「戦う魔法少女」は世界を救えなかったのだろうか?

 「戦う魔法少女」は世界を救えなかったのだろうか?
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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セーラームーンは世界を救えなかった?少女たちに与えた影響とは

1992年から『なかよし』で連載された少女漫画『美少女戦士セーラームーン』は、未だに根強い人気を誇り、ことあるごとにコラボグッズや企画展、新しい映画が企画、制作されている。一定の世代の女性はセーラームーン世代と言ってもよく、大人になってからも、セーラームーンと名が付くコスメにふらふらと引き寄せられてしまう人も少なくないだろう。

セーラームーンがなぜここまで根強い人気を誇っているのか。それは、当時、あれほどスタイリッシュな戦う少女アニメは皆無だったからだ。原作者である武内直子の絵は、おしゃれだった。敵役のドレスも、シャネルやディオールなどハイブランドを参考に描くなどし、それ以前の魔法少女物の庶民的なイメージを一掃した。

セーラームーンが少女たちに多大なる影響を与えたことは明確だが、果たして、セーラームーンは少女たちに「よい」影響を与えたのだろうか。

魔法少女はなぜ世界を救えなかったのか』(ペク・ソルフィ&ホン・スミン著 渡辺麻土香訳 晶文社)では、漫画やアニメなどの少女文化コンテンツを多角的に考察した一冊だ。本書の問いは、「果たして、魔法少女が変身して戦う姿は少女に自信を与えるのか、それとも、ミニスカートにハイヒール姿の性役割を植え付けるのか」というものだ。

果たしてセーラームーンは、少女たちに、細い身体が理想だと思い込ませダイエットに走らせたり、10センチのハイヒールに憧れさせたり、コスメ購入に走らせたりするだけのコンテンツだったのだろうか?

ネガティブを徹底的に排除した理想郷・セーラームーン

本書では、セーラームーンが女性として生まれ、生きることを肯定的に描く一方で、女性であることの不自由さやネガティブさを徹底的に排除している、と指摘している。

セーラームーンの世界には、セクハラや賃金格差、グルーミングや、マミートラックなど、女性蔑視や女性差別に関する要素は描かれていない。同時に、セーラームーンを世に送り出した東映の魔法少女アニメシリーズは、2020年のプリキュアにて、初めて女性ディレクターが誕生。それまでは、セーラームーンも含め、すべての少女向けアニメが、男性の監督によって作られていたという。セーラームーンの成功に寄与した女性アニメーターたちは、どこに消えてしまったのか、と本書は問いかけている。

そういった意味で、セーラームーンは非常に「市場フェミニズム」的だと言えるかもしれない。市場フェミニズムとは、家父長制などの社会の仕組みや、資本主義体制を維持しながら、個人的な成功や権力の向上にフォーカスするフェミニズムのことだ。現状の家父長制や資本主義を維持しながら、「女性個人ががんばる」ことを推奨するイデオロギーは、現状の体制を維持したいとか、差別に目を向けたくないという人にとって、とてもウケのいいフェミニズムなのだ。

セーラームーンは、女性として生きるうえでのネガティブ要素を排除し、美しい理想郷を見せてくれる。それゆえ、多くの女性はセーラームーンに惹かれ、セーラームーングッズを購入したいと思うのだろう。

「女性だから被るネガティブ」を楽曲に消化するアイドルグループ(G)I-DLE

少女たちに、細さやハイヒールなどに憧れさせるコンテンツとして、アニメと同等かそれ以上に影響があると考えられるのはアイドルグループだ。とくに、女性K-popアイドルは、人間離れした細さとすらりとした長身がデフォルトで、まるでセーラームーンで描かれたスタイルは現実的に到達可能だとでも言わんばかりだ。K-popアイドルはそのクオリティの高さを維持するための過酷なトレーニングやダイエットがたびたび取りざたされているが、未だに問題は解決していないように見える。

では、K-popアイドルは、少女たちを摂食障害に追いやるような、有害な影響を与えるコンテンツだと見て良いのだろうか? もちろんそういった面もあるだろうが、セーラームーンが甘い夢を見せるだけのコンテンツではないように、K-popアイドルにも多面性がある。

K-popアイドル(G)I-DLE(ジーアイドゥル)は、リーダーのソヨンが作詞・作曲・プロデュースまでを手掛けているという点で稀有なアイドルグループだ。

その楽曲のコンセプトは、これまでアイドルが取り上げてきたコンセプトとは一線を画すものが多数みられる。たとえば、2022年に発表した「Nxde」(ヌード)では、女性の身体の客体化や「ヌード」という言葉が持つイメージを覆そうと試みている。また、2024年の「Wife」では、「従順で性的魅力にあふれ奉仕してくれる妻」という幻想をポップに皮肉っている。

こういったコンセプトの曲を次々と作成しヒットさせられているのも、(G)I-DLEのファンの多くが女性だからだろう。いまは、女性が、“女性だから被るネガティブな側面を暴き出し、美しく歌い踊るアイドル”を推せる時代なのだ。

セーラームーンによる「性別役割の強化」と「性別役割からの解放」

一方、セーラームーンは、徹底的にネガティブを排除した世界観だったけれど、少女たちをエンパワーしなかったか、というとそうではないと考える。

1991年に発表されたゲームキャラクターの男女比に関する研究によると、主要キャラの92%は男性で、8%しかいない女性キャラのうち、6%は男性キャラが救い出すご褒美アイテムだったという。かつてもいまも、「救い出されるご褒美アイテムとしての女性キャラ」は少なくない。そんななかにあって、セーラームーンは違った。救われるのを待つだけではなかった。相手役のタキシード仮面はバラを投げるだけで、主要戦力とは言い難く、戦うのはあくまでセーラー戦士たちだ。

救われる存在ではなく誰かを救う存在であること、能動的ではなく主体的であることが、美しく、かっこいい、とセーラームーンは描いたのだ。痩せていてミニスカ、戦うときでさえハイヒールを履くセーラームーンは、少女たちに性別役割を刷り込むと同時に、解放する道筋をも照らしていた。

そして、その少女たちが成長し、(G)I-DLEのようなアイドルに出会い、その受動的ではない強さに惹かれるのもまた、セーラームーンが描いた主体的であることの美しさが下地になっているのかもしれない。一つひとつのコンテンツが世界を、少女たちを救うことはできない。しかし、確実に一歩前に進めることはできるだろう。

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AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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