再出発を誓う。粮理家・ウェルネスフードスタイリスト松見早枝子さんの生き方
自分の心の声に向き合うことは、簡単なようでいて難しい。「本当にやりたいことって何?」私たちは、自分の心の声を無視して、日々をサバイブすることに慣れている。だけど、そんなあなたは心の底から笑えているだろうか? 本連載ではインタビュー形式で、笑顔が素敵な女性たちの「笑顔のきっかけ」を探っていく。彼女たちにとって、笑顔にさせてくれるコトって何だろう? どうやってそれを見つけたのだろう? そして、それを始めたときの「はじめの一歩」って?
粮理家・ウェルネスフードスタイリスト、松見早枝子さんインタビュー【わたしの、はじめの一歩】#17
連載17回目は、粮理家・ウェルネスフードスタイリストの松見早枝子さん。2003年ミス・インターナショナル日本代表を経験した後、美と健康をテーマとしたビューティーレシピストとして様々なメディアで活躍してきた松見さん。しかし今年に入り、突如SNSで肩書きと社名変更を報告し、新たな出発を誓った。そこには苦悩の期間が…。今回はその訳を探りながら、彼女の生き方に迫る。
――まず、料理の世界に入ったきっかけについて聞かせてください。
「実は料理研究家になりたかったわけではないんです。母が料理好きだったこともあり、中学・高校時代にオシャレな料理本をよく見ていました。私もこんな本が作りたいなぁと、出版社で料理本の編集をしようと考えるようになりました。大学もそれで選んだのですが、在学中にミス・インターナショナルの日本代表に選んでいただき、就職活動ができなくなってしまいました。その後もJALのキャンペーンガールをさせて頂き、事務所にも入り、いろんなことがトントン拍子で進んでいきました。当時の事務所は俳優の方が多く、舞台やドラマに出演したこともあるんですよ。でも、自分で思い描いていた世界とは少し違いましたね」
――そうだったんですね。そこからどのように方向転換をしたのでしょう。
「舞台を観劇するのは大好きですが、自分が出演するなんて思ってもいなくて、少しずつ違和感を感じていきました。そんなことを知り合いに相談したら、出版社の方を紹介してくれたんです。その方から、『今から編集者を目指すよりは、レシピをたくさん持っているのだから、レシピ本を出すべく、企画書を書いてみたら?』と背中を押していただきました。それがきっかけです」
――レシピをたくさん持っている、つまり、芸能活動をしながら、レシピを書きためていたということですか?
「ミス・インターナショナルとして活動している時期、体調管理をするためにレシピを書きためていたんです。本気で料理本の企画書を書いてみて、学生時代に読んでいたレシピ本の出版社である文化出版局と講談社に提出してみました。雑穀米を使うなど、美容と健康を意識したレシピが当時にしてみたら新しかったようで、実は両社ともに企画が通ってしまったんです!」
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