仮面の私で気に入れられるより、本当の自分で嫌われたい。「愛すべき気難しさ」について

 仮面の私で気に入れられるより、本当の自分で嫌われたい。「愛すべき気難しさ」について
Gena
Gena
2022-10-15

痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。

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「いつでも恋してます♡」みたいな態度の女性が苦手だ。
フランス映画とかにたまに出てくるタイプ。大学の同級生の中に一人はいるタイプ。
そうそう、今頭に思い描いてるあの子みたいな感じよ。

いつもニコニコしていて、ご機嫌な感じで、男女問わず愛想がよくて。
よく話を聞いてみると実は自分のことはあまり喋らない秘密主義。
人を上手に使いながら、自分での努力も惜しまず、抜かりなく自分の進む道を整えている。
清潔感があって、きちんとしていて、誰が見ても満点。

どんな就職氷河期だって内定をもらえちゃうんだろうな。
ひねくれた私は、そういう人のことを苦々しく思ってしまう。

本当は分かっている。
世間を上手く渡っていくのはああいう子だってこと。
愛されるのはああいう子だってこと。
苦々しいだなんて誰かのことを思うのは、だって私はああはなれないと知っているからだ。
競ったら絶対に負ける。 あの子が隣にいたら私は選ばれない。

高校では、周りのクラスメイトは個性のある一人ひとりの人間だった。
私も個性と感性を持つ人間の一人として当たり前に扱われていて、そんな環境で高校生活を過ごしたことは今の私の大事な土壌になっている。
大学に入った瞬間に私が身を置く世界は、これまでとは違うルールなのだと、他者の残酷な視線からそのことを学んだ。
なんとか化粧をして、身なりを気にするようになった。
当時は頑張っていたつもりだったけど、今思い返すとひどいものだったと思う。
お金を貰っても大学生時代には戻りたくないもんね。

「問題」(だと当時自分で思っていたの)は外見だけではなかった。
むしろ内面のほうが大きかったんだと思う。
世間を上手く渡っていく笑顔の仮面は、サイズの小さすぎるガラスのハイヒールのようなもので、到底身につけられるものではなかった。

そんな大学生だったある日のこと、アメリカのドラマ『Glee』の中でエイプリル・ローズという中年の女性ーーかつてはグリークラブのエースだったけれど今は酒に溺れる転落人生を歩んでいる中年の女性ーー、その彼女の歌声が胸に刺さった。

彼女が歌っていたのは、ライザ・ミネリのMay be this timeという曲。

Everybody loves a winner  So nobody loved me

Lady peaceful, Lady happy

That’s what I long to be

みんな勝ち組が好きで、だから誰も私のことなんて愛さなかった
穏やかで幸せな女性、そんなのになりたかった

Well, All of the odds are They're in my favor

Something's bound to begin

でも私にも勝算はある。
何かが始まる予感がする。

It's gotta happen

Happen sometime

Maybe this time I'll win

きっと始まる。いつかきっと。
今回こそは私が選ばれる。

自分の歌だと思った。
負け犬の遠吠えのような歌詞なのに、なんて力強いんだろう。
逆境がしっぽを巻いて逃げ出すぐらいの明るさ。
就活でも恋愛でも選ばれないことに深く傷ついていた私は、この歌を胸に生きていこうと決めたのだった。

何度Noと言われても。次はYesと言われる、そんな出会いがある。
この歌の何年も先で、私はパートナーに出会った。

社会人の始めのころまでは愛想よく、空気を読んで、うまく世を渡っていかなくちゃという考えに囚われていたけれど、自分の道を歩き始めてからは、別に愛想なんて大して必要なかった。

ニコニコして誰とでも上手くやっていくことなんかより、自分の人生に集中するほうがよほど遠くへ、行きたい場所へ行ける。素敵な人に会える。

無理して気に入られたところで、自分がその相手を好きじゃなきゃ意味がない。
仮面の私で気に入れられるより、本当の自分で嫌われたい。
極端に聞こえるかもしれない。でもそれは裏を返せば、本当の自分で好かれるということだと思うから。
他人からどう見られるかも大事だけど、それ以上に大事なのは自分が自分のことをどう思っているのかだと思う。

日常で使われる日本語は、時代によって少しずつ変化している。特に人の特質を表す言葉は、かなり時代の空気感を表すんじゃないかな。例えば最近だと、自己中心的、神経質、コミュ障・・・ 人を表す言葉はより端的に、鋭利になる。

ある事実を客観的に伝えようと思ったらそういった正確な描写は有効かもしれない。
でもその言葉を自分自身に対して使うとき、それはレッテルになるのではないだろうか。

「うちって、じこちゅーじゃん?」「俺、神経質だからさ・・・」

自分に対してそんな鋭利で隙のない言葉をかける必要はないんじゃないといつも思っている。
日本語にはたくさんの表現があって、その使い方は自由で、言ったもん勝ち。

「神経質」よりも「几帳面」
「愛想がない」よりも「媚びない」
「雑な性格」よりも「おおらか」
「コミュ障」じゃなくて「人見知り」

こういう優しい日本語に言い換えて、自分を構成していきたいと思う。

そして私は自分のことを「気難しい女の子」だと言うようになった。
「気難しい」には都合よく、なにからなにまで、抜毛までも含めているつもり。
「気難しいGena」ちょっと気に入っている。

みんなの形容詞もこっそり教えてほしい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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英語の歌詞の参照  LyricFind

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AUTHOR

Gena

Gena

90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。



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