欠点をなくすことは美しさにつながるのか|連載 #こころをほどく

欠点をなくすことは美しさにつながるのか|連載 #こころをほどく
渡邊渚
渡邊渚
2026-07-31

元アナウンサーの渡邊渚さんが、自身の心に宿る想いをひとつずつほどきながら、心身のつながりや揺れ動く気持ちを綴るエッセイ連載。

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美しくなりたい、欠点をなくしたいという思いは、老若男女問わず、誰もが抱くものだと思います。

近年は整形にかかる費用もどんどん安くなって、SNSを見れば「ヒアルロン酸入れました」「糸リフトやりました」「美容のために渡韓!」なんていう投稿もよく見かけるようになりました。

過剰なまでに広告が出てくることもありますよね。

また、最近は糖尿病治療薬のマンジャロが痩身目的で安易に処方され、本来必要な人の手に行き届かなくなる問題も話題になっていました。

現代社会には、見た目の欠点をなくす選択肢が溢れています。

今回は、「欠点をなくすことは美しさにつながるのか?」を考えていきたいと思います。

 

高校生の頃、春休みを終えて新学期になったら、先輩の顔面が大きく変化していたことに衝撃を受けた記憶があります。

どうやらその先輩たちは長期休みに韓国に行って二重や鼻をいじったそうで、校内で噂になりました。

ひと昔前は、美容整形といえば費用も高額で、隠すものという風潮がまだ強くありました。

当時の私にとっても整形は遠い世界の話で、渡韓してまで施術を受けた先輩たちはかなり珍しい存在でした。

しかし現代では、数万円で二重にできたり、プチ整形が数千円から受けられたりと、美容医療のハードルは劇的に下がっています。

手に届きやすい価格帯で、学生でもお小遣いやバイトでやりくりできる範囲なため、今の高校生にとっては美容整形、美容医療のハードルはとても低いです。

私は仕事で学生と関わる機会が多いのですが、彼らの話を聞いていると、「整形で手軽にお直しできる、気に入らないところは直していい」という軽い感覚で捉えているように感じます。

「気に入らないところは直していい」という発想は私にはなかったので、とても新鮮でした。

外見は人間関係や自己認識に大きく影響を与えますが、特に青年期はそれが顕著にあらわれますよね。

見た目のいい子が校内のヒエラルキーの上位へ君臨しがちだし、見た目が原因でいじめにつながることもしばしばあります。

見た目の欠点を減らしたい理由には、さまざまな背景があると思います。

また、病気による瘢痕や生まれつきのあざなど、本人が努力をしてもどうにもならないものもあると思います。

だから、私は整形を否定しません。

 

実は私も一度、美容医療をやったことがあります。

稗粒腫のレーザー治療です。

私は生まれた時から、目の周りにできる白いプツプツ、稗粒腫がありました。

小さい頃は気にしていませんでしたが、年齢を重ねるにつれて、そのポツポツが気になり出して、醜く思うようになりました。

画面に映る仕事をしていたので、画質の良いカメラに撮られた自分を見て、落ち込むことも多くなり、一度レーザー治療を受けてみることにしたのです。

やってみて、確かに少しは綺麗になりました。

でもかなりの痛みで、治療後2〜3週間は血が滲んでしんどい日々でした。

多少は綺麗になったけれど、痛みと引き換えにするほどでもなかったし、欠点をなくしたところできれいになりたいという欲は満たされませんでした。

「こんな痛みと闘うのがバカらしい!稗粒腫があって何が悪い!」とその時やっと白いプツプツを受け入れることができました。

それから、私はこういった顔への施術は二度としないと決めました。

 

誰にでも、その人にしかわからない欠点はあります。

周りからしたら大したことなくても、本人にとっては大きな問題。

そして、その欠点はどんどん大きなものになってしまいます。

その欠点を埋める手段がどうしても整形や美容医療しかないのであれば致し方ないし、それで笑顔で生きていけるなら意義があると思います。

美しさのために痛みに耐えるのも、ある種の自分磨きなのかもしれません。

ただ、私がどうしても納得いかないのは、マンジャロなどの薬を、本来の目的とは違う用途で使用することです。

マンジャロは、2型糖尿病の治療薬。

それが「痩せる薬」として消費され、「打つだけで痩せる」という広告まで見かけるようになりました。

私が違和感を覚えるのは、病気の治療や管理のためにある薬までもが「美しさを売る商品」になってしまったことです。

そして、その犠牲になるのは、本来必要としていた糖尿病の患者です。

 

私は、身体を変えること自体は反対ではありません。

しかし、欠点が商品になっていく社会には違和感を感じています。

二重、涙袋、小顔、鼻の高さ、体重、体脂肪……。続々と、街やSNSの広告は、私たちが気づいてもいなかった場所を「直すべき欠点」として刷り込んできます。

美しさを求めて、次々と提示される「欠点」を埋め続けるマラソンにはゴールがありません。

例え欠点をなくしても、また次の欠点が出てくるのが目に見えています。

美しさを求めて、永遠に欠点をなくし続けるマラソンなのです。

自分が満足する美しさには、一生辿り着けない可能性が大きいです。

だからこれを読む皆さんには、欠点を作り続ける社会構造に惑わされないでほしいです。

欠点は本当に自分のものなのか。

誰かによって教えられた欠点を、自分のものだと思い込んでいるだけではないのか。

欠点をなくせば、本当に美しくなれるのか。

今一度考えてみて欲しいです。

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