性教育を学んで「生きやすくなった」理由|大人のアップデートを阻む壁の正体について考える
性教育の重要性は社会で共有されつつありますが、家庭や学校で内容に差があるのが現状です。「おうち性教育はじめます」シリーズの作者であるフクチマミさんは、大人向けの性教育本を制作してきましたが、今回、子ども自身も読むことのできる『こどもせいきょういくはじめます』(KADOKAWA)を上梓しました。後編では、フクチさんが感じた性教育の難しさや、「対等」に接することの意味、性教育を学んで得られたご自身の変化について伺いました。
日常では白黒はっきりさせられない場面も
——フクチさんが子育てをする中で、性教育の難しさを感じたことはありますか?
以前、私と娘、娘の友人の3人で食事をしたときに、娘の友人が急に娘の肩を抱いたことがあったんです。そのとき「同意を取らずに肩を抱くの?」と距離感の近さに驚きました。でも娘が嫌がっているかもわからない中で、その場で「同意」について伝えるべきかすごく迷って、そのときは何も言わなかったんです。
周りに相談すると、「同意についての性教育動画をその子に送るのはどうだろうか」や「一旦グッと抑えた方がいい。責められたと感じると、子どもは親を敵として認識して、今後何も話してくれなくなるから」といった意見をもらいました。
悩んだ末、娘の友人には直接何もアクションをせず、娘に「あのとき急に肩を抱かれて嫌じゃなかった?もし嫌だったら言うんだよ」と話しました。そうしたら、娘本人は嫌だと思っていなくて「え?大丈夫だったんだ……」と拍子抜けしました。
——教科書的には望ましくなくても、本人は嫌だと思っていないこともあった、ということですね。
今回の取材で伺った小学校で、子ども同士を見ている中で印象的だったのが、くっついてじゃれ合っている瞬間が多いということ。いちいち「同意は取った?」と言うのは、現実的ではないと感じる部分もありました。
「これはダメ、これはOK」と白黒はっきりさせられるものばかりではなく、グレーなことが多いとも。言葉ではっきりと同意をとっていなくても、子どもたちにとっては心地よい触れ合いもあるし、子どもの関係性によっても変わってくる。
大人としてどう接するかを考えると、もちろん嫌だと思ったときの伝え方を教えたりすることはあっても、いざ気になる触れ合いがあったときに、まず子ども本人に「嫌じゃなかった?」と聞く。一発アウトにせず様子を見つつ、程よい距離感を作っていく作業が必要だと思いました。
——状況や子ども同士の関係性など、色々な要素が絡み合っていて、簡単に判断できるものではないのですね。とはいえ、作中でも「じゃれあい」の感覚で触られるのを嫌がる男の子が描かれていました。大人からはコミュニケーションに見えても、本人が実は嫌だと思っているものの、言えなかったというケースもあるので、難しいですね。
子どもを守らなければいけないですし、ある程度、目を光らせる必要はありつつも、子どもを監視するような視点で見てしまうのはまた違うのかなって。親が見守っていく弾力性みたいなものも必要だと感じています。
関わり方は難しくて私自身も日々悩む瞬間はあります。でも嫌なときに嫌だと言えるよう、性教育に関係なくても「さっき暑くなかった?」とか「急に人が集まって嫌だったね」とか、日頃から気持ちを吐き出す練習をさせてあげられるかなと考えています。
私も世代的には「スキンシップで仲良くなる」といった、体に触れることで距離を縮めるという恋愛テクニックが雑誌に載っていた時代に育ったので、そこを勘違いしていた過去の失敗があります。
——確かに、「モテる女性の仕草」の文脈で、「男性の袖を掴みましょう」みたいなことが書いてあった記憶があります。
以前は女性から男性へのスキンシップは問題ないものとして扱われていましたし、男性から女性に対しても「頭ぽんぽん」や「壁ドン」もときめかせる方法として共有されていましたよね。今の親世代はそういう情報が刷り込まれている人も多いので、学び直しが大変だと思います。
自分が意に沿わないスキンシップをされたとき、すごく嫌だったことも覚えています。でも「嫌と思ってはいけない」という思い込みで蓋をしていた部分は絶対あります。「あるべき姿」に忠実になって、自分の気持ちや声を聞いてこなかったんです。
これからは「他の人は気にならなかったとしても、自分は嫌」という声が尊重される世の中になっていくでしょうし、そうしていきたいと思います。自分の感情に蓋をされるとすごくつらいですし、その歪みは何らかの形で出てくると思うので。
「ごめん」と言ったら負け!?
——現状、子どもは学校で性教育を学ぶ機会が出てきて「大人の方が性教育を知らない」ということはありえると思います。「親の言うことは絶対」「大人の言うことは正しい」という教育を受けて育った人は多いと思いますが「子どもの話を聞く、意見に耳を傾ける」という部分で、大人のハードルだと感じることについてご意見をお聞かせください。
上から下へという上下関係が、親子関係でも学校の教師と生徒でも会社でも、根強くありますよね。大人の間で「子どもの意見を聞いたら自分たちが支配される」という恐怖心があることを薄々感じています。
「対等」であることがすごく大切なのですが、対等とはどういうことなのか、日本ではまだ理解されていないと感じます。対等とは、ルールを守りつつも、子どもが感じていることに耳を傾けるということだと思います。なので、対等になったら無法地帯になるわけでもないんですよね。
子どもの意見を大切なものとして扱い、軽く扱わないことが対等ということ。対等だからこそ、大人であっても子どもに謝ります。監修の村瀬幸浩先生も、北山ひと美先生も「これは間違っていた、ごめんなさい」という言葉がするっと出てきて、とても爽やかで信頼感が高まります。
子どもは確かに未熟ではありますが、何かを感じたり判断する力はあって、まだそれを上手く言葉にできないだけ。子どもの持っている力を軽く扱わず、ちゃんと意見を持っていると認識できれば、その言葉を大切にできるのではないかと思います。
——子どもの頃を振り返ると、ある程度の年齢まで「大人は間違えない生き物」と思っていました。
「大人も親も人間なんだ。間違えることもあるんだ」と気づく瞬間がありますよね。実際、大人は全然完璧ではありません。完璧ではないのに、子どもの前で完璧なふりをするのも無理があると思います。
基本的に人間は失敗したり間違えたりするものだというスタンスを持つのが、誰にとっても幸せなのではないでしょうか。間違えたときは謝り、今後繰り返さないようにするというシンプルなことでいい気がします。
——「間違ったときに謝れない」ことは、大人同士の上下関係がある関係性でも見られますよね。
たとえば職場で不用意に「彼氏いるの?」と聞いてしまったときでも、「今の質問ダメだったよね。ごめんなさい」と言えれば、それだけで大ごとになったり、会社の規則としてもそれだけで一発アウトにしているケースはなかなかないと思うんです。
「謝ったら死ぬ」と思っているかのように、頑なに謝罪を拒む大人を見かけることがありますが、謝っても死なないですよね。むしろ頑なに自分の非を認められないことで失うものがあると思います。
間違ってしまったときに、謝るか謝らないかで、相手をどう見ているかが問われると思います。相手のことを対等な人として見ていれば、「傷つけてごめんなさい」と言えるはずです。子どもに対しても、自分の所有物のように思っていると、「えっ子どもに謝る!?」となってしまうんじゃないかって。
性教育を学んで生きやすくなった
——本書で初めて性教育に触れる方にとっては情報がたくさん入ってくると思うのですが、スムーズにアップデートするためには、どういう心構えでいたらいいでしょうか?
素直に学ぼうとしている人はどんどんアップデートしていくと思います。アップデートを阻むものは何かと考えると、「過去の自分の振る舞いが正しくなかった」ということを受け入れられないことではないかと。そこに向き合うことを避けると、アップデートできなくなります。過去に知らなかったから間違っていたというのは当然のことです。
——性教育を発信している方は、失敗の経験がないように見えているのかもしれません。
そんなことはなくて、私自身、今も日々悩むことはありますし、本作では失敗する大人も描いています。過去に間違ってしまっても、だから今後永久にアウトというわけではなく、学んで変わっていけばいいと思います。
アップデートという言葉に「正しい人間になりましょう」「より高度な人間になりましょう」というニュアンスがありますが、性教育に関しては、より生きやすく、周りの人ともいい関係をつくりやすく、楽しくなるためのものだと思います。
——フクチさん自身、性教育を学んでどんな点で生きやすくなりましたか?
これまで「なぜ肩がぶつかるのだろう」と思っていたことが、「こうしたら肩がぶつからない」とわかるような、そういう生きやすさがあります。自分が悪いのかと思っていたことが実は自分の問題ではなかったとわかる解放感もあります。性教育を学ぶことで、がちがちだった自分が柔らかくなっていく感じがして、その変化自体が楽しいです。
かつては、性欲を持つことは汚く、自分には性器といういやらしいものがついているのだという意識を持っていました。1作目を描くときは「セックス」という単語も抵抗感があって口に出せないくらいでした。でも学んでいくうちに、「性器はからだの大切な部位のひとつである」という必要以上に価値観をプラスしない、淡々とした認識に変わっていきました。性欲は生き物としてあっておかしくないものですし、必要以上に自分を汚いものだと思わなくなり、生きやすくなりました。
それから、アップデートした友人たちと体や健康について、いろいろと話せるとすごく楽しいんです。例えば生理用品の話で「最近出たあの商品すごくいいよね」「試したんだけど、こうだったよ」とか、自分の体にまつわる日常的なことについてサラッと話せるのは心地よいです。
【プロフィール】
フクチ マミ
マンガイラストレーター。日常生活で感じる難しいことをわかりやすく伝えるコミックエッセイを多数刊行している。著書に高橋基治氏と共著の『マンガでおさらい中学英語』(KADOKAWA)ほか、『マンガで読む 育児のお悩み解決BOOK』(主婦の友社)、『マンガで読む 子育てのお金まるっとBOOK』(新潮社)などがある。
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