大好きなトンカツを食べていたら突然発症。「会食恐怖症」に10年苦しんだ私が笑顔で食べられるまで【経験談】

『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』(はちみつコミックエッセイ)より
『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』(はちみつコミックエッセイ)より

『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』(はちみつコミックエッセイ)作者のなつめももこさんにお話を伺いました。20代のある日、大好きなトンカツを食べているときに突然始まった会食恐怖症。誰かと食事をすると喉が詰まり、息も液体も飲み込めなくなる症状に、約10年間苦しんだといいます。一度は病院との相性が合わず通院をやめたものの、悪化した症状に向き合うため再び個人クリニックへ。なつめさんの回復までの過程について詳しく伺いました。

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突然始まった会食恐怖症

——会食恐怖症の症状は、ある日突然出始めたのでしょうか?

そうですね。20代の頃だったのですが、特に体調が悪いという感覚もなく、トンカツを食べているときに急に「あれ?」という感じになったのが最初でした。

漫画にも描いているように、食べることも好きで、週に何回もトンカツを食べることもあったくらいでした。

——どんな症状だったのでしょうか。

誰かと食事をすることで極度の緊張状態になってしまって、喉の部分がぎゅっと詰まってしまいます。

喉にゴムボールが入っているような感覚で、息もできないですし、自分の唾を飲み込めなくて、もちろんお水も飲めないですし、口に食べ物を入れてもその先に入っていきません。

そういう症状が出るので、その場にいるのがすごく怖いという感覚になりました。

人によっては手が震えてしまうといったこともあるそうです。私はそこまで顕著ではなかったのですが、身体的にも何かしら症状が出てしまうことも、会食恐怖症の特徴であるかと思います。

お医者さんからはパニック障害のようなものであると説明を受けました。

——症状によってどんなつらさがありましたか。

会食のときに普通にご飯が食べられないので、「食べよう」「美味しそう」となっている雰囲気で、その輪に入れないですし、一緒に楽しむこともできないという恐怖の方が勝ってしまって、その場に自分が打ち解けられないことがつらかったです。

さらに「あれ、食べないの?」と心配されることで、せっかく楽しい場なのに空気を壊してしまっていると思って、追い詰められている部分もありました。

私の場合は最初に通っていた精神科を途中で行くのをやめて、自力で解決しようとしてしまった時期があり、悪化してしまいました。それで、食事の場以外でも乗り物に乗れなくなったり、会議室や映画館みたいな逃げにくい場所にいるときに、喉が詰まってて唾も飲み込めなくて息苦しいという会食のときと同じ症状が出るようになってしまったんです。

会食を避けることはできても、乗り物や会議室など日常生活の場にも支障が出てきたことは、よりつらかったです。

——症状はどのくらい続いたのでしょうか。

初めて症状が出てから、お医者さんに「一旦通院を終わりにしましょうか」と言われる日まで、約10年です。

症状には波もありました。10年あれば、生活環境が変わることもあるので、日常生活に大きい支障があるときもあれば、なんとなくごまかしてやっていけるようなときもありました。

最初の精神科に行くのをやめてから数年経って、症状が悪化してしまいました。それから個人クリニックに2、3年ほど通って、喉が詰まったり、脱走したくなったりする感覚がなくなっていきました。

——同じ会食恐怖症でも、人によって少しずつ症状に違いがあるとは思うのですが、なつめさんの場合は外食と会食が難しかったのでしょうか。

私は誰かとご飯を食べるのが難しい状態で、1人であれば店員さんや他のお客さんがいても、外食ができました。誰かと一緒に外食することで、症状が出ていました。

家で誰かと食事をする機会はあまりなかったので、あまり覚えていない部分もあるのですが、症状は出つつも、家での食事の方が帰宅途中などの不安はない分、まだ安心感はあったと思います。

——なつめさんご自身は会食恐怖症の原因はわからないと描かれていました。今でも原因がはっきりしている感覚はないのでしょうか?

会食恐怖症の人でも、一つのことが原因になっている人もいれば、色々なことが複雑に絡み合っている人もいると思います。私の場合は後者で、自分の中では明確に原因となっている一つの要素というものはありません。

子どもの頃、親から「全部食べなさい」と強く言われていましたし、給食を完全に食べきるような圧を感じた経験もありました。

とはいえ、それらが直接的な原因なら、もう少し早く症状が出るような気もしますし、最初に症状が出たときに、子どもの頃のことを頻繁に思い出していたわけでもないんです。

私自身の性格や当時の人間関係、健康状態など、色々なことが絡み合って症状が出たのではないかと自分では思っています。

ちなみに、漫画にも描いているように、会食恐怖症の症状が出た後で、激務でピリピリした空気の部署で働いていたことはあったのですが、症状が出たときは、働き方もハードなわけではなく人間関係も穏やかな職場でした。自分のことに関しては、いまだになぜ症状が出たのかわからないという感覚です。

『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』(はちみつコミックエッセイ)より
『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』(はちみつコミックエッセイ)より

病院は相性がある

——精神科へ行ったものの、一度合わないお医者さんに当たって通院をやめています。再度通院するまでどういった経緯があったのでしょうか。なぜその病院を選んだのですか?

最初に内科に受診した後、総合病院の精神科を紹介してもらったのですが、あまりゆっくり話を聞いてもらえず、合わないと感じて「治りました」と言い切って逃げるように通院をやめました。

それからクリニックを見つけるまでは3、4年ほど空いてしまっています。「会食さえ避ければなんとかなる」と思ってしまったんです。

改めてクリニックを探したときは、社員旅行に行かなければならない中で、症状が悪化し、焦る中で、冷静に条件を考えて探そうという判断ができる状態じゃなかったんです。

その状況で、そのクリニックを予約した理由は、話をゆっくり聞いてくれそうな印象を受けたからです。

——精神科であまり長く話を聞いてもらえないという経験談は珍しくないですが、なつめさんが見つけたクリニックは毎回長めにお話聞いてくれたのでしょうか。

こちらから伝えたいことがあるときは最後まで聞いてくれたり、雑談を挟むようなこともあって、私が「最近こういうことがあって」と話すと、先生が笑ってくれることもありました。

いつもニコニコしている先生で、カルテを打ちながら話すので、パソコンを見ながらではあるのですが、基本的には患者に顔と体を向けて話を聞いてくれる先生でした。

だからといって、1時間も話し続けているわけではなく、5分ほどで終わったときもあったと思います。5分間でも会話のキャッチボールができて、薬を変えるときには、なぜこの薬に変えるかといった説明もあって、時間の長さに関係なく、納得できる診察をしてもらえた感覚がありました。

先生に話を聞いてもらえることが私にとって大事な時間になっていて、病院に行くのは結構好きでした。

——ただ、本書には総合病院の先生が悪い先生というわけではないといったコラムも書かれていました。

当時、本当に冷たい先生だと私は感じていました。でも振り返ってみたら、総合病院に通ってた頃の自分は結構ネガティブな状態だったんです。

元々診てもらっていた内科の先生を信頼していたのに、精神科に行くように言われて、診てもらえないことがショックでした。また、総合病院を紹介してくれた理由も、一番自宅から近い病院であるということで説明してもらっていたのですが、大きな病院に行くほど状態が悪いのかなと思い込んでしまって。「総合病院に行くほど私の症状は悪くないはずなのに」という否定的な気持ちがどこかにありました。

「有給休暇は減るし、休むことで会社に迷惑もかける」と自分がシャッターを下ろした状態で行っているので、結果的にすごく冷たい先生に見えていた部分もあったのではないかと思います。

また、雑談を挟みながら診察されるよりも、淡々と症状を聞いて薬を出してもらって、早く帰りたいと考える人もいらっしゃいますよね。必ずしも総合病院の先生の診察が悪かったのではなく、相性の問題が大きかったと思います。「総合病院よりも個人クリニックの方が良い」と受け取ってほしくないので、コラムとして補足させていただきました。

支えになってくれたぬいぐるみ

——ぬいぐるみの「ねこすけさん」と共に暮らしている描写がありました。なつめさんにとって、ねこすけさんはどんな存在ですか。

小さい頃からぬいぐるみはいつも一緒にいる存在で、「家族の名前を言いましょう」と言われたら、ぬいぐるみの名前を入れていたぐらい、私にとってぬいぐるみは身近な存在です。

大人になってからも、ぬいぐるみは大事な家族で、今もずっと一緒にいます。自分の話を聞いてもらったり、きっとこの子も私のことを信頼してくれてるだろうという感覚もあります。

普段はカバンの中にしまって職場のデスクには連れてこなかったのですが、会食恐怖症の症状があった当時は、仕事中にパニック症状が出てつらいこともあったので、何かしら不安になるようなことがある日には、ねこすけを身に着けて、何か不安になることがあったら触れて落ち着くようにしながら仕事をしていました。

家で1人のときは話しかけることもありますし、症状が重くなったときは、「ねこすけも私のこと信用してないんでしょ」なんて叫ぶこともありました。それが個人クリニックの先生のところに行く直前だったのですが、ぬいぐるみとの接し方が自分のメンタルヘルスのバロメーターになっている部分もあります。

※後編に続きます。

『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』(はちみつコミックエッセイ)
『外食がこわい 会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで』(はちみつコミックエッセイ)

【プロフィール】
なつめももこ

イラストレーター/ライター/管理栄養士

アラサーで4年制の専門学校へ進学し、30代で管理栄養士の国家試験に一発合格する。
管理栄養士としてのキャリアを積み、出産を機に管理栄養士の資格を活かせるライターへ転身。
趣味のイラストをSNSで発信していると、なぜかイラストの仕事が舞い込みイラストレーターとして活動を始める。
2025年8月、自身の会食恐怖症の経験を描いたコミックエッセイ『外食がこわい会食恐怖症だった私が笑顔で食べられるようになるまで (はちみつコミックエッセイ)』を発売。

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