メキシコの海を泳ぐ|抜毛症のボディポジティブモデルGenaさん連載「私が祈る場所」
痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで音楽のように、痛みと傷に寄り添う。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。
来世というものがあるとしたら、メキシコのイグアナになると決めている。
10年前に訪れたメキシコで、古代マヤ遺跡に悠々と暮らすイグアナを目の当たりにしてすっかり心をつかまれたのだ。
遺跡はどれもパワースポットやいい波動を持つ土地に建てられたと聞いたことがあるけれど、マヤ遺跡もどっしりとした空気感がある場所だった。
私たちが訪れたその遺跡は、もう建物自体は残っていなくて、かつての土台だけがそこにはあった。
そのせいか観光客は自分たち以外誰ひとりおらず、静かで、濃い緑の低木が至るところに繁茂していた。
そしてイグアナが驚くほどたくさん暮らしていた。
近寄ると逃げてしまうのであまり近くでは見られなかったのだけど。本当はちょっと触ってみたかった。
私たちよりずっと大地に近い高さで暮らしているイグアナが気に入っているんだから、この土地の良さはお墨付きじゃないかと思った。
それにいつでも海が見下ろせる。明るくて穏やかなエメラルドグリーンの海。
あの時はなにも聞こえなかったけれど、イグアナも鳴くのだろうか。
今から10年近くも前にアメリカに1年間留学した。その留学の終わり、アメリカを引き上げるタイミングでメキシコへの旅行を親友と決行したのだった。首都のメキシコシティとリゾート地のカンクンの二箇所を訪れる計画を立てた。
メキシコシティの旧市街の街中は、スペインによる植民地時代に建てられた建築が多く、南米というよりヨーロッパのどこかの街に来たかのようだった。
初夏だったけど気温は肌寒く、長いこと雨が降っていた。
日本の大学で三年間勉強したはずのスペイン語は全く役に立たず、自分は都合よく忘れているけれど友だちが覚えている話では、なんとアイスクリームを売ってもらえなかったのだとか。今思えばそれが果たして言語の問題だったのかどうかは定かではないけどね。
旧市街を歩くのはとても楽しかった。日本でもアメリカでも見たことがない小売店、色鮮やかな雑貨屋、ジョッキの口に塩がまぶされているビールが出てくるレストラン。
通りを歩いていると突然ラッパのような音色で音楽が流れ、きちんとした軍服を着た人が募金箱のようなものを持って立っている光景に何度か出くわしたりもした。
町歩き中にたまたま足を踏み入れた灰色のビルは、アクセサリーやおもちゃ、スマホ屋などが所狭しとひしめき合っていて、中野ブロードウェイを大いに彷彿とさせた。私も友だちもそこでいくつか軟骨用のピアスを買った。 その後何年かは気に入って身につけていた。
地図を見ずに歩いていても旧市街の行き止まりは明確だった。いきなり民家の窓に鉄格子がはまるようになり、カラフルな土産物が見えなくなって色が失われ、通りの雰囲気が変わった。私たちは揃って踵を返した。
宿でメル・ギブソンの映画、『アポカリプト』を見た。翌日のティオティワカン遺跡のツアーの雰囲気をよく味わうために。
毛布を握りしめハラハラしながら映画を鑑賞し、そのあとは蚊の襲撃に怯えながらその毛布をすっぽり被って眠った。
にも関わらず、翌朝になってみると友だちはばっちり瞼の上を刺されており、私は大いに笑った。彼女はその日、遺跡の近くでミニチュアシュナイダーと遭遇するまでテンションが低いままだった。
ところで私はときどき夢を見る。
夢なんてみんな見るだろうけど、自分のは変だと思う。人の顔がはっきりと見えない。靄のような塊で、でもなぜか私はそれを誰だか認識することができる。
夢には一貫性がなく、数秒の間に人が入れ替わっていたり、場所や場面が様変わりしていたりする。短編でもきちんとストーリーが繋がったような夢を見ることがほとんどない。
そんな曖昧な夢見の私だけど、何度も登場する場所がある。
それはメキシコ国立人類学博物館。(Museo Nacional de Antropología)
入口には、石造りの噴水が巨大な樹木が枝葉を広げるように立っており、ときどき雨を降らせた。
空気はしっとりとしていて、特別な場所に入った気がした。
私の夢に出てくる建物はいつもここだと思う。
夢の中で、この木の下には地下3階からなる図書館が広がっていて、木の根元から入ることができる。
何年経ってもあの博物館、あのときの旅行は形を変えて私の記憶に残っている。
あのときの私たちは23歳だった。パートナーも子供もおらず、学生だった。不安定さと表裏一体の自由を、ニューヨークで楽しんでいた。
家も近かったから「今からそっちに行っていい?」っていう連絡はしょっちゅうだった。私たちはいつもなにかを相談していた気がする。
あれから年月が経ち、私たちはそれぞれの選択をし、ライフステージが変わり、生活は一変した。
家族を持ち、帰る家があり、維持する生活がある。選択の結果のこういう新しい状況は、つまりは世間で言うところの「安定」なんだろうなと思う。それに比例して自分個人のことだけを考えていればよいという機会はぐっと少なくなった。
20代から30代への年齢による変化も大きかった。
社会に出て揉まれ、これまで自分が信じてきたことがまったく役に立たないという経験をしたり、なんとなく頭に思い描いてきた未来が実現しないかもしれないと感じ始めたり、価値観が大きく変遷したり、こんなはずじゃなかったという嘆きを経て自分の本当の望みに気がついたり、逆に自分の欲求とどう折り合いをつけていくかを模索したり。
絶望して、途方に暮れることもある。私、これからどうやって生きていこうって、何度となく思った。
いい年の大人になったのに、迷子みたいな不安な気持ちになるなんて想像もしてみなかったことだ。
昔読んだ雑誌で「大切なことはすべて人生が教えてくれたわ。」とある有名モデルが自信満々に語っていた。
何年も前の記憶だけど、思い出しては新鮮な気持ちで嘘じゃん?と思う。
人生が私にもたらしたのは(今のところ)、人間関係における混乱、大勢に囲まれて感じるような種類の孤独、自力でなんとかしないといけない多種多様なトラブル、自分と相性が合うとは言えない母国の社会で生き延びる試練、経済的な自立への不安や仕事での自信の付け方を模索する長いトンネルなどなどだ。
人生は師などと思えるようなものではなく、なんとか障害物をかき分けて泳いでいく大きくて深い水のような気がする。
泳ぎ方もろくに知らない気がするというのに。
あの旅ではメキシコシティを出たあと、リゾート地であるカンクンに向かった。
私が選んだ安い宿はビーチからめちゃくちゃ遠くて申し訳なかったけど、海は信じられないぐらい綺麗だった。
エメラルドグリーンで、白い波が打ち寄せていて、水温は寒がりの私でもまったく冷たいと思わないほどの暖かさ。
太陽がきらめいていて、ここは天国だと私たちは大はしゃぎだった。
海底の遺跡を見に行くツアーにも参加してみた。船に10人ぐらいの観光客が乗り、ガイドが1人。
ライフジャケット、シュノーケル、ゴーグル、フィンという装備を身に着け、海へぽいっと放り出された。
「はい、ついてきて〜」という気楽な掛け声を追いかけて必死に進む。
穏やかに見えた海は案外波が高くて、普通に泳いだのでは進めなかった。
浮きをつけているのに溺れるかも知れないという恐怖を感じる。先頭のガイドとの距離はどんどん開いていく。
沿岸から離れた海は深い青だった。その青の中に、自分たちのフィレのはるか下に石像が並んでいるのをなんとか視界の端に捉えた。
私たちははぐれないように自然に手をつなぎ、ときどき遺跡を覗き込みながら、溺れないように必死に泳いだ。
自分たちの人生を思うとき、私はあの日のことを思い出す。
人生とはきっと、メキシコの海を泳ぐようなもの。
溺れないようにしっかり手を取り合いながら、景色を楽しんだり、おしゃべりしたりしながら、高い波間を縫ってどこかへ向かって泳いでいく。
私にとっては人生は師なんかじゃないけれど。
手をつなげる人の存在をときどき荒いやり方で見せてくれる。大いなる自然のようなものかもしれない。
AUTHOR
Gena
90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。
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