように、女性性を強調したヘアスタイルやファッションをした女性が男性を接待する場所だ。キャバクラと違うのは、個室に区切られていて、そのなかで何が行われているかは、外からは見えないという点だ。

本書によると、遊興店は、性の売買だけではなく、あきらかな暴力と差別が交差する場所であるにも関わらず、興がある遊びを意味する「遊興」という言葉が、そういった現実の重みを覆い隠しているという。

「遊興店」は男性が遊ぶために女性が蔑視される空間だが、女性の経験や視点は無視され、男性の視点が優先されるため、「女性蔑視店」ではなく、「(男性のための)遊興店」と呼ばれてきたのだ。

現代でも「遊び」という言葉が、様々な暴力や蔑視を見えにくくするフィルターの役割をはたしていると言えるだろう。

実際、遊女、遊郭での遊びの内実とは、金のある男性が、金のない女性を人間ではない商品に格下げし、蔑視し、暴力をふるうことだ。それは果たして、ほんとうに「遊び」なのだろうか?

女性差別の負の歴史をふまえた展示とは?

「大吉原展」は炎上をきっかけに、「本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります」という声明を出している。

HPでは、「特典つき夜間特別開館チケット(お大尽ナイト)」が発売されていた形跡が確認できる(現在、定員につき販売終了)。このチケットでは、お大尽の視点から、花魁道中などを観ることができ、グッズなどのお土産ももらえるようだ。

お大尽側の視点にたったイベントだけでは、「決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示」にはなりえないだろう。どうせなら、遊女と呼ばれ、性奴隷となった女性側の視点も体験もする必要がある。

初めて客をとる儀式として、女性は、肌襦袢と腰巻をはぎとられ、土間に蹴落とされたという。蹴落とされた女性は、お椀の中に入れられた通称ねこめしを、手を使わずに食べなければならなかった。手を使わずに食べる女性を、性売買をする経営者は竹ぼうきで打った。これは、人間界から畜生界に身を入れたことを意味する儀式だったという。(※1)

お大尽ナイトとあわせて、性奴隷側の視点も体験できる展示をすれば、より立体的に吉原を体験できるだろう。そういった体験をしたあとに、吉原を「華やかな文化の発祥地」と呼び、性奴隷を商品として買うことを「遊び」と呼べるだろうか。

女性差別の負の歴史を踏まえた展示とは、性奴隷として人間ではない扱いをされた人々の存在を、透明化しない展示だ。「大吉原展」に期待したい。

※1
『性差の日本史』(インターナショナル新書 国立歴史民族博物館監修)

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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