「新しい人生が、欲しい。本当の自分で輝くために」そう願っていた、若かりし頃の私に伝えたいこと
痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで音楽のように、痛みと傷に寄り添う言葉たち。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。
蒸し暑い夕暮れ。まとわりつくような小雨。仕事に疲れた重たい身体で馴染みのスーパーに向かう。
目が痛むほど蛍光灯の明かりは眩しいのに、なぜかなにもかもにも色がないように見える。
食料品の買い出しでストレスを紛らわせている。
毎日うんざりするほど同じ光景をみて、恐ろしいことにこの先何十年もずっとこの光景をみるのだろうと、ほとんど確信している。
予期せぬほど唐突に人生が終わったり、大病を患ってこんな日常ですら懐かしさと感謝を覚えるようになるのかもしれないけれど、それは分岐した先の世界だけの話だ。
新しい人生が欲しい。望みをすべて叶えた家。海が見える窓。綺麗にベットメイクされた寝室。広々としたオープンカウンターのキッチン。クローゼットに並ぶ宝物のような靴。ずっと着こなしてみたいと思っていた素敵なシルエットの洋服。
優しい彼氏。楽しくて知的な女友だち。自分がいないと回らない、誰にも代替されないやりがいのある仕事。
セックス・アンド・ザ・シティーに始まり、VOGUE、インスタグラム、ピンタレストに至るまで、キラキラした世界は画面を開けばすぐそこにあり、そしてどこまでも自分とは接点がないように思える。
全く新しい人生が欲しい。ドラマのようにとは言わなくても、日常に彩りを添える何かが。
この先の人生に希望が持てるような何かが。
どうやったら自分の人生は、そういう世界と交わることができるのだろうか。
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高校生になったら、都会に行ったら、大学生になったら、NYに行ってみたら、社会人になったら、なにか大きなチャンスに出会って、新しいキラキラした世界の扉が開くかもと思っていた。
でもいつもキラキラした世界は私のすぐ隣り、様々な経験豊富で英語を使いこなす帰国子女の友だち、ELLE girlの雑誌の中、Huluの海外ドラマ、インスタグラムのスクリーンの中にだけあって、そしてそれだけだった。
目が覚めたら髪の毛がすべて生え揃っていることを、ニキビ跡が跡形もなく綺麗に治っていることを、劇的に痩せてモデルのようになっていることを、毎晩のように祈っていた。
通り過ぎるチャンスの女神の前髪をしっかり捕まえられるような性格に変わりたかった。
私はなにかの才能とパッションがあって、ハキハキとした性格と垢抜けた外見を持つ他の誰かになりたかった。
現実の私は、でかい図体をしているのに気が弱く、望むものの量に対しての努力が続けられない野心と虚栄心を持つ女の子だった。
……これらは自分とは接点のない、遠く明るく見える星を目指して足掻いていた自分に対する自己評価。
私はもっと若かったときの私に、こんなふうに自分のことを思ってほしくなかったんだと、もう少しだけ自分を知った今まるで親のような姉のような気持ちでそう思う。
あなたにはあなたにとっての大切なものがあり、そういうものが今の自分を作っている。
キラキラした世界は、そう魅せようと工夫されているから光ってみえるだけで、遠いところばかりをみていると、足元から沈んでいく。
他の誰もを目指す必要はなくて、自分であることこそが最も強固な武器なのではないかと思う。
思い返してみれば、私の人生の中でもインディーズの映画の1シーンのような輝く瞬間がいくつもある。
不登校のブランクのあと初めてできた友人とミスドに行き、何時間も話し合って心を通わせた温かなあの冬のこと。
頑張って生き延びたNYで、23歳の誕生日を親友とドラァグクイーンにマンハッタンで祝ってもらった誇らしい気分の日のこと。
クラブでデヴィッド・ゲッタのタイタニウムが流れて、ダンスそっちのけでみんなと一緒にサビを遠吠えのように気持ちよく歌った夜。
雨の降り始めた大橋の上を、しっかりと手を繋ぎながら大笑いしてバイクまで走った瞬間。
たった一日、一瞬のこと。でもどれも私の中ではいつまでも消えない。
自分にとっての大切な瞬間が、客観的な証拠として写真や動画に残されなくても。
SNSで全世界に向けて発信されなくても、いいねをたくさんもらわなくても。
私たちの人生は無味乾燥だったわけではない。
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近年になって私はキラキラした世界を疑うようになった。
あくまで自然なポーズでばっちりと綺麗に撮られた写真の背後にはそれに付き合う人がいる。人気のない観光地でモデルのように撮られた写真のフレームの外には、順番を待つ長蛇の列がある。さりげなく、でもこれ見よがしに写っているハイエンドのブランドのロゴはどういう経路でも用意できるものかもしれない。
私たちは実態のないものに憧れ、惑わされているのかもしれない。
忘れないで。一番大切な瞬間は自分の中にある。
そういう記憶によって私たちは作られているのだと思う。
AUTHOR
Gena
90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。
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