私が私であることに"申し訳なさ"を感じずにいられる場所を探しに|連載「本当は何を望んでるの?」

私が私であることに"申し訳なさ"を感じずにいられる場所を探しに|連載「本当は何を望んでるの?」
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uka
濠うか
2025-10-29

社会や他人の期待の中で、いつのまにか見失っていた「私」を、もう一度見つけにいく。誰かのためではなく、ただ、自分の心をやさしくやさしく、ほどいていく。この連載は、濠うかさんが「自分を取り戻す」ために歩んだ、小さくて深い、気づきの旅の記録。

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職場を離れてから、約10ヶ月後の秋。私は、再度転職活動に明け暮れるようになっていた。「自分を取り戻す」という言葉を頭に浮かべながら毎日を過ごし、夏には「自分のコアである“心”が今何を求め、どのように生きたがっているのか」という内容で、初めての個展を開催した。

いま思い返すと、あれもまた「誰かのため」の試みのひとつだったのかもしれない。けれど、とにかく何かをしていないと気が済まなかった当時の私は、考え始めると止まらない何かから逃れるように、日々の時間を制作に費やしながら、しばらくを過ごした。

どうにか開催にこぎつけた個展の2日目。その数日前から、深く咳き込んでいた父が倒れ、医師からは「最悪の場合、あと2日生きられないかもしれない」と告げられた。いつも健康で快活だった父が倒れたことは、私たち家族にとって、想像以上に大きな出来事だった。

これまで、この社会においてあまりに頼りなさすぎる自分という存在を、誰かの役に立つことで正当化することばかりに精一杯で、家族とほぼ向き合わずに過ごしてきたせいか、親が年を重ね、着実に年老いていっていることを、27歳にして初めて理解した。

同時に、自分の人生が、「自分の選択」だけで拓かれていくものではないという事実に、強い不安を感じるようになっていった。当時、個展の制作を通じて、社会における自分の身体やジェンダーに関するしがらみから、少しばかり解き放たれたように思えていたが、転職活動で社会に向き合う時、私がトランスジェンダーである事実と、それを取り巻く社会の環境は、あまりにも現実的に私に迫ってきた。

当面の生活費を稼ぐために、高給の派遣バイトやスポットバイトのサイトにも目を通すようになったが、どの求人にも、申請ページの最初に必ず性別の確認画面が表示され、その度にそっとページを閉じた。

これまで、自分のジェンダーアイデンティティの影響で、他の人よりも選択肢が少ないという立場に置かれてもなお、果敢に前に向かって生きてきたからこそ手にしていた、携わる仕事へのこだわりを簡単に手放すことはなかったが、それらをいくら手放しても、まだ20代にも関わらず、数度の転職を経験し、約1年間もキャリアブレイク期間を設けていた、高卒のトランスジェンダーである私の書類を通す企業を見つけ出すのは、これまで以上に難しい状況になっていた。

そんな事を繰り返しているうちに「いっそのこと、トランスジェンダーという属性を活かさないと生きていけないのかもしれない」と、無理やり自分を説得し、トランスジェンダーでも働けるミックスバーや、銀座の高級クラブの面接を受けたりもした。

けれど、いざ様々な文化やルールのもとで、プライドを持って懸命に働く人を目の前にすると、「ただ当面生きていくお金を稼ぐために」という気持ちだけで働くという選択が、どうしてもできなかった。

そんな途方に暮れる日々を過ごしていた頃、10代の頃から私を気にかけ続けてくれている姉のような存在である、“彼女”と、久しぶりにランチをすることになった。私は席につくなり、この数ヶ月で起きた様々なことを取り止めもなく彼女に話した。

「と…、まあこんな状況なので、会社員として月にいくらか安定した金額をもらえる環境に戻ろうと思っているんです」と、話をひと段落させると、彼女は口の両端を結んで、何か言いたげな顔を少し浮かべた後、「ごうちゃん…」と、私の方に身体を向き直し、まっすぐに話しはじめた。

「あなたは10代の頃から本当にまっすぐで、真面目に誠実に生きてきたよね。…でも、あなたは本来もっと自由な存在であることに、そろそろ気がつかなきゃいけない時なんだと思う」

「私も若い頃は、“女”として生きることに囚われて、求められる、求められないなんて、狭い世界の中で生きて泣き喚いてきたけれど、パパと出会って、息子たちを産み育てるうちに、どんどんと不必要なものが削がれていき、これまでの私だったら考えられないほどに、より自由にたくましくなっていったの」

「これからの時代を生きていく中で、社会における性別なんて、きっと、あってないような世の中になっていくはず。でも、“今”あなたが会社員に戻っても、今後しばらくは、社会における性別は“男”か“女”という前提のまま。あなたがこれまで通りに自分の道を切り拓いても、そんな前提の場所に身を置き続ける限り、きっといつまでもどこか肩身狭く、誰かに申し訳ない…なんて思いながら生きていくんじゃない?」

そして「あなたは、もう強くならなくていい。あなたは、あなたがあなた自身であることに、何の申し訳なさも感じずにいられる場所で生きなさい」と、目を逸らさずにはっきりとそう言った。

食後のコーヒーを飲み終え、真っ青に晴れた空の下、駅に向かうまでの道のりで「次に会う時、ごうちゃんがどんな風になっているのか、今から楽しみだなあ〜」と、上機嫌に彼女が口にした後、互いに軽く手を振って、私たちは解散した。

私が私自身であることに「申し訳ない」と思わず生きていける場所。

私が私自身として、ただただ生きるための活動を続けられる場所──。

もう少しで、あれからまた1年が経とうとしている。この1年も、ここでは書き尽くせないほど本当に様々な出来事が起きた。

「誰かの役に立たなきゃ」「愛されるように努めなきゃ」「そうしないと価値を見出してもらえない」——そんな風に生きてきた癖が、今もまだ、ふと身体全体を支配する。

けれど、日々悩み、泣き笑いながらも、過去と未来に縛られて、今の私が“思い描いた私”じゃないことを嘆くことよりも、今日の私に精一杯向き合うことができ始めているように思う。

身体、心、生活、そのひとつひとつにまなざしを向け、逸る思考に私自身の声で声をかけ、手当てする。どんな風に呼吸をして、どんな風に身体を運ばせ、どんな調子で話かけ、どんな風に触れたらいいのか。ひとつひとつ身をもって覚え直していく。

何かを強く断じる大きな声や、アルゴリズムの波に一個人の声や小さな願いが埋もれる今、誰か一人の小さな体験が、違う誰か一人の呼吸を助けるかもしれない。

そんな、遠くにぼんやりと見える灯台のあかりのような希望を頼りにして、この記録を続けていきたいと思う。

これまでを振り返り、これからの歩みを新たな足跡にしていく私へ。そして、ここまで読んでくれたあなたへ。

「本当は、何を望んでいるの?」

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