「お母さんみたいになりたくなかった」女子が、お父さんみたいになりがち問題について考える。

 「お母さんみたいになりたくなかった」女子が、お父さんみたいになりがち問題について考える。
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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いま現在30代、40代の女性は、「女子は手に職」という言葉に馴染みがあるだろう。母親が娘に「手に職」を望んだのは、女性が経済的に自立することの難しさを知っていたからだ。2023年の現在でさえ、日本は男女の賃金格差が大きい国だが、母親世代は賃金格差以前の問題で、女性が生涯働き続けられる仕事は少なかったのだ。

女性が自立できる仕事の選択肢が少なかった時代には、必然的に男性が有償労働を行って大黒柱となり、女性が家事・育児という無償労働を一手に引き受けていた。夫婦のどちらかひとりが稼ぎ、もう一方が家事育児を行うのは、役割分担であり、主従関係ではない、はずである。しかし、金を稼ぐ方の権力が、自然と強くなりがちなのは言うまでもないことだ。金を稼ぐ側が、稼がない側から離婚を言い渡された場合、精神的には苦痛かもしれないが経済的には困らない。しかし、稼がない側にとって離婚は死活問題となる。それゆえ、大黒柱のほうが(リスクが低いため)浮気をしやすくなるし、暴力もふるいやすくなる。

経済力のない母親が、父親にやりたい放題(浮気や暴力・モラハラ)されているのを見て育った娘は思うだろう、「母のようにはなりたくない」と。

家父長制の呪縛を抜け出したはずが、父のようになっていた女性の話

しかし、「母のようになりたくない」とがむしゃらに頑張り、高い給与を得たとしても、それだけでは、家父長制の呪縛から抜け出すことは難しい。

近年、女性が稼ぎ、男性が主夫業をメインで行う家庭を描いた作品は増えてきている。

小島慶子著『大黒柱マザー』(双葉社)は、アナウンサーを退職した小島が、オーストラリアへの移住を機に、自身が大黒柱となり、夫に家事育児のメインを任せた過程や葛藤を描いた実録エッセイだ。田房永子著『大黒柱妻の日常 共働きワンオペ妻が夫と役割交換してみたら?』(エヌディエヌコーポレーション)は、共働きから大黒柱に以降する妻目線のエッセイ漫画で、フィクションだが、著者の実体験も盛り込まれている。坂井希久子著『セクシャル・ルールズ』(PHP研究所)は、出産を機に大黒柱になった社労士の妻と、元SEの夫との関係性の変化を描いた小説だ。

この三作品にはフィクション・ノンフィクションの違いはあれど、共通している点がある。それは、「家父長制の呪縛を抜け出したはずが、一家の稼ぎ主になったのち、いつのまにか横暴な父のようにふるまっていた(瞬間があった)」という点だ。

セクシャル・ルールズ』の主人公、麻衣子は、父や祖母に頭を押さえつけられても耐えるしかなかった専業主婦の母を見て育った。ずっと母のようになりたくないと思い、だからこそ勉強を頑張って資格を取り、社労士として独立する道を選んだ。出産によるキャリアの中断を恐れた麻衣子は、夫に家庭に入ってもらった。古い価値観を捨てて、新しい家族になったつもりでいた。しかし……最初こそ家庭に入ってくれた夫に感謝をしていたものの、次第に、仕事さえしていれば家庭のことはすべて夫に任せてもいい、という思考に陥っていく。麻衣子は母のようにはならなかった。しかし、いつのまにか、父のようになってしまっていたのだ。

家庭内権力関係を次世代に引き継がせないために。金と権力の関係性を直視する

ひとりがお金を稼いで、ひとりが家事・育児・介護などを行う家庭の形は、それ自体、悪いものではまったくない。役割分担をし、お互い感謝しあうことができれば、快適な生活が送れるだろう。

問題は、金を稼いでいる側と無償労働をしている側との間に、上下関係や支配関係ができてしまいがちだという点だ。

川上未映子著『黄色い家』(中央公論新書)にはこんな一説がある。

誰かのものを自分のもののように遣えるような状況になったとしても、それはあくまで遣わせてもらっているだけのことなのだ。それはたぶん、結婚とか、親とか家族とかでもおなじことで、それがどんな関係であったって、その金を稼いだやつは自分の金であるということをぜったいに忘れないし、金のある自分が自分より金のないやつに自分の金を遣わせてやっているんだと心のどこかで思っているはずなのだ。(略)金を出すやつには意識していてもいなくてもいつも優越感があって、出してもらうほうは無意識のうちに卑屈になるし、顔色をうかがうようになっていく。

『黄色い家』は、女性たちの共同生活を描いた作品だが、金を稼ぐ能力のある主人公が、次第に友人たちを支配していく様が描かれている。金に権力や支配が絡みつくのは、夫婦でなくても同じなのだろう。

「自分は金を稼いでくるから、家事はあなたがやってね」から「金出してんだから他のことは全部やれ」までの距離は恐ろしく短い。

家庭内で抑圧される人を産みださないための特効薬とは、なんだろうか? 家父長制にどっぷり浸かった家庭で育ち、「私はあんな家庭は嫌」と思ったなら、経済力をつけるだけでは充分ではない。少なくとも大黒柱側は、金と権力の関係に自覚的になり、常に自分を省みる必要がありそうだ。

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AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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