不登校児の魂、百まで|抜毛症のボディポジティブモデルGenaさん連載「私が祈る場所」

 不登校児の魂、百まで|抜毛症のボディポジティブモデルGenaさん連載「私が祈る場所」
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Gena
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2024-10-30

痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで音楽のように、痛みと傷に寄り添う。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。

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最近どうですか。人生順調?

私はといえばドイツに来てからしばらく経ち、貯金の流出もある程度止まったし、どこに行けばなにが買えるかも分かるようになってきたし、まだまだ戦わないといけないことも残っているんだけど、たいぶ生活は落ち着いてきた。

海外生活に慣れてきたと思ったら、自分の長年の問題にまた直面し始めている。30代前半、子なし、これが自分の新しい章なのかしらん。

一度も躓いたことのない人なんていないと思う。 
私たちの行く道には大なり小なりの石が落ちていたり、謎の通行止めがあったり、まったく自分に非のない落とし穴とかがあったりして、そのたびに回り道をしたり落ち込んだりする。時間を無駄にせず、まっすぐ進むのって難しい。

こんな文章を書いている最中、日本語インターネットは大谷選手の話題で持ちきりだ。

時には大谷翔平選手のようにどんなハードルも超スピードで超えていくような人もいるんだろうけれど。普通は全然そうじゃないはず。

「はず」と付け足すのは、自分のまわりを見てみると、大谷選手ほど目立たないまでも「ずっと順風満帆な人生を歩んできました」って顔をしている人が多い気がする。特に東京にいたときにはそう感じてた。 

一度も躓いたことがないどころか、上品なヒールをはいて、爪の先まで綺麗にしていて、対人関係も卒がなく、ストレスにも上手に対応している感じ。すごくちゃんとしているように見える人たち。 

こんなよくできた人がいるんだなぁって感心しつつ、私は噛んで短くなった爪を背中に隠し、部屋の端っこの方に腰掛けている。足元は適当に選んだスニーカーだし。できることならそっとドアを開けて出ていきたい。

日本社会での自分の生活は、例えてみるならこのような感じだった。

一体私はなにを怖がっているんだろう。 
怖がっていたんだろう、とはまだ書けない。

もう結構忘れたことにしている過去を振り返って考えてみるなら、例えばそれは、抜け出せない集団の中で異質な者と見なされて、居場所がなくなること。誰かと比較されて劣ったものとして扱われること。競争に負けて機会が与えられないこと。恥をかくこと。こんな感じ。

こんな不安を吐露すると、すぐ「他人の目を気にしすぎ」「常に他人と比較するから満たされないんだ」という人がいる。

そういう指摘って、本当に的を射ているのだろうか。
日本人の和を大事にする文化の反面の村八分の怖さは現代でも人々の心に染みついていると思うし、実際に孤独は健康を害すらしいし。

他の人の持つ能力・外見・持ち物などを自分のものと思わず比較してしまった幼い日よりもずっと前に、第三者から勝手に比較される経験を私たちはしているのじゃないだろうか。

他にもまだ気になることがある。

「他者からの評価で自分自身の価値は決まらない」というような、悟りを開いたような人がいいそうな言葉が実はずっと引っかかっている。

言わんとすることは分かってる。たとえ人から評価されなくても、誰に何を言われようと、自分を貫くことの美しさというものは確かにこの世の中には存在する。

私もそういう価値観を持っているからこそ、ボディポジティブという既存の美の価値観に抗う概念を信じ、顔も頭皮も晒して「ボディポジティブモデル」を名乗っていて活動している。

でもその一方で自分たちの生きる社会では、他人からの評価で人生を左右されるようなイベントがあまりにも多いんじゃないだろうか。

条件のいい仕事は経済的に豊かな未来への切符になるけど、その面接に受かるかどうかは面接官からの評価しだいだ。

感じが良い人、つまりは他者からの印象が良い人ほど友だちになりたいと思ってもらえるし、ひいては豊かな人間関係に繋がるだろう。

また恋愛に関しては、外見や立ち振る舞いなど表面的な部分であっという間に他者から判断される。食事会の席などで隣に座った女の子とあからさまに比較されているなぁと視線と態度で感じたり、デートアプリのプロフィールを最も盛れた写真にした途端に好意的なメッセージが急増したり。特に恋愛の場では相手の反応が露骨だと思う。

結局上手くいくかどうかは相手と自分の内面の相性次第だろうと思うのだけど、自分がいいと思った相手と深く知り合えるそもそもの機会を得られるかどうかは相手からの評価にかかっている。

仕事・収入、人間関係の豊かさ、パートナーの有無、その他諸々の機会。自分の人生を構成するかなり大きな要素が左右されるのに、他者からの評価を気にかけないことは世捨て人にでもならない限り不可能に思える。

こんなふうに辿っていくと、自分の他者と比較される競争への不安、コミュニティからはじき出される不安、他者の視線に晒される不安というのは、ちゃんと理由があるものだったのだなと思う。

こんな風に明確に、人と関わるすべてのものが怖くなってしまったら、私はもう家から一歩も出られない気がする。 

中学生のとき、一年半ほど教室に行くことができなかった。
担任に半ば無理矢理引きずられていったこともあったけれど、15歳が30人もひしめく教室にどうしても足を踏み入れることができなかった。

今から思えば、中学生のとき不登校を経験したことが、その後の人生に大きな影響を及ぼしているように感じる。

苦手な人間関係を耐え忍ぶ忍耐力、集団の中で浮かずに過ごすための「普通の人」のふりをする方法、積極的に友達を作ったり維持する気力、噂話の上手な収集のコツや次に誰がハブられそうか察知する能力、いじられたとき場の空気を壊さずに盛り上げるキャラ作り、担任や先輩と上手に付き合う距離感覚。大人になってからも日本で生きていくために必要になるそういう能力を育む機会をまるごと放棄したこと。 それから一年半分の義務教育も。日本史、物理、科学をまるごと無視して、その後その空白を埋めようともしなかった。 

あのときはずっと部屋にいて、本を読んだり、昔のことを思い出していたりした。
実家と校舎はそれほど離れていなかったので、始業のベルが聞こえてきて毎日私を憂鬱にした。

14歳にしてその時の自分からすれば人生のどん底を味わい、結構絶望していたのだけれど、その後私はなんとか軌道修正をすることができた。 

結局、中学の卒業式を出ないまま無事に高校に入学し、再び不登校になることもなく通い続け、希望の大学に進学することもできた。 意外と友だちもできたし、サークルや校外の活動にも積極的に顔を出した。留学し、子供の頃からの夢だった海外生活も経験することさえした。 

そして就職して、休職し、無職になり、平日の昼間に静かな家にいたとき。 もしかしたら私はずっとこうして家にいたのかもしれないと思った。 

実り多き学生時代なんて経験せず、私は14歳の時からずっとここにいたのかもしれない、と。 

私が経験してきたと思っていたことは、もしかしたらドラマの中で見たフィクションだったかもしれないし、ブログで読んだ他人の経験だったのかも。 

14歳を起点に、パラレルワールドが展開される。 
不登校を経て社会に復帰したパターンと、 不登校になってからずっと社会生活からログアウトし続けている私。
一度も働いたことがなく、だから失敗もなく、肌も実年齢よりずっと綺麗で、傷つきたくなくて実家から出ることができない私。 

ずっと前者が私の現実だったけれど、無職期間を経験したことで2つの世界が時々重なって感じるようになった。 

平日に家にいることの罪悪感は、味わったことのある人じゃなければ分からないと思う。
ちゃんと働いている人への引け目と、私もなにかするべきなんじゃないかという焦り。このままだったら将来どうなってしまうんだろうという不安。でもしたらいいのかわからない、迷子のような心細さ。

私にとって不登校と無職でいることの感覚はまるで似ていた。

そもそもどうして不登校から社会復帰できたんだろう。

その後もどうして何度もはじき出された世界に戻ろうとし、苦手でしかなかった恋愛も頑張ったんだろう。

他者と関わる不安は未だに新鮮さを保ったままそこにあるし、髪の毛だってむしり続けていたのに。

たぶんそれは、私の大好きな物語が力をくれたからなんだと思う。
映画や小説に出てくるような出来事を自分で体験したいと願ったから。自分だけの世界から抜け出して外の世界で自由になりたいと気がついたから。それが傷つく恐怖に勝ったからだ。

勇ましいことを言いつつも私はなにも変わっちゃいなくて、だから毎回外に出ては傷だらけになった。

何度も転職をしたし、大人になっても人間関係でしっかり傷ついてるし、抜毛症はずっと自分について回っている。

それでも、苦労している中で人間案外なにかしら掴んでいるものだ、と最近になってそう思えるようになった。

抜毛症に関するブログを書いていたら、こんな風にエッセイを書かせてもらえることになった。
苦手な恋愛市場にいやいや出続けていたら、ありのままの私を受け入れてくれるパートナーに出会えた。

他者からの受けが良くなるように自分を変えるなんていう器用な真似はできなかった。
私が休み休みにでも繰り返したのは、引きこもったところから何度でも外に出ようとしただけ。

まだ傷が癒えていない気がするから、回復するまでずっと家にいたいと思うときもある。

でもそれって一体いつまで?

不登校児だった私は、高校入学という時計の針に合わせてエイヤって勢いだけで進学したようなものだ。

当時の私が大人になった私に教えてくれるのは、時には傷口が開いたままの状態で、世間に出ていかないといけないという教訓なのかもしれない。

でも今なら分かるよ。
時間ではなく、新たに積み重なる経験が私を癒やしていくんだと。 

私はこの先も「不安だ〜」「傷ついた〜」とかって言いながら、それでも懲りずに外の世界に出続けるんだと思う。

新しい経験を求めて。

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AUTHOR

Gena

Gena

90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。



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