「あらゆる境界線を越えるために」世界的メイクアップアーティストが目指す美容業界のダイバーシティ
1990年の初めにアヴァンギャルドな作品で一躍世界のファッション業界にセンセーションを巻き起こし、アルマーニやドルチェ&ガッバーナらトップメゾンのコレクションのメックアップを手がけ、スティーヴン・マイゼルや世界的著名フォトグラファーの御用達メイクアップアーティストとなったパット・マクグラス。2016年から自身のビューティブランド「Pat McGrath Labs」を展開し、世界的人気を博している彼女が、ブランドを通じて伝えたいこととは。
「例えば、いくら影響力を持つインフルエンサーや美容のプロからアーティストとして好きだと言われても、化粧品自体の性能や質が良くなければ意味がありません。ただでさえ今は情報が溢れていて、こと化粧品となるとユーザーも豊富な知識を持ち合わせていますから、製品が良くなければすぐにそっぽを向かれてしまいます。ですから、成功するためには品質の高さが問われるのです」。
昨年末英紙にこう語ったのは、現在NYを拠点に活躍する世界的メイクアップアーティストのパット・マクグラス。世界的メイクアップアーティストとしてシャネルやアルマーニ等トップメゾンのコレクションのメイクアップを始め、マドンナやフォトグラファーのスティーヴン・マイゼルらのお気に入りとして数多の歴史的作品の製作に携わってきた。2013 年にその華々しい功績から英エリザベス女王より大英帝国勲章を受勲。2016年には自身のブランド「Pat MacGrath Labs」をローンチし、カイリー・ジェンナーの「Kyie Cosmetics」の成功に続き、自らの力で億万長者となった人という意味の“セルフメイド・ビリオネア”との呼び声も高い。その成功の秘訣を、彼女はこう語っている。
「自分のブランドを作るなら、ありきたりの手法を使いたくありませんでした。それは店舗展開についても同様です。カウンターがあって、四季に合わせて商品ディスプレイとイメージ写真を変えるだけ。これでは面白くありません。今はSNSで私とユーザーがダイレクトにコミュニケーションを取ることも可能ですし、四季と言わず1日に4回は興味を持ってもらえるようなコンテンツとイメージで集客することも可能です」。
そんな彼女のブランド「Pat McGrath Labs」は現在彼女の“ホーム”である英国のデパート・セルフリッジで1位のセールスを誇り、中でも“フェティッシュアイズマスカラ”は、他のメジャーブランドとの比較でも突出した売り上げを記録しているという。
「セルフリッジは私の“凱旋帰国”を喜んで迎えてくれました。いちイギリス人に過ぎなかった私が、自分のお店を持つことができただけではなく、売り上げもトップだなんて、まるで夢のようです」。
昨年中にはマンチェスターにも店舗を展開するなど、着実にビジネスを拡大している彼女。そんな彼女がメイクアップに目覚めたのは、7歳の頃だという。
メイクアップに目覚めさせた母の存在
1970年、イギリス・ノーザンプトンでジャマイカ系移民のシングルマザー・ジーンに育てられた彼女は、毎日メイクをする母を側で見ているうちに、美容への興味が高まって行ったという。
「1992年に他界しましたが、母はメイクアップが大好きでした。よくテレビの前に立って“この女優は目元にこれを使っているのよ。リップはあれね”といちいちメイクの解説をしていましたが、私はテレビが見えないし邪魔だなあ、と思うだけでした(笑)。でも、そのうち一緒になって分析をするようになったんです。よくハリウッドのクラシック映画を見ながら、きっと次のコレクションでデザイナーの誰かがこの世界観をテーマにするかもしれない、とファッション予測もしていたんですよ(笑)」。
そんな母ジーンの影響は、現在の彼女のメイクアップテクニックにも確実に及んでいる。手の温もりで頰の温度を高めてツヤを出したり、テクスチャーの違う色同士をミックスしてオリジナルな色を即興で作り出すなど、トップメイクアップアーティストならではの彼女独自のテクニックの裏にこの母ありき、だ。
「毎日母はきちんとフルメイクをしていました。そしていつもツヤを出すために洗面所でミストを使って仕上げをしていました。母のいつもの“ひと手間”が、私のメイクアップテクニックに確実に繋がっています」。
世界一影響力のある黒人メイクアップアーティストとして
現在コレクションの時期には、多い時でなんとスーツケース87個分の膨大な数の“道具”を持って移動することもあるという彼女。
「25年かけて集めたものばかりです。ほとんどデパートで買っていますが、買っても買っても足りない。本当に化粧品が大好きなんです。でも、70年代や80年代のビューティブランドの中から私たちのような有色人種の肌にピッタリ合うトーンは全くありませんでした。本当に、全く」。
今でこそあらゆる人種の肌トーンにマッチするファンデーションが市場に溢れているが、子供の頃には皆無だったと言う彼女はこう続ける。
「だから母は懸命にリサーチしていたんです。いつも一緒に買い物出かけて、黒人の肌トーンに合う製品を探していました。でも、たまには見つかることもあったんです。もっとも、それは現在の製品のようにあらかじめ“設計”されていたのではなく、単なる“偶然”で生まれた製品だと言うことは分かっていたけれど」。
80年代後半にすっぴん風の“ヌード系”のメイクアップが世界的なトレンドになっても、彼女は自身のトレードマークでもある“カラフルでアバンギャルドなメイク”にこだわり続けた裏には、幼少期の体験から市場には白人むけの色展開が中心であることを知ったことが大きく影響している。そしてそれは同時に、現在の自身のブランドでダークトーンの肌にもナチュラルな陰影を作ることができる製品展開を目指すきっかけにもなった。
「普通にアイシャドーを使っても、黒人のダークトーンの肌にのせるとアッシュ系に傾きがちで顔色が悪く見えてしまいます。ですから、私は、すべての肌トーンに合うピグメントの開発にこだわってきました。白人の肌には白い粉っぽく浮かないように、全ての肌トーンの人にしっくりくる色を作ったつもりです」。
最終目標は、ダイバーシティの推進
そんな彼女が現在目指しているのは、美容の世界におけるダイバーシティの推進だ。人種はもちろん、ジェンダーやボディサイズ等あるがままの“美”を表現することだという。
「今世界が求めているのは、あらゆる境界線を越えること。そして自分自身のアイデンティティを取り戻すことだと思うんです」。
元祖プラスサイズモデルのパロマ・エルセッサーやドラッグクイーンのルポール、そして彼女がSNSから発掘したジェンダーフルイドモデルやメイクアップアーティストまで、様々な“タレント”たちとともに、自身の世界観を表現している。
「パロマをSNSで初めて見たとき、すぐにブランドのミューズになって欲しいとオファーしました。彼女は今では様々なメジャーブランドのモデルを務めています。このように私が発掘したモデルたちが業界の第一線で活躍するのを見るととても嬉しくなります」。
現在では世界的にあらゆる肌トーンをカバーするベースメイクのバリエーションやジェンダーレスを謳うビューティブランドも増え、彼女が目指すダイバーシティは着実に拡大の様相を見せている。
「多分私は誰よりもメイクアップを愛していると思います。本当に、取り憑かれていると言ってもいいほどに。私自身は普段はナチュラルメイクですが、ファンデーションは5つのトーンを、そしてリップも3種類混ぜて自分だけの色を作っています。もしかしたら、取り憑かれ方がちょっと違うかもしれませんね(笑)。これまで私はチームの皆に励まされ、私も彼らを励ましながら互いに前進してきました。それはこれからも変わりません。チームのためにも、そして未来のためにも」。
ライター/横山正美
ビューティエディター/ライター/翻訳。「流行通信」の美容編集を経てフリーに。外資系化粧品会社の翻訳を手がける傍ら、「VOGUE JAPAN」やデジタルメディア「VOGUE CHANGE」等でビューティー記事や海外セレブリティの社会問題への取り組みに関するインタビュー記事等を執筆中。
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