映画の中で都合よく殺される女性キャラ『冷蔵庫の女』について考える。なぜ、「女が」「死ぬ」?

 映画の中で都合よく殺される女性キャラ『冷蔵庫の女』について考える。なぜ、「女が」「死ぬ」?
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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映画の中で、女は都合よく、死ぬ。病気になって死に、敵に殺されて死に、レイプされて死ぬ。

恋人や妻を殺された怒りで奮起し、世界を救うヒーローもの。

病弱なフィアンセの死を乗り越え、成長する青春ラブストーリー。

……そういった感動物語に欠かせないのは、「冷蔵庫の女」だ。

「冷蔵庫の女」とは

「冷蔵庫の女」とは、批評概念の一種で、男性キャラの成長のために彼女や妻、親しい女性が殺される事象を指す。もともとは1999年にアメコミファンのグループによって作られたウェブサイト上で、男性キャラの保護欲を刺激するためや、男性キャラのストーリーを前に進めるために、女性キャラの殺害、負傷、レイプが頻繁に使われてきたことを指摘したことに端を発している。

「冷蔵庫の女」という概念が指摘しているのは、ヒロインが、彼氏を殺されて奮起し、世界を救う展開は、その逆に比べて極端に少ないということだ。映画の中では、女性が男性の活躍のために、都合よく死んでいる。

松田青子の短編集『女が死ぬ』(中公文庫)の表題作「女が死ぬ」(シャーリィ・ジャクスン賞ノミネート作品)は、「冷蔵庫の女」の存在にスポットライトを当てたコミカルでユニークな作品だ。書き出しはこうだ。

「女が死ぬ。プロットを転換させるために死ぬ。話を展開させるために死ぬ。カタルシスを産むために死ぬ。それしか思いつかなかったから死ぬ。ほかにアイデアがなかったから死ぬ。というか、思いつきうる最高のアイデアとして、女が死ぬ。(略)女が死ぬ。彼が悲しむために死ぬ。彼が苦しむために死ぬ。彼が宿命を負うために死ぬ。彼がダークサイドに堕ちるために死ぬ。彼が慟哭するために死ぬ。元気に打ちひしがれる彼の横で、彼女はもの言わず横たわる。彼のために、彼女が死ぬ」(P.65)

「女が死ぬ」では、女が死ぬ系映画を観たサラリーマン・ヒロシが、帰り道で実際に死にかけている女と遭遇する。実際の女は、「冷蔵庫の女」ではない。彼女は一見、理解に苦しむようなことを口走る。彼女が長年考え続けてきた、とらえようによってはくだらなく、考えようによってはとても大切なことを最後の言葉としてとうとうと述べる。その言葉は、誰のためでもない言葉だ。友人のためでも、親のためでもなく、もちろん彼の成長のための言葉では決してない。「女が死ぬ」は、誰のためでもない言葉を吐く現実の女と、彼のために死ぬ映画の中の女のコントラストを鮮やかに描き出している。

ヒロインは、はぜ殺されるのか?

田嶋陽子著『ヒロインは、なぜ殺されるのか』(KADOKAWA)では、「映画の中で死んだヒロインは、なぜ死ななければならなかったのか」を分析している。

『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986年)は、フランスの映画監督ジャン・ジャック・ベネックスが激情型で美しい女ベティを、美しい映像と共に描いた作品だ。バンガローのペンキ塗りを命令されたベティが、なんの躊躇もなくバンガローに火を放つシーンが、印象に残っているという映画ファンも少なくないだろう。ベティは破壊的で、暴力的な女で、気に入らない相手の手にフォークを突き刺したりもする。奔放で自由で、情熱的に見える。それゆえ、公開当時は、新しい、強い女性像を打ち出した、と捉える人もいたかもしれない。

しかし田嶋は、『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』は「86年版、内助の功、フランス編」であるとし、「伝統的な女役割の美化だけで終わってしまったのでは」と批評している。

ベティは恋人のゾルグの作家としての才能を見つけ、サポートし、出版社に売り込んだのち、精神を病み、殺される。恋人のゾルグは、ベティの死を乗り越え、新しい作品の執筆に取り組む。

美しい映像と、ベティの激しいキャラクターに惑わされそうになるが、あらすじだけ抜き出すと、ベティは彼の成長のために殺された、典型的な「冷蔵庫の女」なのだ。

「冷蔵庫の女」はいつまで続く?

『ヒロインは、なぜ殺されるのか』は2023年に新装版が発売されたが、初版は1991年だ。30年以上前に書かれたにもかかわらず、「昔はそんな映画があったんだ」という読後感にはならない。むしろ、近年放送されている映画をふりかえり、「なぜヒロインは殺されていたのか」の考える契機を与えてくれる。

なぜ、物語を進めるため、男性キャラの成長のために、女性キャラが殺され続けるのか。ひとつには、映画監督に圧倒的に男性が多いため、男性視点の物語が作られがちだ、という点が挙げられるだろう。2021年のデータによると、日本の女性監督は全体の1割程度しかおらず、10億以上の大作を撮っている監督に至っては、ゼロ人だ。(※1)この数値がここ数年で、劇的に変わることは考えにくい。

私たち視聴者は、「冷蔵庫の女」型ストーリーラインに慣れすぎている。難病で死にゆく美しい彼女と、彼女の死を乗り越えて前を向く美しい彼との物語は、期待通りの感動を届けてくれる。大切な女性を傷つけられ、殺された怒りで奮起するヒーローは頼もしく、ヒーローに同化できれば、力が湧いてくる。「冷蔵庫の女」型のストーリーに慣れ、心地よく感じる視聴者がいる限り、映画の中で、女は何度でも、男の成長のために死ぬのだろう。

※1 朝日新聞デジタル

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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