誰のためにもならない仕事でお金を稼ぐ。「一人だけの幸せ」は、本当に幸せ?
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
「頑張って良い大学を出て、良い会社に入ったはずなのに、なんだかこの仕事、誰のためにもなっていない気がする」。そんな感覚を抱いたことはありませんか?
広告のクリック数を稼ぐためだけの資料をつくったり、参加者の半分が寝ている会議のために新幹線で出張したり。忙しく働いているのに、その仕事で社会は何ひとつ良くなっていない気がする……そんな虚無感に囚われている人は少なくないでしょう。
そんなモヤモヤに、遠慮なく切り込んでくる一冊があります。世界的ベストセラー『Humankind 希望の歴史』の著者、ルトガー・ブレグマンによる新刊、『倫理的野心を持て あなたの才能を浪費せず、変化を起こすための10章』(野中香方子訳・文藝春秋)です。
人生の8万時間を、誰にあげるつもりですか?
本書は開口一番、人生の8万時間を、誰にあげるつもりですか、と問いかけてきます。
フルタイムで働く人は、生涯でおよそ8万時間を仕事に費やします。8万時間といえば、睡眠時間を除いた人生のかなりの部分です。にもかかわらず、その使い道を真剣に検討したことがある人は、案外少ないのではないでしょうか。就活生のときは「御社の企業理念に共感し」などと語ったはずなのに、気づけば理念どころか、上司のご機嫌という、もっと切実な変数を最適化する日々を送っている、そんな人も多いはずです。
ブレグマンは多くの人が、自分の才能を無駄な仕事に費やしている、と指摘しています。
優秀な人々が、ブルシットジョブで才能を浪費している
本書がとくに手厳しいのは、高学歴の若者たちの才能の使い道についてです。
広告のクリック数を最大化するためだけの仕事、社会的な意味をほとんど持たない業務など、いわゆる「ブルシットジョブ」に、高い給料と引き換えに優秀な人材が次々と吸収されていく構造を、本書は容赦なく描きます。
たとえば、金融業界に就職する新卒のなかには、大学時代は環境問題や貧困について熱く語っていたのに、初任給の数字を見た瞬間に手のひらを返す人が一定数いる、とブレグマンは指摘しています。悪いのは彼らの意志の弱さというより、「稼げる仕事=正解」という空気を誰も疑わずに済むよう、社会全体がよくできている、ということなのでしょう。
耳が痛いと感じる人は、決して少なくないはずです。自分の才能を、いったい誰のため、何のために使っているのか。忙しさに紛れて、その問いから目を逸らし続けてはいないでしょうか?
社会貢献という選択肢も、悪くない
ここでひとつ、興味深いデータを紹介します。
パーソル総合研究所とベネッセ教育総合研究所が立教大学の中原淳教授と共同で行った、就業者6,000人規模の調査によると、社会貢献への意識が高い就業者は、そうでない者に比べて、幸せな活躍をしている割合が2.9倍も高かったそうです。
つまり、他者や社会のために働く意識がある人は、結果的に自分の幸福度を上げられる可能性が高いのだ、と言えるでしょう。
利他的であることが、結果的に自らに利益をもたらすのです。本書が推奨する、「社会をより良い方向に変えるという倫理的野心を持つこと」もまた、ブルシットジョブをしているという倦怠感から自らを切り離し、意義のあることをしているという満足感と幸福感を得られる一つの選択だと言えるでしょう。
「社会をより良い方向に変える」という倫理的野心を持った人の実例
本書では「社会をより良い方向に変えるという倫理的野心」の重要性を説き、社会貢献の意識が高く、社会をより良い方向に変えるために行動した人の実例が複数綴られています。
大企業の不正を告発したハーバードの法学生や、年収数千万円規模の成功したコンサルタントの地位を捨てて途上国からマラリアを一掃することに尽力した人物など、彼らが「倫理的野心」を持ったことで、数々の人々が救われ、社会がより良くなった実例は感動的です。
本書を読めば、「自分も何か社会をより良い方向に変える行動をしてみたい」と思うかもしれません。
とはいえ、「じゃあ、明日から社会活動家に転身しましょう」というのは、家賃を払わなければならない身としては、なかなか難しい相談です。では、今の仕事を今すぐ辞められないけれど、社会をより良くするために行動したい、という人は、何から始めればいいのでしょうか。
今すぐ現状の仕事を辞められない人が、今日からできること
小さく始められることは、案外たくさんあります。
まず試したいのは、自分の仕事の中に「誰かの役に立っている部分」を、意識的に探してみることです。完全にブルシットな仕事など、実はそう多くはなく、多くの仕事には多少なりとも意味のある部分と、そうでない部分が混在しているものです。まずはその境界線を、自分なりに引き直してみましょう。
次に、勤務時間の外側で、小さな「本業と関係ない社会貢献」を試してみるのも一案です。月に数時間のボランティア、専門知識を活かしたプロボノ、あるいは寄付先をひとつ決めてみることでも構いません。本書は、才能を丸ごと転換しなくても、その一部を意識的に配分し直すだけで、感覚が変わり始めると示唆しています。
そして、同じ違和感を持つ同僚を、社内でひとり見つけてみることもおすすめです。本書が繰り返し強調するのは、一人の正義感より、小さな徒党を組んだ人たちのほうが、ずっと強い力を持つ、という事実です。「この仕事、なんのためにあるんだっけ」と、隣の席で同じことを思っている人は、意外と近くにいるものです。連帯できる仲間を見つけられたら、そこから何か変えていけるかもしれません。
あなたの才能を誰のため、なんのために使いますか?
正直に言うと、この本は読んでいて心地よい本ではありません。自分の仕事、自分の時間の使い方を、静かに、しかし確実に問い直される感覚が残ります。著者自身も、この本はあなたの人生を楽にはしないが、より意味のあるものにするはずだと語っています。
それでも、忙しさに追われて「自分の才能をどこに向けているか」を見失いがちな私たちにとって、この本が投げかける問いは、無視できない重さを持っています。
あなたの人生の8万時間は、いま、誰のために使われていますか?
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