頭をぶつけ泣く私に父は「“普通の子”だから大丈夫」障がい児の兄2人の陰で放置され続けた妹の記憶【経験談】
重度知的障がいと自閉スペクトラム症、そして軽度知的障がいと、二人の障がいのある兄がいる家庭環境で育ったネコゼさん。小学生の頃から強迫性障害を抱えながらも、家族に気づかれることなく成長してきました。ネコゼさん自身も大人になってからADHDと診断され、アスペルガー症候群のグレーゾーンであると判明し、幼少期に受けた両親からのネグレクトや、長兄からの精神的虐待とも改めて向き合うことになります。『家族から放置されて発達障害に気づかないまま大人になりました』(KADOKAWA)原作者のネコゼさんに、これまでの歩みや症状との付き合い方についてお話を伺いました。
小学生から始まった強迫性障害
——ネコゼさんは、ずっと「強迫性障害」の治療をしているとのことですが、最初に異変を感じたのはどんなときだったのでしょうか。
小学校低学年の頃からです。当時は幼く病識がなかったため「世界中の誰もが強迫観念や強迫行為を抱えて生きている」と思い込んで、強迫性障害による苦痛を感じながらも、ただ耐えて生活していました。そして成長とともに苦痛が増長し、症状に違和感を覚えるようになってきました。
明確に異変を感じるようになったのは中学生のときです。強迫性障害による強迫行為を恥じるようになり、家族や友人に見られたくなくて。コソコソと強迫行為を行う自分に対し、次第に「こんなことをしてなんの意味があるのだろう」と感じ始めました。
——それ以降、どのような症状に悩まされているのでしょうか。
症状はたくさんあるのですが、異変を感じた頃から現在も続いている症状を挙げると「とても強い嫌悪感を抱いたときに持っていた物に触れることや近づくことができなくなる」「自分よりも年上の男性に対する不潔恐怖」に悩まされています。
——強迫性障害の治療について、どのようなことをされてきましたか。
主に投薬です。数年前に認知行動療法という治療も受けましたが、個人差があることや症状がとても複雑であるためか、私にはあまり効果は得られませんでした。ですが、認知行動療法を終了してからも、治療で取り組んだ課題を自主的に行ってきました。とても長い時間がかかりましたが、以前よりほんの少しですが自分でできることが増えました。
大人になってから発覚した発達障がい
——強迫性障害の通院先が変わったことによって、ADHDと診断され、アスペルガー症候群のグレーゾーンであることがわかったとのことですが、最初に診断を受けたときどのように感じましたか?
発達障がいと診断されたときはショックでした。というのも、自分の中で発達障がいは幼い頃に判明するものだと思っていたからです。また、生きづらさの原因だったにもかかわらず「普通の子ども」だから見過ごされていた、両親は自分に関心などなかったんだ、と再認識したことがショックに繋がったのだと感じます。同時に「今までの困りごとは発達障がいが原因だったのか」と腑に落ちた部分もありました。
今思うと健常の子を一人育てるだけでも大変なことなのに、障がいのある子を二人も育てている中で、もう一人の「普通の子ども」まで両親は手が回らなかったのだろうと思います。だからといって放置してもいいという理由にはなりませんが……。
——発達障がいについてはどのようなことに悩んできたのでしょうか?
多々ありますが、物忘れが酷いこと、人の気持ちを察することができないことに悩んできました。特に物忘れは幼い頃から悩まされ、言われたことや宿題や持ってくるものを忘れる、油性ペンで手の甲にメモをしても忘れてしまいます。
またクラスメイトとお喋りをしているとき、なぜ相手を怒らせてしまったのかわからないことが多々あり、人の輪に加わることが苦手でした。
——日常の中でどんな工夫をされていますか?
たとえばですが、忘れ物を防ぐために鞄には決まったものを固定の位置に入れておくようにしています。鞄もどこに何が入っているかわかりやすいデザインを選んでいます。
また、カレンダーを見る習慣を身につけて、予定の確認をして前日のうちに準備をするよう心がけています。このおかげで忘れ物はかなり減りました。
——発達障がいに関して、合うお薬が見つかってから困りごとが減ったとの描写もありましたが、現在はいかがでしょうか。
自分に合ったお薬の効果や、困りごとに対する主治医からの提案や自分なりの工夫をして、以前よりは困り事がとても減りました。それでも言われたことを察せずそのまま受け取ってしまうことに加え、服薬だけでは補いきれないワーキングメモリーの低さや失言も重なって、本当は仲の良い関係を築きたくてもトラブルになりやすい状態となっています。このことで身近な人、特に夫とのトラブルが頻繁にあります。
家庭でのネグレクトと精神的虐待
——発達障がいの診断を受けた際に、医師から生まれた家庭での親からのネグレクトやお兄さんからの精神的虐待の可能性を指摘されていましたが、改めて生まれた家庭での環境についてお伺いしたいです。
父方の叔母から聞いた話では、私がつかまり立ちをしている頃からネグレクトは始まっていました。親戚の家で私がつかまり立ちをしていた際、ローテーブルに頭をぶつけてしまい泣いているのに、両親は兄たちのことに夢中で、私のことなどまるで眼中になかったそうです。
居合わせた叔母は私が怪我をしていないか確認をして、両親に「もし怪我をしていたらどうするのか」と怒ったところ、父は「その子は“普通の子”だから、それくらい大丈夫」と答え、叔母は呆気に取られたと大人になってから知りました。
強迫性障害の症状に気づいていたのに放置され続け、同じような怪我をしても、兄はすぐに病院へ連れて行き、私は絆創膏だけで済まされたりと、扱いに大きな差がありました。「放置するくらいならどうして私を産んだのだろう」「私は兄たちの世話をさせるために生まれたのだろうか」……思春期に入るとこのことばかりが頭に浮かび、長兄からの精神的虐待も加わり、私は高校生の頃に限界を迎えて、母方の祖父母の家へ居候することにしました。
——お兄さんからの精神的虐待とはどのようなことがあったのでしょうか。
長兄からの精神的虐待は、私が実家を出るまで何年も毎日のように続いていました。食事の時、長兄はずっと睨みつけながら私を監視して、私が一口でも食べると奇声を上げながら激昂し、食器やテレビのリモコンをテーブルに強く叩きつけ、テレビの音量を耳が痛くなるほど上げ、チャンネルをザッピングします。
さらにストーブを蹴り飛ばして炊飯器の蓋を乱暴に開け閉めして、また食卓へ戻るということを食事中ずっと繰り返していました。食べるものに困っていないのに、長兄は「食べ物」と「母」に異常なまでの執着をしており、私が母とちょっと会話をしただけで怒り狂い、テレビの音量をわざと上げて母の気を引こうとします。
——落ち着いて過ごせる環境ではないですね。
そうですね。また、私がなにもしなくても一緒の空間にいるだけで長兄がそれらを行うことや、耐えかねて私が「やめて」と長兄を怒ると、逆に私が「障がいなんだから仕方ない」と母から怒られるんです。さらに怒られている私を、長兄が満足そうにニヤニヤしながら見ていることがとても気持ち悪く思えて仕方ありませんでした。
父が家にいると長兄の態度は一変し、父の前ではケラケラと笑って「かわいらしい子ども」になるため、こういったことは一切しませんでした。当時、父は怒るととんでもなく恐ろしかったため、長兄自身、おそらく私に対して「悪いことをしている自覚」があったのだろうと思います。
長年このような仕打ちを受け続けた結果、私は他人の前で食事をすることがとても苦痛となり、給食の時間はとてもつらく、常に緊張していたことを覚えています。また蓄積されたストレスで強迫性障害が悪化してしまっただけではなく、長兄に対しての憎悪が危険な領域に達したときもありました。そして家庭環境はあまりにもつらいことが多く、記憶が抜け落ちてしまった箇所がいくつもあります。
※後編に続きます
【プロフィール】
ネコゼ
転院を機にADHDの混合型、アスペルガー症候群のグレーゾーンと診断される。
自身の過去を振り返って執筆した作品で魔法のiらんど大賞2021コミック原作大賞 実話・エッセイ部門特別賞を受賞。
※メディアとしての表記ルールの都合上、固有名詞・引用を除き「障がい」と記しております。
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