太っていること、毛深いこと、臭い…「恥」は金になる。あなたの自己否定が誰かの四半期決算を救っている
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
ケンブリッジで数学の博士号取得試験に合格した日、キャシー・オニール(Cathy O'Neil)は喜びを胸に、コンビニでクッキーの材料を買いました。小麦粉、砂糖、チョコレートチップ……これまで頑張ってきた自分を寿ぐための、ささやかな材料です。
それらの材料をレジに持って行った時、事件は起こりました。いつも愛想の良い店員が、何気ない調子で彼女にこう言ったのです。
「なんでそんなもの買うんですか? 太ってるって自覚ないんですか?」
その瞬間、人生で最高の日が、一瞬で恥辱の日に変わりました。心臓が高鳴り、涙があふれ、とてつもない恥を感じたのです。彼女は生まれてからずっと体重に悩まされており、何度もダイエットに失敗していました。ふくよかなのは両親も同じで、生まれつき痩せにくい体質だったのです。
数十年後、この経験は『「恥」に操られる私たち 他者をおとしめて搾取する現代社会』(The Shame Machine 西田美緒子訳 白揚社)という一冊の本になりました。データサイエンティストとして、数学者として、彼女は問いかけます。
「恥は、いったい誰のために存在しているの?」と。
恥の錬金術。ダイエット産業が売っているのは痩せる方法ではない
キャシー・オニールが暴いた最も皮肉な真実は、ダイエット産業のビジネスモデルです。ダイエットをサポートする企業『Weight Watchers』の元CFOは、顧客の84%がダイエットに失敗し、リピーターになると証言しています。「それこそがビジネスの源泉なんです」。驚くべき正直さです。
つまり、彼らが売っているのは「痩せる方法」ではないということです。実際のところ、彼らの商品は「自己否定と再挑戦の無限ループ」だと言えるでしょう。
顧客が「また失敗した」と自分を責めるたび、企業は「また戻ってきてくれた」と祝杯をあげています。恥は、誰よりも誠実な顧客を作り出すのです。
考えてみれば、これほど美味しいビジネスモデルはありませんよね。
普通の業界なら、84%もの高い失敗率を弾き出した場合「欠陥商品」と呼ばれるはずです。リコールの対象にもなるでしょう。しかし、ダイエット業界では度重なる失敗は織り込み済みであり、リピーター獲得のチャンスでもあります。しかも、失敗の責任はすべて顧客が負うのです。「あなたの意志が弱かったから」「あなたが誘惑に負けたから」ダイエットに失敗したのだと、さらなる恥を植え付けることができ、その恥が再びダイエット商品を買わせるモチベーションに転換されるのです。
企業は統計を巧みに操作します。ビフォーアフター写真の劇的な変化、「平均で○キロ減量!」という数字……しかし、その数字がいつまで続くのかは語られません。6ヶ月後、1年後、5年後のデータは、マジックのように消えています。
恥ビジネスは、社会の怠慢を個人の恥にすり替える錬金術
キャシー・オニールはまた、恥を利用したビジネスは、社会の怠慢を個人の恥にすり替える錬金術だと述べています。
例えば、リハビリ施設。依存症者の「意志の弱さ」を責め、再入所の度に料金を徴収します。貧困層向けの社会復帰プログラムは、複雑な書類手続きと薬物検査を要求し、「自己責任を果たせない人間」というレッテルを貼ります。
社会が「自己責任」を連呼するほど、制度的な解決策から目が逸らされます。
「給食費を払えないのは親の責任」と言えば、子どもの貧困という構造的問題を無視でき、「仕事が見つからないのは本人の努力不足」と言えば、雇用政策の失敗を隠せるのです。
高額なダイエット商品の購入者の84%が失敗し、一時的に痩せられても1年後にはリバウンドしていたとしても、「ダイエットに課金しても痩せられなかった。自分は自制心がない。恥ずかしい」と個人の責任にしている限り、社会は悪質な企業を規制する必要がないのです。
「べき」の罠。恥ビジネスは、健康をも害する
「痩せているべき」「成功しているべき」「完璧であるべき」。
この「べき」は、現実との間に必ず隙間を作ります。そして、その隙間に恥が流れ込むのです。企業はこの隙間に商品を押し込み、「これを買えば『べき』に近づけますよ」と囁きます。
もっと巧妙なのは、失敗したときの罠です。「一度でも失敗したら、もうおしまいだ」という思考は、リバウンドした人を「もう二度と痩せられない」という絶望に突き落とします。そして再び、高額な「最後のチャンス」商品に手を伸ばさせるのです。
ラスボスみたいな広告コピーが、毎年現れますよね。「これが本当に最後のダイエット」。去年も聞きましたけど? 一昨年も聞きましたけど?
キャシー・オニールが指摘するもう一つの恥ビジネスは、女性の身体にまつわる産業です。かつてライソル(消毒液)は、女性器の臭いを恥じさせるキャンペーンを展開しました。正常な身体機能を、恥ずべきものとして売り込んだのです。しかも、その製品は化学火傷や死亡事故を引き起こしていました。事実が発覚したのは、女性の身体が傷つけられた数年後のことでした。
恥で儲けるビジネスは、しばしば健康すら犠牲にするのです。
「誰が恥じるべきか」を設定し直す
キャシー・オニールのクッキー事件から学べることは何でしょうか。
それは、「恥は外から注入される感情である」ということです。彼女は数学の博士号試験に合格し、人生の大きな節目を達成しました。その喜びは本物だったのです。それを踏みにじったのは、見知らぬ他人の勝手な基準でした。
次にあなたが恥を感じたとき、ちょっと立ち止まって考えてみてください。「この恥は、誰が、なんのために、私に植え付けたんだろう?」と。
その答えの先に、あなたを食い物にしようとする企業が見えるかもしれません。あるいは、ただの思い込みが見えるかもしれません。あるいは、他人の不安が投影されているだけかもしれません。
そうすることで、誰が恥るべきか、を変えることもできます。人の体型にケチをつけるなんて、なんて恥知らずな人間なんだ、と思うこともできるわけです。近年、こういった価値観の切り替えは頻繁に行われています。例えば、#Me Too運動。これまでは、性被害にあった被害者が恥るべき、隠すべきだとされていました。しかし、勇敢なサバイバーたちが声を上げたことによって、性犯罪者こそ恥ずべき存在だと認識されるようになったのです。
いずれにせよ、スイッチを切り変える権利はあなたにあります。
博士号に合格した日に、クッキーの材料を買う権利は、誰にでもあるんです。そして、そのクッキーを焼いて、心ゆくまで味わう権利も。
恥ビジネスの餌食にならない自由を、私たちは持っています。さあ、スイッチを切り替えましょう。
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