「子どもがいない・できない・ほしくない」=未熟、という価値観|誰が成熟していて誰が未熟なのか

 「子どもがいない・できない・ほしくない」=未熟、という価値観|誰が成熟していて誰が未熟なのか
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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ライターの武田砂鉄氏の著書『父ではありませんが 第三者として考える』(集英社)を読んだ。本書では、何事も(とくに家族や子育てについて)、当事者しか語ってはいけないような風潮に疑問をなげかけ、「人は誰でも、何かについては当事者でも、何かについては当事者ではないはずだから」と、第三者という立場から考え、語ることの重要性を指摘している。

また、子どもについて「いる」「できた」「ほしい」という語りの多さに比べ、「いない」「できない」「ほしくない」という状態の声は、あまり声高に語ってはいけないように思われている風潮に対し、疑問を投げかけている。

本書では、子どもを「いる」「できた」「ほしい」という立ち位置が「普通」であり、それ以外の立ち位置をイレギュラーとして扱う姿勢そのものを疑問視している。

結婚したら「子どもはいつ?」と聞かれ、子どもがいなければ、「なぜ?」と問われ、「いまはほしくなくても、将来後悔するかもしれないよ」と軽い脅し受けることは珍しくもないが、結婚して子どもを持った夫婦に対し、「なんで子どもを持とうと思ったの?」「子どもを持つなんて将来後悔するかもよ?」と言ってくる人はほとんどいない。

同時に、子どもを産み、育てることがかけがえのない素晴らしい経験であることは頻繁に語られるが、子どもを産み、育てたことを後悔した経験はあまり語られない。昨年、日本でも翻訳出版された『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著 新潮社)が話題を呼んだのは、世にも珍しい、母親になって後悔した人たちの率直なインタビューが綴られていたからだ。

なぜ、子どもができた、ほしい、子育ては素晴らしいという語りの多さに比べ、子どもができない、ほしくない、子育てに興味はない、という語りは少ないのか。そういった語りを抑圧しているのは誰なのだろうか。

「3人の子の母です。皆さまと同じ目線で考えます」

この原稿を書き始めたとき、すぐ近くで選挙カーが走っていた。「○○○○、○○○○でございます」と、人名を連呼したあとで「3人の子の母です。みなさまと同じ目線で、考えます」と続けている。

「3人の子の母」→「みなさまと同じ視線」とはどういうことか。「母」ゆえに、「みなさま」と同じ視線とはこれいかに。よくよく考えたら不思議な文章のつらなりだが、ごく自然に街に溶け込んでいる。「○○○○、○○○○でございます。「独身で、子どもはいません。みなさまと同じ目線で、考えます」は不自然だと感じられても、「一児の父、母、そして政治家」という語りは疑問視されづらい。現実には「みなさま」のなかに、独身で子どもがいない人もたくさんいるにも関わらず。

公人が父や母であることを声高に主張する要因のひとつには、やはり、「結婚している」「子どもがいる」ことが、「ちゃんとした人」というイメージと少なからず結びついているからだろう。

結婚や子育をしてこそ一人前、なんておおっぴらに言う人こそ少なくなってきているものの、結婚や子育てが、「人として成長する機会」だと捉えている人は珍しくない。「結婚したくない」「子どもがほしくない」ことを、ワガママだとか、未熟だとか、狭量だと考える人もいる。

誰が成熟しており、誰が未熟なのか

さらには、「少子化という問題はワガママ、未熟、狭量な女性が増えたせい」であると、子どもが少なくなった原因を、女性に背負わせようとしてくる風潮もある。

2022年には、自民党の桜田義孝氏が少子化をめぐり、「女性は無理して結婚しなくてもいいという人が増えている、嘆かわしいことですけども」「女性はもっと男性に寛大に」といった発言をした。育てやすい環境を整備する必要性にはふれず、とにかく無理してでも結婚して子どもを産んでほしい、という趣旨にとれる発言であり、批判を浴びた。

こういった考えを持つのは政治家だけではない。独身研究家を名乗るライターの荒川和久氏は、少子化の原因は、母が少なくなったこと、つまり「少母化」である、と述べている。母が少なくなったということは必然的に父も少なくなっているのが、荒川氏は「少父化」という言葉は使わない。まるで女性ひとりで子どもが産めるかのように、少子化の責任を女性に求める。日経COMEMOのnoteの中で荒川氏が執筆した記事に記載された、「結婚したお母さんたちだけに限れば、ちゃんと2人の子どもを産んでいる」という一文からは、子どもを2人産む女性を「ちゃんとしている」とする価値観がくっきりと見える。

2人子どもを産む女性がちゃんとしており、子どものいない女性や、ひとりしか子どもを産まない女性がちゃんとしていない、と考えるのは、ちゃんとした考え方なのだろうか。

誰が成熟し、誰が未熟なのか。その判断基準はどこからきているのか。安易に受け入れる前に、立ち止まって考えてみたい。かくいう私自身も、「いい年をして実家にいる大人は未熟に違いない」と思い込んでいた時期があった。振り返ってみると、そうジャッジしていた自分こそが、とても未熟だった。

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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