いつか自由な人間に|抜毛症のボディポジティブモデルGenaさん連載「私が祈る場所」

 いつか自由な人間に|抜毛症のボディポジティブモデルGenaさん連載「私が祈る場所」
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Gena
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2024-03-06

痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで音楽のように、痛みと傷に寄り添う。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。

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ベルリン二年目の冬を迎えた。今年も順調に日光不足で、-10℃に近い寒波をすでに二回ほど経験している。

去年の冬はまつげが四回ほど凍ったけど、今年の冬はまだ一度も凍っていない。

一年目の冬からの学びは大きかった。ビタミン剤を毎日飲み、日の光が出たらすぐ窓辺で浴びて、定期的に友だちに会う予定を入れ、バレエのレッスンにサボらずに行く。

これにバリスタとしての勤務を追加すればこの冬の私のルーティーンの完成だ。

東京で働いていたときと比べると、ずいぶんとのんびりと生きている。 

今のところ東京はあまり恋しくない。食事もだいたい自分で作れるし、家族や友だちともラインで話せる。

ほぼ唯一ベルリンで生活する上で物足りないと感じるのは、映画館で見る映画体験に関して。

私はアクション映画よりも、ミニシアター系といわれるような比較的小規模なヒューマンドラマの映画が好きだ。旅したことのない土地、地名すら聞いたことのない場所の物語を観たい。

ベルリンは英語が第二言語として通用する街なので、オリジナル音声+英語字幕でかけてくれる劇場がいくつかある。 

私はドイツ語がからきしなのでありがたく英語字幕版を見に行くけど、でも台詞の意味がつかみきれなかったり、読むのが追いつかなかったり、字幕に集中しすぎて画面全体を見れず結果として純粋に映画を楽しめていないことが多い。

こういうとき、母国語の字幕に翻訳された映画を見れる贅沢をとっても恋しく思う。

武蔵野館、シネマカリテ、シネマート、早稲田松竹、ユーロスペース…今すぐにでも飛んでいきたい。 

それとドイツで映画を見るに当たっての注意点として、ドイツ語の吹き替えがとても多いということがある。去年見た『オッペンハイマー』も始まってみたらドイツ語吹き替えの字幕なしで、がっかりした。

というわけで映画館からは足が遠のいている。だから日本の映画が来たときはとても嬉しい。『君たちはどう生きるか』『THE FIRST SLAM DUNK』日本語で映画が見れるの最高!どちらも素晴らしかった。

さっそく周り近所の日本好きな人たちに布教して回っている。 

もう一本、最近映画館で見た作品は『PERFECT DAYS』。ドイツ人映画監督ヴィム・ヴェンダースが役所広司を主役に据えて日本を舞台にした映画だ。

ベルリンでも大々的に宣伝をしていて、よくポスターを見かけた。

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ベルリンの街中で見つけた映画『PERFECT DAYS』のポスター。photo by Gena
クリスマスに見に行ったこの映画は、その後一ヶ月ほど私にその余韻を残した。

役所広司演じる「平山」は東京都の清掃員として働いている。

毎朝早く起きてお手製の盆栽に水をやり、歯を磨き、髭を当たり、車で都内の公衆トイレを回り、公園でコンビニのサンドウィッチを食べ、木漏れ日の写真を撮る。

休日はコインランドリーで洗濯をし、古本屋で一冊を選び、行きつけの小料理屋で飲む。 

後輩に振り回されたり姪が転がり込んできたりというハプニングはあるものの、映画は平山に確立されたルーティーンがあることを前提としている。

都内の古い木造アパート。必要最低限の生活必需品と、本、写真、少ない服。

ミニマムでシンプルな暮らしは、修行のように俗世から切り離されているような生活で、見る人にある種の満足感を与えるのかもしれないな、と思った。

日本が好きな外国人に受けそうだなと思った。アニメが好きというグループではなくて、小津安二郎の映画や、日本のミニマリズム、禅、そういったものが好きな人たちに。

自国を舞台に外国人の監督が映画を撮るとき、作品を見る目は自然と厳しくなるのだと思う。どんな目線で自分たちを、自分たちの生活を見ているのか、フィクションの物語ほど雄弁に語る気がする。

平山は一体どうやって生活しているのだろう、とスクリーンを見ながらずっと考えていた。

この古いアパートの家賃はいくらなんだろうか。銭湯代は?毎日缶コーヒーを買う余裕はあるのか。昼はコンビニのサンドウィッチ一つで足りるのか。自炊は皆無だし。

車は自家用車か。補助は出るんだろうか。路駐を切られたら罰金は自腹なんだろうか。 

東京都のトイレ清掃員の賃金でやっていける生活なんだろうか。今調べたところによると東京での清掃スタッフの時給は1287円だとGoogleは言っているけど。

なによりも気になったのは、登場する公衆トイレが「汚くなかった」という点だった。ペーパーやプラごみは散らばっている。でも匂い立つような糞尿の汚れや、マナーの悪さの痕跡がなにもなかった。現実では恵比寿駅の女子トイレだってもっと汚いと思う。

それを平山は丁寧に掃除し、途中で利用者に追い出されるも木漏れ日を見つけて微笑んでいる。

排泄物に近づく仕事の苦労や、低賃金への不満、利用者への感情は一切描かれない。

私には、平山という人間が存在するとは思えなかった。

どういう資金繰りで暮らし、どういう食生活で身体を支え、どういう葛藤や苦しみがあるのか。現実の東京を知っているだけにリアリティを感じられなかった。

この作品を絶賛する人たちがたくさんいることに驚いた。確かに映像はとても美しかったけれど、平山の暮らしを褒める人たちはいったいどんなものを彼に見ているんだろうか。

文句を一切言わず、荒立った感情を表に出さず、ただ穏やかに、「足るを知る」暮らしを送る。

ものを言わぬ低賃金の労働者であることを褒めている気がするのは私だけ?

海外で生活する日本人としては、そんな風に括られたらたまったもんじゃないと思う、正直。 

欧米ではアジア人に対するステレオタイプがあることをこれまでの生活から実感している。

よい印象のステレオタイプに助けられたこともあるし、逆に身の危険を感じたこともある。 

アジア出身の女の子は家を綺麗に使うし家賃もきちんと払ってくれるからと言って、優先的にアパートを貸してもらった。

かと思えば日本人の女の子はAVみたいにやらせてくれると期待されて寄ってこられたこともある。

「過労死」という日本語が英語でも通じるようになっていて、デモもまったく起こらない日本。

もうすでに「日本人は文句を言わず働く」という認識がうっすらと形成されていてもおかしくないころだと思っているけれど、この映画は見方によってはそれを後押ししうるんじゃないか。

トイレつながりの話として、31年間生きてきて、最近ようやくある種の男性が、用を足すときにO型の便器すら上げないことを知った。

正直知りたくなかった。世界への絶望が4%ほど増した感じがする。

便器の上に黄色めの液体を発見することがままあって、どうしてこんなところに液体が??という感じだったんだけど、よりにもよってうちに泊まった人がそれをしたことで事が発覚し、そして私は要らぬ知識を一つ手に入れた。(いや、今後はいかなるトイレでも警戒する必要性を理解したので有意義な知識だったのかもしれないけども)

一度知ってしまうと目につくようになるものだ。今私が働いているカフェにはトイレは一つしかなくそれに男女共用、お客たちも頻繁に使用している。

もちろんトイレ掃除も私たちバリスタの仕事に含まれている。汚れていてもきちんと掃除するけど、便器を上げずに汚してあるのだけは許しがたい。上げればいいだけなのに。

自分の家ではそんなことをやらないのだろうと想像すると、なおのこと腹が立つ。 

本当に嫌だったので、ある日のスタッフミーティングでなんとかトイレを綺麗に使ってもらうことはできないか議題に上げたこともある。

多種多様な文化圏出身の同僚たちの反応は押し並べて「Genaの気持ちはよく分かるけど、他人はコントロールできないから諦めな」というものだった。

その反応にすごく違和感があった。

張り紙をするとかなにか店としてできる工夫もあるんじゃないか。そんなことしても無意味だからはじめからやらないの?

そう思えば日本は注意書きだらけだったな。

カフェでの「勉強はお控えください」「お一人様最低1オーダーをお願いしております」「お席は90分制となっております」、トイレでの「いつも綺麗につかっていただきありがとうございます」(=綺麗に使ってください)

ここヨーロッパでは人間はコントロールできないし、されないんだなと思った。社会生活の中で他人の行動を制限しようとする力が働かない。別の重力圏みたいに。

違和感を覚えたのは「日本のことが好き」「日本旅行が最高だった」そう言う人たちの多くが、日本は街が綺麗で、人が礼儀正しくて、食べ物が安くて美味しくて感動した、あんな国ほかに行ったことがないと絶賛するから。

日本人がそのように生まれるわけじゃなくて、それは躾という大義名分でのコントロール、集団主義の中での抑圧、従順さゆえの搾取の結果にすぎないのに。

褒め言葉を聞きながらそんな歯がゆい思いをしている。

外国人観光客としてのそういう日本体験はすごく褒められるのに、私がそういう文化の一片でもをベルリンの勤務先に持ち込もうとすると「No Thank you」他人の事をコントロールするなと言われてる感じ。

観光客や観客としてなら享受するけど、そこに参加するのはまっぴらごめん、ということなんじゃないか。

『PERFECT DAYS』とその一部の感想を見た後味の悪さとも通じて、すごくモヤモヤしている。 

日本の厳しいワーキングカルチャーを持ち込みたいわけじゃない。あんなの誰にだって苦しい。

でもこのトイレの一件をきっかけに、日本とヨーロッパでの人間に許されている自由度の大きさの差がすごく気になるようになった。

きっと自由な人間は人目を気にせず大声で笑うし、機嫌がよければ鼻歌を歌う。失礼な相手に出会って対面で大人げなく喧嘩もする。人から出されたものでも口に合わない食べ物は残すし、罪悪感なく昼寝を楽しむ。年齢を問わず不意に恋に落ち、家族のことをためらわず抱きしめることができる。

電車の中でご年配に席を譲りたいから譲る。なにかのお返しにとかではなく、あげたいから誰かに何かをあげる。

義務感から行う行動は少なくて、自分がしたいからそうしてる。それが自然なんだと思う。

人をそれとなく制御している日本の文化は、端から見たら美しいのだろうと思う。馴染んでしまえば居心地良くも感じられるだろう。でも同時に行きすぎたコントロールは息苦しくもある。

そこで育った私は、まだまだたくさんのルールを引きずっていて。だから自由な他人の行動に「こうあるべきだ」という苛立ちを感じるんだと腑に落ちた。

いつか私も自由に振る舞いたいし、人の行動をどうにかしようと奮闘したくはない。

大人になってから意識的に自分の行動のルールを変えることは可能なんだろうか。

もっと気楽に生きていくために、今からでも生活しながら学んでいければと思う。

長い道のりになりそうだけど、もうしばらくはここにいたい。

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AUTHOR

Gena

Gena

90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は、抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。



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