「ゲイが主人公だけど、普遍的な話です」とわざわざ宣言することは何が問題なのか

 「ゲイが主人公だけど、普遍的な話です」とわざわざ宣言することは何が問題なのか
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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近年、LGBTQ当事者を主人公にした作品が増えている。とくに多いのは、ゲイを主人公とした作品だ。ゲイ当事者であることを明らかにしている作り手もいるが、多くは、公言していないか、異性愛者の立場から作品を作っている。

異性愛者が同性愛者主人公の作品を作る際に言いがちなのは、「これはLGBTQの作品というわけではなく、普遍的な愛の話です」「ゲイを主人公にしていますが、普遍的な葛藤を描いた物語です」というものだ。

最近では、ゲイの少年が主人公の映画『怪物』の是枝監督が同様の発言をしており、一部から批判を受けた。

なぜ、セクシャルマイノリティを描きつつも「普遍的な話」と言ってしまいたくなるのだろうか? そして、普遍的と宣言することの問題点はなんだろうか?

異性愛規範を内面化したままで、同性愛の物語をつづる

「ゲイが主人公だけれど、普遍的な話なんです」と言ってしまうのは、異性愛規範(男女でセックス・恋愛するのが普通であり正当であるという規範)を内面化しているからだろう。

異性愛が普通であり、一般的であり、普遍的だ、という意識があればこそ、同性愛者が主人公「だけど」普遍的、と言うことになるのだ。「異性愛者が主人公だけれど、普遍的なお話なんです」とは決して言わない。

子どものころに、「思春期になれば、異性に特別な感情を持ちます」と教科書で習ってきた世代にとり、異性を好きになるのは当然だと思い込むのはある意味、自然な流れだろう。

しかし、「同性愛者が主人公だけれど、普遍的な話なんです」と言い切ってしまうのは、現実にいる同性愛者を透明化してしまうという問題がある。

たとえば、ヨーロッパでアジア人差別を物語の主軸にした作品を白人監督が作ったとする。その際、白人監督が「これはアジア人差別を描いていますが、アジア人差別を描こうとしたのではなく、普遍的な話なのです」と発言していたとしたら……アジア人としてモヤモヤする人は少なくないだろう。そこで感じるモヤモヤは、「描いているのに、その存在を認めていない。透明化、または軽視している」ことに起因するものだ。

いないことにされてきた同性愛者。異性愛規範とホモフォビア

これまで、セクシャルマイノリティは存在しているのに、いないことにされてきたという歴史がある。

「思春期に異性に惹かれるのが自然」と記した教科書は、同性愛者の存在を透明化していた。また、映画やドラマなどのコンテンツ上でも、実際の同性愛者の割合に比べて、表象される割合が極端に少なかったし、同性愛者が表象される際には、異性愛者の表象とは違ったものとなることが多かった。たとえば、同性愛者は結ばれなかったり、死んだり、人を殺したり、ジョークのように扱われたり、「結果的には不幸になる」という表象のされ方が目立った。「同性愛者ってわけじゃなくて、たまたま好きになったのが同性だっただけ」だったり、フェアリーテイルゲイ(妖精のように理想化され、異性愛者主人公のサポート役に徹するゲイ)として、異性愛者に都合がよいだけのキャラクターとしても表象されがちだった。

なぜ同性愛者はいないことにされたり、不幸な存在として描かれてきたのか。原因はやはり、異性愛規範だろう。

知人の脚本家は、男性にのみ性的欲求を持つ主人公の作品を描く際、プロデューサーからこう言われたという。「主人公は、美しいものに惹かれているだけ。普通のゲイというわけではない」、と。「男性にのみ性的欲求を持つ人」は、通常ゲイと呼ばれるはずだ。にもかかわらず、ゲイという言葉を頑なに避けようとする作り手もいる。ここには、異性愛規範と切っても切り離せないホモフォビア(同性愛嫌悪)が垣間見える。

だれのための作品?

『BL研究者によるジェンダー批判入門』(溝口彰子著/笠間書院)では、同性愛者が納得できる同性愛者を描くときに重要なのは、作り手が当事者か否かではなく、誠実な想像力を働かせることができるか否かである、と述べている。異性愛者であったとしても、誠実な想像力を働かせ、異性愛規範を乗り越えることができれば、同性愛者を周縁化したり、透明化したりすることなく、同性愛者もライドできる物語をつむぐことは可能なのだ、と。

同性愛者を主人公にした物語の作り手たちは、異性愛規範を乗り越えて物語を作ろうとする意思はあるのだろうか? すべての作り手にそういった意思があるわけではないだろう。同性愛者を主人公に添えた物語の作り手の何割かは、「同性愛者を差別的にならないように表象し、エンパワーする」ことよりも、「同性愛者の物語を、いかに異性愛者に楽しんでもらうか」を重視して作品を作っている。「LGBTQの話というより、普遍的な話です」と語りかけるとき、想定しているオーディエンスは、異性愛者だろう。

「同性愛者を主人公にしているけれど、普遍的な話です」が意味するのは、つまるところ、「異性愛者が安心して楽しめるコンテンツを作りました」という「異性愛者に向けて」の宣言なのかもしれない。

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AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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