聖と俗の境界線を歩く:ルアンパバーンの托鉢|心理師の旅と心の記憶と記録

聖と俗の境界線を歩く:ルアンパバーンの托鉢|心理師の旅と心の記憶と記録
Photo by Yuri Ishikami
石上友梨
石上友梨
2026-01-14

東南アジアのラオスの古都ルアンパバーン。伝統的な儀式である托鉢にて心理師が感じたことを綴ります。

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托鉢という名の日常

ラオスの古都、ルアンパバーンの朝は早い。夜が明ける頃から、街にはオレンジ色の袈裟を纏った僧侶たちの列が現れる。「托鉢」と呼ばれるこの儀式は、14世紀に広まったとされるラオスの伝統的な信仰の姿だ。僧侶は「福田(徳を積む場)」と喩えられ、人々は自らの手で供物を捧げることで功徳を積む。しかし近年、この神聖な儀式は、皮肉にもこの街を象徴する「観光アクティビティ」へと姿を変えつつあるようだ。

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観光という名の狂騒

まだ真っ暗な早朝、私はホテルを出た。托鉢が行われるメインストリートを目指して歩くと、そこには奇妙な光景が広がっていた。街灯の下に、見慣れないプラスチックの椅子が延々と並べられている。

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「この椅子は一体どこから来たのだろうか」

効率的に配置された椅子に座るのは、大量の観光客と、ごく少数の地元の人々。僧侶に捧げるためのカオニャオ(もち米)がセット販売され、まるで見世物の開演を待つ観客席のようだ。夜が明ける6時を過ぎ、托鉢が始まる。表情を一切崩さず、淡々と供物を受け取る僧侶たち。そのすぐ後ろを、必死についていこうとする幼い僧侶。その姿を、フラッシュの光が容赦なく撃ち抜く。写真を撮ろうと群がる観光客。私もまた、その中に身を置く一人であるという事実に、少しだけ冷めた気持ちが胸をかすめる。目の前を僧侶が通り過ぎていくと、先ほどまでの熱狂が嘘のように、観光客たちは驚くべき速さで撤退していく。そこには、祈りの余韻など微塵もなかった。

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静寂の中の信行

私は少し冷めた気持ちのまま、ホテルへ戻るために歩き出した。メインストリートを背にし、反対車線を、僧侶たちと同じペースで歩いてみる。街の中心部から少し離れた「ワット・マハータート」のあたり。ナーガ(蛇神)が両脇を固める階段が見えてきた。どうやらここが、僧侶たちの折り返し地点のようだった。そこへ辿り着いた瞬間、空気の色が変わった。観光客の姿は一人もなく、空はマジックアワー特有の薄紫に染まっている。そこには、静かにお供えをするラオスの人々がいた。彼らは観光客に囲まれることもなく、ただ静かに、敬虔な心で供物を捧げている。

ふわりと、かすかな焼畑のにおいが鼻をくすぐった。冷たく澄んだ朝の空気と、この懐かしい煙のにおい。その中で丁寧に繰り返される信行の姿。そこには、先ほどまでの喧騒とは無縁の、圧倒的な静寂と「美しさ」があった。この淡々と続く中にある平穏と静けさは、ある意味でのメディテーション(瞑想)なのだと理解した瞬間だった。

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