社会は主婦という存在を見下している。原因は資本主義?

 社会は主婦という存在を見下している。原因は資本主義?
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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「主婦のみなさんがいなければ、社会は回りません」と言う人がいる。育児は素晴らしい経験だとか、いまの時代、専業主婦は特権階級であり、憧れの存在である、と言う人もいる。

実際主婦に憧れている人はいるだろう。しかし同時に、主婦という存在は、社会から不当に見下されている存在であることも間違いない。『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』(生田美保訳 DU BOOKS)は、韓国で主婦をする女性チョン・アウンによって書かれたものだ。

著者は言う。社会は母や妻の地位を認めて、高く評価するように見せかけて、主婦という存在を見下していることがバレバレだ、と。本書は育児をきっかけに会社を退職し、主婦となった著者が、「働かずに家で遊んでるんだって?」と友人に聞かれた経験をきっかけに書かれたものだ。

「家で遊んでいる」という表現に見られるように、主婦の仕事(家事・育児)には賃金が支払われず、そのため軽んじられやすい。まるで夫の稼ぎに依存した、社会性の欠如した存在として扱われることもある。チョン・アウンは、その原因を資本主義のなかに発見する。

主婦の無償労働から利益を得る資本家・企業

そもそも、私たちがいま現在、不変なものだと考えがちな資本主義は自然発生的に表れた体制ではない。それに、私たちが考える仕事の定義(労働力を提供し、金を受け取る)だって、昔から存在していたわけでもない。現在の仕事の定義は、資本主義体制が定着したあとに生まれた新しい概念だ。資本主義体制以前は、性別関係なく家の仕事も外の仕事もしていた。家事も畑仕事も、両方が仕事だった。

資本主義体制、つまりお金で人の労働を売買する体制は、富を独り占めしたいという欲から生まれた。いま現在資本家と呼ばれている人たちの財産は最初、どこからやってきたのかというと、もともと誰の土地でもなかった場所を「この土地は私のものだ」と宣言したところからだ。自分の土地を失った労働者は、資本家の下で働かなければならなくなり、低賃金で疲弊する仕事を選ばざるをえなくなったのだ。

そうして主婦が生まれた。主婦は、労働者の衣服を洗濯し、ご飯を食べさせ、仕事に送り出した。つまり、資本家は、労働者を雇用することで、安価な労働力を得ると同時に、労働力の再生産の無償提供(妻が夫を外で働けるようにサポートすること)をゲットすることができたのだ。

性別役割分業は現代資本主義体制を構成する革新的な要素

資本主義は、資本家、労働者だけで成り立つのではない。労働者をサポートすることで間接的に資本家に利益を提供する再生産労働者なくして成り立たない、というわけだ。

本書の指摘で興味深いのは、「男は仕事、女は家庭という性別役割分業とそれに起因する権力関係は、前近代的文化の残滓であり、そのような残滓を一掃すれば男女平等に暮らせるという考えは誤りだ」という点だ。いわく、性別役割分業は前近代文化の名残というより、現代資本主義体制を構成する革新的な要素だという。

男性が賃金労働者となり、女性が男性労働者を無償で再生産する役割を務めてこそ、資本家が安価な労働力で大量の利益を生みだすことが可能になる。性別役割分業が崩壊すれば、資本家は無償で提供されていた労働者の再生産にコストをかけなければならなくなり、利幅は減ることになる。

性別役割分業に基づいた家族という制度も、資本主義に多大に貢献している。夫ひとりが大黒柱となれば、どれだけ職場でひどい扱いを受けようと、会社を辞めることができない。性別役割分業に基づいた家族は、男女に異なる役割を与え、そこから抜け出せなくするための巧妙な制度、とも言えるのだ。

「主婦なのにすごい!」がなくなる時代はくる?

さて、性別役割分業により、夫が働き、妻が家事・育児を担った場合、それは単なる役割分担であり、上下はないはずである。しかし、専業主婦はしばしば夫の経済力に依存しているとのそしりを受けることがある。本書では、専業主婦の無償労働がなければ労働者である夫も資本家も利益を確保できないことから、「夫が妻を扶養しているのではなく、妻が、夫が働けるように扶養しているのだ」という見方も紹介されている。しかし、現実世界でそう考える人は稀だろう。「金を稼いでるほうが、稼いでない方を養っている」という考えは、資本主義社会で生きる私たちの脳内にごく自然に根付いている。

「主婦なのに、○○を開発してすごい!」「田舎の主婦にもわかりやすく伝えるために……」こんな言葉を耳にするたび、主婦がいかに見くびられているのかを感じる。資本主義以前ならば、家の中の仕事も、外の仕事も、仕事は仕事だった。いまは金の発生しない仕事は、仕事とみなされない傾向があり、それゆえ、「働いていない=他人の働きに依存している=社会性がない存在」と見下されがちなのだろう。とすると、資本主義が崩壊しない限り、専業主婦は「働いていない」「社会に出ていない」と言われ、みくびられ続けるのだろうか?

つらいのは、専業主婦自身も、こういった価値観を内面化しがちだという点だ。チョン・アウンは、自身も専業主婦に対する偏見を内面化していたため、ふたりの子どもを育てるために会社を辞めざるをえなくなった際には、「なぜ私が……」と落ち込んだという。しかし、さまざまな本を読み、思考することで、世間一般の主婦に対する視線の根本原因を突き詰め、自信を取り戻すきっかけを掴むことができた。

今後社会がどう変わろうとも、専業主婦に対する偏見や蔑視がすぐに完全に消えることはないだろう。しかし、自分ひとりの考えなら、学ぶことで変えられるのだ。

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AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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