「女性は結婚したら辞めるだろう」地元企業の“善意”に潜む性差別と、地方女子プロジェクトを立ち上げた理由【体験談】

「女性は結婚したら辞めるだろう」地元企業の“善意”に潜む性差別と、地方女子プロジェクトを立ち上げた理由【体験談】
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「女性はいつか結婚して仕事を辞めるだろう」地方に根強く残る性別役割に違和感を抱いた一人の女性がいます。地方女子プロジェクト代表の山本蓮さんです。山梨県出身の山本さんは、地元での就職活動や大学で学んだジェンダーの視点を通じて、地方の女性が置かれた現状と向き合ってきました。プロジェクト立ち上げまでの歩みと、活動の根底にある思いについてお話を伺いました。

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就職活動で気づいた「地方の女性差別」

——山本さんが地方女子プロジェクトを立ち上げたきっかけの一つが、就職活動で直面した女性差別とのことですが、当時のことを聞かせてください。

出身は山梨県で、地元と東京の両方で就活をしていました。合わせて40社ほど受けて、そのうち山梨の企業は10社くらいです。地元の企業を回っていると、「うちは女性社員がいないけど大丈夫?」と聞かれることがよくありました。悪気は全くなく、むしろ善意で本当に女性がいないからこそ心配して聞いてくださる感じでした。

総合職・地域職/営業職・事務職といった形で、男女の役割がはっきり分かれている企業も多かったです。「女性活躍」を掲げているところでさえ、時短制度が整っているものの、女性管理職の割合が高いかは別の話。「女性が働きやすい」という言葉が、結局は母親としての子育てと結びつけられていくんです。当時、私は産休育休制度の充実度をそこまで重視していたわけではなかったので、「女性というだけで、いつか結婚して仕事を辞めるだろう」と前提を置かれていること自体が引っかかりました。

もちろん東京の企業がすべて進んでいるとは言えないですし、大企業で制度があっても難しい面もあるとは思います。ただ地元ではほぼ見られない「女性が誰かのサブではなく、経済的に自立して働いて生きていくこと」が東京では想定されていることは大きな違いだと思いました。とはいえ「地方だから」「中小企業だから」諦めていいかというと、そうではないとも思っているんです。

——具体的に印象に残っているエピソードはありますか。

同じ大学の先輩が勤めていた会社を訪問したときのことです。その先輩は営業職で採用されたのに、実際はおそらく女性であることを理由に事務に回されていて、やりたいことが全くできていない状態でした。それで「来ない方がいいよ」と正直に言ってくれたんです。就活で気になっていた企業に行って「来ない方がいいよ」と言われるとは思ってもいなくて、衝撃を受けました。

その先輩のことがずっと忘れられませんでした。田舎の価値観について「好きな人や許せる人が残って、嫌な人が出ていく」といった単純な話ではないと思ったんです。それに私が東京に行って自分だけが抑圧から抜け出せばいいという話でもなくて、地元だからこそよくなってほしいという思いがあって今の活動につながっています。

活動の様子(地方女子プロジェクトよりご提供)
活動の様子(地方女子プロジェクトよりご提供)

当たり前だった地元の性別役割

——就職活動が大きな分岐点だったと思いますが、それ以前にも「これはおかしいのでは」と感じたことはありましたか。

わかりやすい例を挙げるなら、私が住んでいる地域には、毎年の新年会やお祭りなど、地域の人が集まる習慣が残っています。そういうとき、公民館の給湯室に女性がぎゅうぎゅう詰めで料理の準備をしていて、広間では祖父世代の男性たちが待っている光景が当たり前だったんです。上の世代の女性たちを見て「自分がやりたい」とは思わなかったですが、見てきた光景が変わるものだとも思っていませんでした。

また、小さい頃から「働く女性」に憧れてはいました。ただ学生の頃、地元で実現できるイメージはあまり湧かなかったんです。電車で通学していて、朝の通勤通学の時間帯に電車に乗っているのは学生とスーツを着た男性ばかり。「これから仕事に行く女性」の姿はほとんど見かけませんでした。そういう景色の中で、地元で自分が働き続けていくのは難しいのかもしれない、と感じていた気がします。

それから私が高校2年生のとき、父の弟にあたる叔父が自ら命を絶ってしまいました。大学でジェンダーの授業を受けて、男性が弱音を吐きにくい構造、長時間労働のプレッシャー、自殺率の高さといったことを学び、当時叔父が悩んでいたことと照らし合わせて「もしかしたら叔父もこれだったのではないか」と思うようになったんです。「男性だからこうあるべき」といった抑圧が少なければ叔父は生きていられたのではないかと。今の活動は「地方女子」と掲げていますが、性別役割によって追い詰められずに生きられる社会になってほしいという思いが活動の根っこにあります。

——ジェンダーの問題に関心を持ち始めたのは、大学に入ってからでしょうか。

大学で授業を取ったことがきっかけです。それまでなんとなく違和感として感じていたことが、学術的に明らかになっていると知って腑に落ちる感覚がありました。「女性でも努力すれば自立していける社会がある」と信じていたけれど、現実はそうではないと知る場面もあって、少しずつ景色が変わっていきました。

同時に、自分自身への反省もありました。学ぶまで疎かったテーマもあったので知らずに人を傷つけていた場面もあったと思います。「強い女性」に憧れていたことの裏返しで、「そこまで考えていない女性は甘えているのでは」と無意識にジャッジしていた自分にも気づきました。

大学に入った頃は異文化や海外への関心が強くて、まったく違う世界に飛び込まないと新しい視点は身につかないものだと思い込んでいました。でも今ある社会をどの視点から見つめるかを変えるだけで見えてくるものは大きく異なってくる。ジェンダーやフェミニズムを学ぶことでその実感を得られて、考え方が変わったことは私にとって大きな収穫でした。

地方女子プロジェクトが始まるまで

——大学卒業から、プロジェクトを始めるまでにはどんな経緯があったのでしょうか。

大学3年生でジェンダー・フェミニズムに関心を持ち始め、4年生のときに就活での違和感がありました。最終的に就職したのは、地元のベンチャー企業です。就職先の社長に「始まったばかりの会社だから、仕事は自分で作る気でいてね」と言われました。それまで就活を通じて「仕事とは世の中にあるものの中から選ぶもの」だと思っていたので、起業やビジネスを自分で始めるという選択肢があると知ったのは新鮮でした。そこで改めて、「変化を起こしつつ、自分の生活も安定させながら向き合っていく仕事」を考えるようになったんです。就活で味わった悔しさをどうにか解消したいという思いも残っていました。

当時考えていたのは、ソーシャルビジネスとして、女性が地方でも働きやすい求人サイトを作って運用することでした。就職した会社にもその構想を伝えていて、ビジネスプランコンテストに出て色々アドバイスをいただく経験もしています。ただ、もともと求人サイトの領域に強い関心があったわけではなく、勉強しながらいつか形にできるだろうと思っているうちに、気づけば2年が経っていました。

——その2年間で何か変化はあったのでしょうか。

初めてデモに行ってみたり、選挙でしっかり調べて投票するようになったり、賛同する署名に名前を書いてみたり、小さな行動を少しずつ積み上げてはいました。ただ、既にある活動に参加するだけでは物足りなくて、自分で何かを始めたいという気持ちは消えなかったんです。

そんなときに、地方の女性起業家を育成するプログラムに参加する機会がありました。そこで「自分でビジネスを始めたいなら、しかも地方の女性のためになりたいなら、まず地方の女性が求めることを、あなた自身が知っていないとだめだよ」と言われて。もともとはアプリを作ることが最終ゴールのプログラムだったのですが、メンターの方が「あなたはとにかく地方出身の方に話をたくさん聞いた方がいいから」と背中を押してくださって。それが地方女子プロジェクトの始まりでした。

※後編に続きます。

山本蓮さん(ご本人よりご提供)
山本蓮さん(ご本人よりご提供)

【プロフィール】
山本蓮(やまもと・れん)

1999年、山梨県生まれ。地方女子プロジェクト代表。
韮崎市男女共同参画推進委員、内閣官房『地域・職場働き方改革等推進会議』、そして内閣府『男女共同参画推進連携会議』の有識者。Forbes WOMEN AWARD 2025受賞。

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山本蓮さん(ご本人よりご提供)