私が祈る場所|怒りや葛藤を抱えていた私が"私のために"していること
痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで、音楽のような言葉たち。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載がスタート。
子供の頃から踊るのが好きだった。
運動はあまり得意ではなかったけれど、音楽があれば話は別。
両親の撮ったホームビデオのなかには、ピーターラビットの寝間着を着た4歳ぐらいの私が、テレビから聞こえてくる演歌に合わせて自作の舞を披露しているところが映っている。
演歌が好きな父方の祖母は「かわいいねえ、上手だねえ」と盛んに褒めてくれていた。
小さい私は照れている。でも舞はやめなかった。
ときは流れ、私はなにかに苦しむティーンエージャーになった。
その「なにか」がどんなものかと問われても、昔も今も一言で説明することはできない。
家はある。家族もいる。希望する高校にも入学できた。少ないながら大事な友だちもいた。
でも苦しかった。
中学は2年の途中から行かなくなってしまった。いわゆる不登校ってやつ。
卒業式にも出ていない。
だから高校生活は人間関係のリハビリからの出発だった。そのせいか片道小一時間の通学と、学校生活を送るだけで毎日どっしりと疲れてしまって、家では寝るだけで精一杯という有様だった。
このころから私は、社会に対してものすごく怒りを感じるようになっていた。
例えばそれは高校への交通の便が悪すぎる、駐輪場のおっさんが横柄だ、電車の中での席取りゲームが醜くて見ているのがつらい、売っている洋服のサイズが合わない、など。
大きなことから小さなことまで、不平不満と言われればそれまでで、でも理不尽だといえば確かにそうかもしれないと思えるような。
今となっては何にあれだけ腹を立てていたのか、鮮明には思い出せないんだけど。
ほとんど引きこもっていた非常に狭い生活圏から、様々な人間が隣り合わせで活動する雑多な世界に引っ張り出されて、私は初めて社会の生々しさに圧倒されていたのだと思う。
青春時代と呼ばれる時期を、私は主に怒ったり疲れたり髪を抜いたりして過ごしていた。
(恋愛に関してはレの字もなかった。)
学校にはちゃんと毎日通ったので、着実に学力は身につく一方、中学のころよりもまとまった量の髪を抜くようになった。特にテスト前はひどく悪化したので家族は気味悪がった。
テスト期間中は、勉強するか、髪を守るのかの二択状態だったんだけど、私は結局「抜きながら勉強する」というなんとも中途半端なことをしていた。
社会への感情も、髪を抜くことも、現実社会の中でなんとかやっていくための自分なりの対処法だったのだと思う。
身も心も削るような方法しかなかったのはちょっぴり残念だったけど。
溺れる者は藁をも掴む、と言う。
流れてくる藁が見えたなら、そりゃあ誰でも掴むだろう。
でも手当り次第に振り回した手に当ったなにかを分けのわからぬまま必死に掴み、たまたまそれに救われることもあるんじゃないか。
どういう流れだったのかは忘れてしまったのだけど、高校1年生の冬に私はクラシックバレエの教室にたどり着いた。
一駅先にある、厳しい先生がやっている昔ながらの教室。土日に始めたバイト代をお月謝に当てることにして、通い始めた。
三面に貼られた鏡、可動式のバー、冬でも暖かなスタジオはいつでも豊かな音楽が満ちていた。たまたま掴んだ藁の先で、私はひとつ居場所を手に入れることになった。
バレエのレッスンでは無茶ばかり言われる。
「プリエをしても重心は下げない」
「片足で立っているときも体重をすべてそちらにかけない」
「飛ぶときは背中も使え」
「肋骨を締めて」
一体どうやって?と私の頭はハテナだらけになるのだけど、とりあえず一生懸命自分の中の感覚を追う。
インナーマッスルが酷使され、普段はかかないような苦い汗が吹き出す。手と脚の動きがばらばらにならないように、指先と足先をつなぐようなイメージで、必死に自分の身体を操ろうとする。
自分の身体なのにこんなに思い通りにならない。そのことに愕然としながらも、なんとかなんとか続けるうちに、少しづつ身体のコントロールの感覚が戻ってくる。
髪の毛の先からつま先まで、自分が満ちるような感覚を得る。
私は必死に私を満たす。
バラバラだった自分がつなぎ合わさる。
フロアでのレッスンより、地味で体力的にもきついけれどバーレッスンのほうが好きだ。
使う音楽も普段耳にするような和音がいくつも重なるクラシックではない。リズムがはっきりとしたシンプルなピアノ。
その音を無心で追うとき、ずっと心に引っかかっていた誰かの言葉が遠のく。その場で言い返せなくて、悔しくてずっとこねくり回していた反論の文章が手を離れていく。
今ここに在るのは私だけ。私の身体だけ。汗が染みた練習着と、視線の先の自分の指と、大きく動く脚の筋肉、抗うべき重力、深い呼吸。
ある日、ふとこれは「祈り」のような行為なんじゃないかと思った。
ピンときた、と言ったほうが正しいかも。
私には神様はいない。仏壇の前で手を合わせるとか、新年のお参りにいくとかそういう程度のことしかしたことがない。だから真剣に祈るという行動がどういうものなのかを知らなかった。
知らなかったはずの「祈る」という感覚と自分が今必死にやっていることが本能的に結びついて、私の胸にすとんと落ち、そしてそれは私の一部になった。
自分の身体に向き合い、それが心のデトックスになり、それによって心と身体が健康に結びついている状態を維持するためにメンテナンスすること。
これも紛れもなく一つの祈り、自分に対する祈りなのではないか。
レッスンが終わると身体が軽くなる。心が静かに落ち着いて、優雅で穏やかな気持ちになる。
教室に行くまでどんなに面倒くさくても、行けば報われることを私は知ってしまった。
これで抜毛症が治るわけではないけれど、私の大きな心の拠り所であり、大事なセルフケアのツールだ。
カクカクシカジカあり、結局そのとき始めたバレエは高校卒業と同時にやめてしまった。
そして2年ほど前から別のスタジオで習い始めている。
華やかな色やふわっとした素材の練習着の女性たちに混じって、セシールで買った黒のハイネックとスパッツ姿の私は一人"くノ一"みたい。
ま、大事なのは格好ではなく、私がまた私のために祈り始めたということ。
そして70歳になってもバレエを続けるつもり。
あなたの祈る場所は、どこですか?
AUTHOR
Gena
90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。
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