「死にたい」って思う自分はおかしい?希死念慮と20年共に生きる漫画家が描く「消えたい」との共存

『死にたがりやさんの明日生きるため日記』(はちみつコミックエッセイ)より
『死にたがりやさんの明日生きるため日記』(はちみつコミックエッセイ)より

「死にたい」という気持ちを抱えながらも、日常の小さな幸せを見つけて生きていく——。そんな希死念慮との向き合い方を描いたコミックエッセイ『死にたがりやさんの明日生きるため日記』(はちみつコミックエッセイ)が話題を呼んでいます。作者の加藤かとさんは、20年以上、希死念慮と共に生きてきた当事者でもあります。「死にたい気持ち」と「生きていて楽しい気持ち」は共存できるのか。世間に誤解されがちな希死念慮の実態や、作品に込めた思いについて伺いました。

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※本記事では希死念慮に関して触れています。ご自身の体調とご相談してお読みいただければ幸いです。

希死念慮とはどういうもの?

——本作はニジコという架空のキャラクターを通じて、加藤さんもお持ちである「死にたい」という気持ちについて描かれています。加藤さんにとっての「希死念慮」とはどういったものでしょうか。

私にとっての希死念慮とは、常に頭の隅にふわふわと「死にたい」という気持ちがあるような状態で、作品の中では「きっしー」というキャラクターとして描いているものです。

普段はニジコと同じで「死にたいな、消えたいな」くらいの軽い感覚なのですが、ふとしたときに気持ちが大きくなってしまうことがあります。

20代で、母から「産まない方がよかった」と言われたときから出始めました。今44歳なので、20年ほど希死念慮を持ちながら生きています。

——作中で「希死念慮はあるけれども死なない」と描かれていますが、どういった感覚なのでしょうか。

死にたいと思っても、実際自殺するとなったとき、どれも苦しかったり痛かったりしますよね。それらに怯えて実行できないということです。

また、実行したとして死にきれなくて、普通に日常生活を送れない状態になったら、家族に迷惑をかけてしまうのではないか……といったことも想像します。

実行しない理由として一番大きいことは、残された側の気持ちを考えてしまうからです。作中でも描いているとおり、私自身も「残された側」の経験をしたことがあるので。

自分は死にたいですが、夫や子どもたち、周りの人が悲しむことは避けたいので、死なないようにしているという感覚ですね。

『死にたがりやさんの明日生きるため日記』(はちみつコミックエッセイ)より
『死にたがりやさんの明日生きるため日記』(はちみつコミックエッセイ)より

希死念慮には波がある

——加藤さんの希死念慮の程度には波があるのでしょうか?

基本的には希死念慮が重い方からしたら、「全然軽いじゃん」と見えるぐらいの状態だと思うんです。ですが、気持ちが落ち込んでしまったときに、希死念慮が大きくなってくるような感覚があります。

実際、病院に行かなくても生活できているものの、希死念慮を持っている方は決して少なくないのだと、感想をいただく中でわかりました。程度としては軽くとも「死にたい気持ち」を持つことがありますし、誰でも持つことがあり得るのではないかと思っています。

——理想としては病院やカウンセリングへ行った方がよくても、加藤さんがそれらの選択をとってこなかったのには理由があるのでしょうか?

作中でも少し描いたのですが、父親に精神科へ行くように強制されたことがありました。体調が悪くて思うように生活できなかったとき、父親に「お前は鬱だから診断書を取ってこい」と言われ、嫌だったのですが行くしかない状態になってしまって。

作品で描いたように、病院で邪険にされたような感覚があって、精神的な不調を抱えても、もう精神科には行きたくないと思いました。その後、希死念慮が出たときにも「また同じ経験をしたら」と思って、病院に行こうとは思えなかったです。

私自身は病院へ行っていないですが、精神的に不調を抱えている人が病院へ行くことを否定しているわけではありません。

——希死念慮について、世間と認識のギャップを感じることはありますか?

希死念慮を持たない方や専門家でない人は、「死にたい」という言葉の強さから、「そんなこと言っちゃダメだよ」と思ってしまうのだと感じています。

世間一般に「死にたいと思っちゃダメ」という価値観があるからこそ、希死念慮を持った人たちが「こんな気持ちを持つ自分はダメな人間だ」とか「元の自分に戻らなくちゃ」と思って、鬱状態のループに入っていったり、苦しくなってしまう原因の一つになっているのではないでしょうか。

——希死念慮=すぐに行動に移したい人、というイメージを持たれやすいですが、加藤さんの感覚としての希死念慮の幅というのは、どういったものでしょうか。

すぐに行動に移してしまうような重い感覚を持つこともありました。ですがそれだけではなく、「死にたい」というよりも、希望が持てなくて「消えたい」「今すぐいなくなればいいな」という感覚が私はすごく大きいので、広い意味で希死念慮は存在すると思っています。

強い気持ちが湧くこともあれば、日々ゆるやかに「消えたい」という気持ちを持つこともあります。重い希死念慮を常に持っている方にとって「それは希死念慮じゃない」と思われることもあると思います。

でも、本人が消えたいなとか、軽くでも死にたいと思っている状態が、冗談ではなく本当に起きていることなのであれば、それは希死念慮ではないかと私は思います。

「死にたい気持ち」と「生きてて楽しい」は共存する

——作品の中で、ニジコさんが日々幸せに感じた瞬間を描くということをされていました。希死念慮を持っていても、生きててよかった・生きてて楽しいという感覚は共存しているのでしょうか?

もちろん一人ひとり違う部分はあると思うのですが、私の場合は共存しています。ただ、死にたいという気持ちが大きくなったときには、私の場合は一晩ぐらいで、長引くことはあまりないのですが、そのときには嬉しいとか楽しいといった感情はなくなります。

ゆるやかに「消えたい」と思っている、比較的軽い状態のときは、おいしいものを食べたらもっと食べたいと思いますし、楽しい経験をしたらもっと楽しいことをしたいといった感情が湧いてきます。そうやって希死念慮と楽しむ気持ちは共存していて、そのおかげで生きられている部分もあります。

※後編に続きます。

 

『死にたがりやさんの明日生きるため日記』(はちみつコミックエッセイ)
『死にたがりやさんの明日生きるため日記』(はちみつコミックエッセイ)

【プロフィール】
加藤かと

猫を3匹飼ってる猫好きの漫画家。
福井県出身/現在も北陸在住

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