「障がいなんだから仕方ない」の一言で封じられた。きょうだい児として我慢を強いられ続けた妹の半生【経験談】
障がいのある兄二人の「小さな姉」として、幼少期から我慢を強いられ続けてきたネコゼさん。「普通の子」だからと過剰な期待を背負い、精神的な負担に苦しみながら成長してきました。『家族から放置されて発達障害に気づかないまま大人になりました』(KADOKAWA)原作者のネコゼさんに、後編ではきょうだい児としての葛藤や、家族との現在の関係性、「親亡き後」問題への思いを伺います。
「きょうだい児」としての経験
——ネコゼさんは、3歳上のお兄さんが重度知的障がいと自閉スペクトラム症、2個上のお兄さんが軽度知的障がいという「きょうだい児」でもあったとのことですね。
私は物心ついたときから「小さな姉」でした。当時を振り返ると、障がいのある兄二人は私よりも精神的な成長が遅いため、いつの間にか2人のお世話をすることが当たり前となっていました。ですが、長兄は母にべったりだったので、どちらかというと次兄のお世話が中心でしたね。
次兄は穏やかで優しい性格なので比較的仲が良く、弟のような感覚で接していました。両親が手を離せないときは兄二人が危険なことをしないよう見守り、誰かの迷惑になることなど、やってはいけないことを教える。なにかあればすぐに両親へ報告をしていました。
——日常生活でどんな場面で我慢が必要だったのでしょうか。「健常児」として向けられていたプレッシャーはありましたか?
長兄とは仲が悪くて。母方の祖母が私に作ってくれたぬいぐるみを奪い取られ、長兄のものにされたことや、私が唯一主役になれる誕生日にケーキのロウソクを吹き消そうとしたら、全く関係のない長兄が吹き消して、まるで自分が主役のように振る舞っていたことなど記憶に残っています。こういった私にとってとても嫌だと思うことでも、精神的虐待を含めてどんなに長兄が悪くても「障がいなんだから仕方がない」と我慢を強いられ続けてきました。
健常児だと思われていた私は、今でいうヤングケアラーのような役割を担っていたように思えます。加えて「普通の子」だからできて当たり前というハードルがとても高かったと記憶しています。褒められたくても、兄たちにできないことを私ができるのは当たり前。テストでいい点数を取っても当たり前。習い事で大きな大会に出場しても当たり前。平均よりもさらに上の学校に進学をしても当たり前。
どんなに頑張っても「へぇ、すごいね」と、一言程度褒められるくらいで、さらに実力以上を求められることも多く、プレッシャーはとても重く苦しいものでした。プレッシャーに耐えきれず自傷行為をすることも頻繁で、ほんの些細なことで私の何倍も褒められる兄たちが羨ましく、時には妬ましく感じていました。
両親にとって当たり前と思うことは、私にとっては血の滲むような努力の結果の上にあるもので、決して簡単なものではありませんでした。なので、努力をしても結果が伴わない場合、努力を認めてもらえず、逆に叱られることや呆れられることも多々ありました。
——我慢を強いられてきたとのことですが、ネコゼさんも小さい頃は「我慢しなければ」と思っていたのでしょうか?その考えはいつ変わりましたか?
我慢をすることが当たり前という環境で育ったので、幼少期から無意識のうちに「私がなにを言っても無駄だ」と諦めることが癖になっていました。20代前半で「きょうだい児」という言葉を知ってからは、私と同じように我慢を強いられ続けた人たちを客観的に見て「なぜ障がいがあるからと我慢や理不尽な思いをしなければいけないのか」「なぜ親はきょうだい児に大人の対応や、苦痛となることを強いるのか」と思ったことが、自分自身への言葉となって返ってきてから考えが変わったと感じました。
障がいがある兄弟姉妹だけのために、きょうだい児が犠牲になる必要なんてどこにもありません。強いられたから従うこともおかしいと思うようになりました。
——「衣食住には困らなくて、学費も出してもらっていた」けれども家庭環境がつらかった人は少なくないと思います。ネコゼさんはどういうタイミングで家庭に対して感じていたつらさを自覚することができましたか?
つらさを自覚するようになったのは中学生の頃です。両親から放置されることの寂しさやプレッシャー、兄たちのことで我慢や理不尽な思いをすることに加えて、精神的虐待を受け続けていることに限界を感じて自然と「家に帰りたくない」と思うようになりました。
帰りたくないがために、下校時に学校の近くにある母方の祖父母の家へ頻繁に遊びに行っていました。私の事情を知らない祖父母はいつも歓迎してくれて、その時間だけ家庭環境を忘れてリラックスすることができました。
——「衣食住には困らなくて、学費も出してもらっていた」状況で「ネグレクト」と言われたことは、どのように思いましたか?
最初は「大げさだ」と感じました。それまで私のイメージするネグレクトは、ニュースになるような悲惨なことだと思っていたからです。
しかし、執筆を通して自分の過去を振り返ると、明らかに異常だと思うことが多くありました。両親からの放置や気分次第の無視・洗顔や歯磨きなど衛生面のことを教えてもらえなかったこと・兄たちとの露骨な扱いの差・兄弟姉妹間の精神的虐待に我慢を強いるなど、当時は「それが当たり前」だった記憶が「ゾッとするような家庭環境」に変わり、よく今まで無事に生きてこれたなと感じました。
「兄の面倒は見ない」と宣言したけれど
——現在、ご家族とはどういった距離感なのでしょうか?
現在は母からのメールが1〜2日に1回程度で、本心でのやり取りではなく上辺だけの他愛のない内容がほとんどです。両親は長兄が通う就労継続支援B型事業所の役員をしているため、たまにその話題が出てくると体調が悪くなってしまいます。
以前は月に1回は会っていましたが、ここ数年は強迫性障害の症状で実家へ行くことが苦痛となり、会うのは年に2回程度になっています。実際に家族に会っても実家にいた頃のように上辺だけの会話しかせず、本音を口にすることはありません。なぜか長兄は私が実家を出てから「自分が私から虐められている」という態度を取るため、私は長兄が視界に入ることすら憎悪するようになりました。
——きょうだい児の「親亡き後」問題に関してはどうお考えでしょうか?
10代後半の頃からずっと不安を抱いています。「もしものときに障がいがある兄弟姉妹はどうなるのだろう。生活や金銭面はどうすればいいのだろう。まさか自分が面倒を見なければならないのか。じゃあきょうだい児は大人になっても障がいのある兄弟姉妹に縛られ続けなければならないのか」おそらく多くのきょうだい児がこれらのことに悩んでいることと思います。
兄弟姉妹間の関係性は多々ありますが、私の場合は自分のことで手一杯、過去にされた仕打ちは心の奥底で癒えることのない深い傷となって、今でもなお苦しめられている。なのに、未来まで兄たちのことが中心となった生活を送るなんて絶対に嫌だと決意して、両親に「将来兄二人の面倒なんて絶対見ないから」と宣言したところ、父は「お前には面倒をかけない」と言いました。
だったらなぜ早いうちから成年後見人を決めないのだろう。兄二人は自力で生活できる能力がないのに、なぜグループホームなどを探さないのだろう。なぜ面倒をかけないと言ったくせに、兄たちの保険に関することを私に任せようとするのか。
——言葉と行動のギャップに不信感を抱いているのですね。
正直、兄たちが今後生きる上で書類の捺印ひとつもしたくありません。「面倒をかけない」と言っておきながら、自分たちが動けるうちはかわいがり、あとは私に任せようとする魂胆が目に見えている状態です。きょうだい児が安心して自分の人生を歩めるように、親はきょうだい児に依存するのではなく、早い段階から将来のことを真剣に考え、行動に移して欲しいと切に願います。
——ネコゼさんと同じような状況で悩んでいるきょうだい児がいたら、どんな言葉をかけますか?
きっと言葉では言い表せないほどの苦労をしてきたことと思います。障がいがある兄弟姉妹のことで、子どもの頃から寂しさや我慢を強いられ、不安や憤りに耐え、悩み苦しむことに疲れ切っているでしょう。そして誰かに相談したくても言えず、自分の中にしまい込んでいる人も多いかと思います。自分では気づかないうちに、たくさんの傷を背負って生きてきたことでしょう。将来のことを考えて「自分がなんとかしないと」と思う反面「なぜ自分がやらなければいけないのか」と葛藤する気持ちは痛いほどわかります。
兄弟姉妹を始めとした家族から一歩引いて、自分の人生を見直してみると、人生のほとんどを兄弟姉妹や家族に費やしていませんか。あなたの人生は決して誰かに脅かされ、捧げるものではありません。つらかったら逃げてもいいと思います。そのことで誰かに責められるなら、その人にあなたの立場を代わってもらえばいいのです。自分自身を大切にしてください。それだけあなたは頑張って頑張り抜いてきたのですから。
【プロフィール】
ネコゼ
転院を機にADHDの混合型、アスペルガー症候群のグレーゾーンと診断される。
自身の過去を振り返って執筆した作品で魔法のiらんど大賞2021コミック原作大賞 実話・エッセイ部門特別賞を受賞。
※メディアとしての表記ルールの都合上、固有名詞・引用を除き「障がい」と記しております。
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く


