デジタル性犯罪「n番部屋事件」加害者を生んだ「3万人の普通の人々」の存在を透明化してはいけない

 デジタル性犯罪「n番部屋事件」加害者を生んだ「3万人の普通の人々」の存在を透明化してはいけない
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エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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※本記事には、性的加害、性的被害の内容が含まれています。読まれる際にはご注意ください。

「n番部屋事件」とは、2019年から2020年にかけて、メッセージアプリ「テレグラム」内のチャットルームを使い、未成年を含む女性に対する脅迫、暴行、性的搾取、強姦などの動画を撮影、流布、販売した複数の事件の総称だ。

加害者はアルバイト募集などを装って女性に個人情報や写真を送付させて脅迫し、性的な写真や動画を撮らせたり、直接接触して強姦した動画を撮影したりするなどしていた。さらには、そういった画像や動画を、テレグラムの有料会員向けに(足が付かないように)暗号資産を使って販売し、利益を得ていた。

テレグラムでは複数のチャットルームが開設されており、もっとも有名なのは「ガッガッ」ことムン・ヒョンウクが運営していた「n番部屋」という1番から8番まで番号がふられたチャットルームと、「博士」ことチェ・ジュビンが運営していた「博士部屋」だ。このふたつのチャットルームは、とくに残忍な方法で被害者を苦しめていたことで知られており、「奴隷」という文字を身体にナイフで刻ませる、いもむしを体内に入れさせる、公衆トイレの床をなめさせる、便器の水を飲ませる……などの行為を強要し、拒否するとこれまでに入手した動画や個人情報をチャットルーム外に公開する、と脅迫することもあったという。

「n番部屋事件」を最初に取材した、女子大学生ふたりの功績と苦難

デジタル性犯罪は、まだ歴史が浅く、法整備も完全に整いきっているとは言い難い。さらに、「n番部屋事件」の舞台となったテレグラムは、ロシア発のメッセージアプリであり、国をまたいだ捜査となるため、その点でも困難がある。

そういった理由から、「n番部屋事件」で性的搾取を行っていた人々は、自分たちは捕まらないと考えていたのだが、結果的に、首謀者およびユーザーの一部は逮捕されることになった。

「n番部屋事件」の真相究明と逮捕の立役者となったのは、無名の女子大学生ふたりだ。彼女たちは、「追跡団火花」を名乗り、テレグラムに潜入して犯罪を認識すると、ルポ「未成年者の性的搾取物を売るんですか? テレグラムの無法地帯」を書き上げ、警察と連携して犯人逮捕に貢献した。

ことの顛末は『n番部屋を燃やし尽くせ デジタル性犯罪を追跡した「わたしたち」の記録』(追跡団火花著 米津篤八・金李イスル訳 光文社)に詳しい。

追跡団火花は2019年7月から潜入調査を開始し、11月にルポを執筆。そのルポに目を止めたハンギョレ新聞が「テレグラムに広がる性搾取」と題した記事を執筆したことで、デジタル性犯罪に対し人々が感心を寄せ始め、マスコミが過熱していったのだ。追跡団火花は、名前の通り、デジタル性犯罪撲滅の導火線に火を放つことに成功した。

追跡団火花の調査、警察との連携により、複数の加害者は逮捕され、多くの被害者を救うことにつながった。その功績は計り知れないが、調査が終わったあとも長らく、追跡団火花のふたりは精神的に苦しめられることになったという。長期間に渡って性加害動画を見続けた記憶は、消すことができない。ふたりはカウンセリングで傷を癒す必要があったが、それでも「n番部屋事件」を取材したことは後悔していないという。

首謀者は懲役42年の判決。けれどそれは加害者の中の氷山の一角にすぎない

追跡団火花やその後のマスコミ報道、世論の過熱によって、加害者の一部は捕まった。

博士部屋の管理者であるチェ・ジュビンは、もっとも重い懲役42年を言い渡された。博士部屋で脅迫され加害された女性は74人で、うち16人は未成年者だったとされている。チェ・ジュビンの残忍な加害行為が公になるや否や、報道は加熱し、チェ・ジュビンがいかに異常な人物かにフォーカスした情報が出回るようになった。

たしかに、チェ・ジュビンの残忍性は突出していたかもしれない。しかし、警察の推定によると、チャットルームの有料会員は約3万人存在したという。

チェ・ジュビンたちの加害を、金を出して楽しんでいた人物が3万人いたのだ。そしてそのほとんどは、なんの罰も受けていない。ユーザーの一部は特定され、逮捕されることとなったが、ほとんどは追跡されることもなく、話題に上ることもない。透明化されているといってもいいだろう。

透明化された無数の「ふつうの人」が、チェ・ジュビンを生み出す

忘れてはならないのは、「n番部屋事件」は、チェ・ジュビンというひとりのサイコパスが生み出した犯罪ではないということだ。

3万人の有料会員がいなければ、彼はここまでのことをしていないだろう。加害動画を楽しむ「ふつうの人」が、チェ・ジュビンの加害を後押ししたのだ。チェ・ジュビンは会員から「博士」と崇められ、慕われていた。つまり、「n番部屋事件」は、加害者同士の強い絆が創り出した事件なのだ。

チェ・ジュビンは特別な人間ではない。信奉者に崇められ、期待に応えようとした平凡な人間だ。捕まることのなかった無数のユーザー、ちょっとした出来心で動画を見たふつうの人たちがいる限り、第二、第三のチェ・ジュビンが生まれるのは想像に難くない。

「動画を見ただけ」という気楽な行為が性犯罪への加担につながっている

「動画を見ただけ」という気楽な性犯罪への加担を、透明化させまいと試みる人もいる。

2024年1月30日、演劇版芥川賞と言われる「岸田國士戯曲賞」のノミネート作品が発表された。そのなかのひとつ、劇作家・升味加耀による「くらいところからくるばけものはあかるくてみえない」は、「動画を見ただけ」が意味する重みを、見るものに感じさせようとする試みのある作品だった。

クリックひとつで、いくらでも裸が見られる時代だ。誰もが被害者にも加害者にもなりえる時代だからこそ、「ちょっとした出来心で性被害の動画を観る」という加害の在り方を、透明化させてはならないだろう。

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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