「夫がセックスしてくれない」という怒りや悲しみはフェア?『フェアな関係』【レビュー】

 「夫がセックスしてくれない」という怒りや悲しみはフェア?『フェアな関係』【レビュー】
『フェアな関係』(兼桝綾著 タバブックス)

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。今回は、『フェアな関係』(兼桝綾著 タバブックス)を取り上げる。

広告

夫と手をつないだり、ハグをしたり、抱き合ったりしたい。夫に「妻とセックスしたい」と思ってほしい。これは、そんなに大それた望みだろうか?―――短編集『フェアな関係』(兼桝綾著 タバブックス)の表題作、『フェアな関係』の主人公は、セックスレスに悩む女性・沙耶だ。

沙耶の夫は、“子どもはほしいけどセックスはしたくない”と考えており、一方の沙耶は、“子どもはほしいと思ったことがないけれどセックスはしたい”と考えている。

ふたりの希望はどこまでいっても平行線だ。沙耶はセックスを拒否するのなら彼氏を作ってもいいか?と夫に問うが、夫は「俺がいるのにそれはおかしい」と即却下。沙耶は、「権利だけ奪っておいて、何もくれないってフェアじゃなくない?」とキレるのだった。

「セックスレスを解消する方法」は「セックスを強要する方法」とどう違うのか

私には沙耶がキレる気持ちがよく理解できた。夫とセックスをしたいという、そんな基本的な願望さえ叶えられないなんて、さらには、セックスができないだけではなく、他で解消することさえ認められないなんて……と。

しかし、立ち止まって考えてみると、沙耶が望まないセックスを夫に強く求めることは、一歩間違えると強要になりかねないものだ。「夫が沙耶は望んでいないのにどうしても子どもが欲しいと頼み、断られるとキレる」ことと同様の暴力性がそこにはある。

世の中にはセックスレスで悩んでいる夫婦がたくさんいる。好きな相手から、配偶者からセックスを拒否される苦しさは、誰にも否定されるべきではない。しかし同時に、巷にあふれる“セックスレスを解消する方法”は、誰かにとっての、“望まないセックスに誘われる方法”または“セックスを強要される方法”とどう違うのか、とも思う。

セックスレスは“契約違反”ではあるが……

思うに、私も含め、世の多くの人は、“夫婦”に過大な期待を抱いている。夫婦だからセックスするのがデフォルトだと考えている。そのため、セックスのない状態が何かが欠けているという意味のレスという言葉で表される。夫婦であるならばセックスして当然なのだから、ない状態はおかしいし、道義的に正しくない、というわけだ。

法律上、セックスレスは理由として離婚が認められている。上野千鶴子は、「結婚とは、自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」と定義している。

結婚は契約であり、法律上セックスレス、または夫婦以外の相手との性交が契約を破棄する理由になりえる現状において、「結婚したのに夫婦間のセックスがないなんておかしい」と考えるのは当然だと言える。なぜならそれは、明確に契約違反なのだから。

しかし、結婚式の際、夫婦は永遠の愛という抽象的なものを誓うが、「生涯にわたって、配偶者としかセックスしませんし、相手がセックスしたくなったら、やります。定期的にセックスします」とは宣言しない。今の時代、「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡します」という意識で結婚する人は少ないのではないかとも思う。友情結婚をし、セックスは抜きで家族になる人もいれば、セックスは家庭の外ですることで合意を得ている人もいる。法律的には「夫婦なのにセックス拒否」は契約違反だが、現実は法律を追い越しており、さまざまな形の夫婦が現に存在している。夫婦の意味が変わりつつある今、求める形も多様化し、夫婦間でも価値観の祖語が生まれやすい。

“夫婦”に求められる役割の多さが、不満足感を生む

かつて、既婚女性は、セックスしたくなくてもせねばならぬ、と考えがちな時代があった。そのため、夫婦のセックスを、“おつとめ”と呼んだ。本当はやりたくないけれど、夫婦のつとめだからするのだ、と。

今でも、性別関わらず「結婚したのだから」と、“おつとめ”をしている人はいるだろうが、「やりたくてやっているわけではない、義務としてのセックス」で配偶者は満足するだろうか?

満足する人もいるだろう。しかし、「無理やり感」が感じられてしまったら、希望が叶えられても、よけいに虚しさを感じる人は少なくない。『フェアな関係』でも、沙耶は夫に2万円払ってセックスに至るが、満足感を得るどころか、何もかもが嫌になってしまう。

つまり、沙耶の望みは、「沙耶の希望で無理をしてするセックス」ではなく、「夫が喜んで行うセックス」なのであり、沙耶の怒りは、夫の感情が自分の思いどおりにならないために発現したものだといえる。

「私とセックスしたくないなんておかしい!」という怒りが、配偶者以外に向けられていることを想像すると、この怒りや悲しみがいかに横暴で奇妙なものであるかがわかる。沙耶は横暴だが、沙耶の夫もまた横暴だ。自分はセックスしたくないけれど、「他の男と性的関係を結ぶのはナシ」と、沙耶を縛る。「セックスしろ」も「セックスするな」も本来、他人が決められることではない。マイセックス、マイチョイスだ。しかし、夫婦となると、とたんに割り切れなくなる。

『フェアな関係』を読んでいると、生活のパートナーと、恋愛のパートナー、性的パートナー、子育てのパートナーを、ひとりの人間に求める “夫婦”というシステムを利用する限り、何かしら不満足感が残るのは、必然のように感じられる。恋愛相手としていつまでも魅力的で、性的欲求が湧く相手で、生活リズムもあって、子を持つか否かや子育ての方針も合致する……そんな人は希少だろう。

それでも、性的パートナーはAさん、配偶者はBさん……というように、複数人に分けるのではなく、たったひとりの相手と結婚し不満足感を抱えながらでも生活しよう、と決めた人には、本作をおすすめしたい。ここには、ひとりの人間に期待し、相手を変えたいという葛藤が散りばめられており、その葛藤は恐らく、あなたのものと似ている。

広告

AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



RELATED関連記事