守られまいとした私が、守られていると気づくまで|連載「本当は何を望んでるの?」

守られまいとした私が、守られていると気づくまで|連載「本当は何を望んでるの?」
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uka
濠うか
2026-03-28

社会や他人の期待の中で、いつのまにか見失っていた「私」を、もう一度見つけにいく。誰かのためではなく、ただ、自分の心をやさしくやさしく、ほどいていく。この連載は、濠うかさんが「自分を取り戻す」ために歩んだ、小さくて深い、気づきの旅の記録。

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数ヶ月前のこと。

仕事に向かうため、自転車で最寄りの駅まで向かっていた私は、すごい勢いで追い上げてきた背後の自転車に気づかず、追い越されたと同時にバランスを崩し、車道のど真ん中に自転車ごと倒れ転んでしまった。

土曜日の昼間の吉祥寺の大通り。休日を楽しむ人々の視線が、派手な音を立てて地面に倒れ飛んでいった私一点に集中する。靴も自転車も吹き飛び、右膝に走った激痛と同じくらいの恥ずかしさが込み上げてくる。

そんな突然の衝撃に、一瞬意識が遠のきそうになったその瞬間「ここで意識を無くしたら、誰かが私を助けてくれてしまう!」という、なんとも面倒くさそうな声が頭を支配して、私はハッキリと意識を取り戻した。

身体の痛みを凌駕するように、電流のように湧き上がった強い意識。本当に、反射的な反応だったように思う。

ピクッと足を動かした瞬間、はっきりと骨折している感覚があった。そのまま倒れ込んでいれば、1分もしないうちに誰かが駆けつけ、手を差し伸べ、肩を貸して、転がった自転車を回収し、救急車を呼んでくれていたはずだ。

けれど私は、手を差し伸べる隙を与えないかのように反射的に立ち上がり、自転車と靴を歩道へ移動させ、痛む右脚を引きずりながら、歩道沿いの段差に座り込み、街ゆく大勢の視線を浴びながら、数分間にわたって救急車を“呼ぶフリ”をし続けた。

一連の大惨事を目撃していた人たちが視界から消えた頃、ようやくヨロヨロと立ち上がったものの、体重をかけた瞬間ブラックアウトしてしまいそうな激痛が右膝に走りながらも、自転車を松葉杖代わりにして近くの駐輪場まで自転車を移し、その場所にタクシーを呼んで、ひとり病院へと向かった。

診察結果は、全治約1ヶ月半の膝の関節内骨折。診察をしてくれた先生には、「これは痛かっただろう…」と、顔をしかめられた。先生のその表情を見た瞬間、「なぜ私はこんなにも頑なにひとりで病院に辿り着くことにこだわっていたのだろう」と、なんとも言えない気持ちになってしまった。

しかし、思い返せば、私は昔からこうだった。

入院する時も、家族や友人のお見舞いを事前に断っていたし、赤ん坊の頃から、親の添い寝を嫌がる子だったと母からよく聞かされていた。おそらく生まれつきなのだろうと思い込んでいた。けれど、実際のところは、意識的にそうしたぬくもりを遠ざけてきたのかもしれない。

「誰かが守ってくれるわけではない」
「誰かに代わってもらえるわけでもない」
「だから、いつもちゃんとしていなければいけない」
「迷惑をかけないようにしなければいけない」

本当のところは、守ってもらいたい、代わってほしい、そんな思いがあったのかもしれない。けれど、そんな思いを無効化するような、どこか脅迫的に自分を奮い立たせるような感覚が、これまで何よりも私を導き、強くしてきたとも自覚していた。しかし、今回の事故での自分の立ち振る舞いから、あまりにも強すぎる“守られまい”とする気持ちが、私の世界をどこか窮屈なものにしているのでは、とも考えるようになった。

診察から1週間を安静に過ごすことを余儀なくされた私は、ベッドの上で何気なく一本の映画を観た。

『おおかみこどもの雨と雪』は、平凡な主人公、花と、人間に形を潜めて暮らしていたおおかみ男の間に生まれた、おおかみと人間の血を引くこども、雨と雪の成長を中心に、そこに立ち上がる様々なドラマを描いたアニメーション映画作品だ。

おおかみ、人間、どちらの血も引くこどもたちの選択肢を狭めないため、苦労して地方に越してきたはずの花だったが、作中、花は“花が望んだ形で”こどもたちを守ることはできない。

おおかみの姿のまま家を出て、そのまま帰らぬ人になった旦那と同じ結末を迎えてしまうかもしれない我が子を守ろうと必死に生きる花のことを誰も責めることはできない。しかし、花はいつからか、その願い自体に生かされ、本来願っていた、こどもたちの自由な未来を、花自身の手で狭めようとしてしまっていたのだ。

守りたい、どうか傷付かないでほしいという切なる花の願いと、それを痛いほどに感じながらも世界に踏み出し、体当たりで傷つき学びながら生きていきたいという雨の望みは、実は同時に存在することができることを理解することができた。守る、守られる、というのは、私が理解している以上に二元的ではなかったのだ。

“完治”には1ヶ月半かかることに変わりなかったものの、私は事故から1週間で松葉杖を返却し、3週間でギプスを外して歩けるようになった。先生には「脅威のスピードで回復したなあ!」と、笑われてしまった。

再び自分の足で歩き始める中で、これまでの自分自身の歩み方と、どこか確実に違っている感覚を覚えた。それは決して、膝の関節の感覚がおかしいとか、そういうことではなく。

帰る場所があること、心配してくれる人がいること——

その存在に意識的に背を向けながら、それでも一歩一歩、自分の足で地面を踏みしめているという感覚。そのたびに、“私を生きる力”が静かに湧き上がってくる。

そこにあるけれど、帰らない。そこにあるけれど、支えにしない。ただ、あるという事実に胸の内で感謝し、ときどきそれを言葉にできれば、それでいい。

“守ろう”としてくれている誰かに背を向けることは、“守られる”ことを拒むことではなかったのだ。そんな一歩一歩の理解が、これからを歩む私の足取りを、かつてないほどに軽快なものにしている。

どんなに強くひとりで生きていると思っていても、いつどんな時も私たちは誰かを守り、そして、守られている。

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