朝いちばんの働き者になる。私が見つけたマイ・ニューノーマル #人と違う私を生きる
誰かと同じでいることに安心感を得たり、“自分と違う誰か”に優しさが持てなかったり。誰もがなんとなく生きづらさを感じている現代社会で、自分らしく生きるには? インタビュー連載「人と違う、私を生きる」では、自分自身を信じ認めて自分らしく人生を歩んでいる方々にお話を伺っています。今回は特別編。聞き手/書き手であるライター自身の「人と違う、私」の思いを、エッセイとしてご紹介します。
はじめまして。腰塚安菜と申します。
今後、ヨガジャーナルオンラインで、近年話題上昇中のサステナビリティのカテゴリなどで執筆させて頂き始める前に、自己紹介のようなものを書かせて頂こうと思います。
この度お声掛けを頂いたことを機に「人と違う、私」について、社会と自分の働き方の変化について、はじめに紹介したいと思います。
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この記事をスマホで読みながら電車に揺られて出勤中という方もいらっしゃることを想像します。
私もまた、日本で避けて通れない、朝のストレスのひとつだと感じていました。
一方、旅行先にも仕事を持ち込むリモートワークやワーケーションも見慣れた風景になりましたが、「休日もデジタルに縛られた生活なんて、生きづらい」と感じる方も多いはずです。
このような振れ幅の中、私はパンデミック以降、積極的に後者を選んできました。
簡単に言えば、毎朝の出勤を伴わずに、自宅と出先とを移動するWFH(Work From Home)というハイブリッドな働き方をしています。
大きくは地方移住など、個人や家族の選択でライフスタイルごと変革も可能になり、働き方が多様化し、私もそんな変化を受けた一人。
けれども言ってしまえばやや生ぬるい、今の裁量幅のあるハイブリッドなスタイルに落ち着いたのは「パンデミック以降だから」が直接の原因ではありませんでした。
新しい生活様式前の社会と調和できない。体の声を聞かなければ動けない自分に
ここからのお話は、周囲への打ち明け度合いとしては5割といったところです。
健康自己管理に自信を持っていた私でしたが、ここ1年半の間に体調と体力が急転直下。「後遺症」を疑い、発端となった2021年秋からいくつか病院をキャラバンしてはいるものの、はっきりとした診断は受けられておらず、まだ直接の原因とは断定できていません。これまで経験したことのない痛みや内科的な慢性不調(倦怠感、関節痛、体温の急激なアップダウンなど)を抱えることになりました。
加えて2020年初と比較して、もともと細身だった体や顔がみるみる痩せてしまい、見た目の衰弱から周囲の心配の声すら苦痛に感じることが多くありました。
経過観察をしていたらあっという間に半年、1年が過ぎ、いつしかまた社会に適合しながら働く毎日に戻ったのが、この1年、私に起きた出来事です。
今も「悪魔のような日」(不調/絶不調というグラデーションあり)が定期的に訪れるので、そんな日には協働する方に連絡をし、休み休み、いつもオンラインのまま、自宅で働かざるを得ないこともあります。
特に隠すつもりもないのですが、幸いオンラインが中心のコミュニケーションでは「不自由なさそうに」仕事をこなせてしまうのが現状で、日頃のビジネストークの中で話題にする機会が少ないだけ。
自分では「まだまだ伝えきれていない」と感じています。
悲しかったことの一つに、体の痛みや倦怠感で寝込む日が多くなり、それまではスタジオにも通いながら楽しく続けていたヨガが、やり辛くなってしまったこともあります。
最も身近な家族やパートナーでさえ共感することが難しい、自分に起きた変化を知っていただきたいという想いも強くなり、2022年9月、ヨガジャーナルさんでの「闘病中の人のためのヨガ」というイベントで、ご縁がここに実り、初めて公に打ち明ける機会をもつことが出来ました。
思えば2019年までの私は、朝は出勤前にパワーブレックファースト、日中はアクティブに外で働き、夜は遅くまで会食を楽しむといった、当時は当時なりのルーティーンで、平日は特に都会的で刺激的な生活を送っていました。
休日も表に出てイベントへ、取材のためのひとり海外旅行などもしていましたが、定期的に「疲れているのか、いないのか。自分にとって無理のあるスケジュールではないのか」と、体の声に耳を澄ます機会は少なかったのではと振り返ります。
自分ごとを経て社会ごとへ。 「見えないけど、私はつらい」それぞれの思いに関心を
これまで環境・社会関連で執筆を行うことの多かった私はこの自分ごとを機に、いよいよ体に合わせた新しいルーティーンをつくり、働き方も抜本的に変えるターニングポイントが訪れたと実感しました。
「不調をチャンスに」とは文筆家・服部みれいさんが著書の中で繰り返し発信していること。
まさに今の私が共感できたメッセージでした。
自他ともに認めるポジティブシンキングの私は幸い、今はそう捉えてポジティブに生活が出来ていますが、「後押しされても、だめな日はだめ、心も体も参ってしまってポジティブに生活なんてできない」という方々に向けても、私が持ちうる執筆・発信のエネルギーを使って何か役に立てないかと思いました。
ここで話は少し転換しますが、最近、私は執筆者のお一人である宮井典子さんもふれていた「ヘルプマーク」に関心を持ち、この自分記事の「取材」も兼ねて、勇気を出して取得に踏み切りました。
援助を必要としている方が知らせるサインや行動は、もちろんこれまでも電車やバスで高齢の方々への優先席、妊婦さんの持つ「マタニティマーク」などが、馴染みのあるものとしてすでに存在するものだったと思います。
けれどもこのヘルプマークについては、一度ニュースで話題にはなったものの、対象者や理解浸透が今ひとつ進んでいないと感じているところです。
東京都福祉保健局によれば「外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々」を「義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など」と定義されていますが、対象者は果たして、それだけでしょうか。
先述した不調を機として、私も他人ごとではなく「対象者の一人となった」と感じたのです。
実際、都内では公共交通機関や病院で配布を行っていたり、直接の受け取りが難しければ郵送対応もしてもらえたりなど、面倒な手続きはなく、とてもアクセスしやすいものでした。
毎朝、満員の車内で押し合いへし合いする日本で「お互いにケアし合うこと」が、より当たり前になるような、そんな社会をドライブする波に乗りたい、そう思うきっかけとなりました。
今回はヘルプマークの話題を機に誘発された個人的な関心、行動が契機でしたが、今後も積極的に自分ごとと社会ごとをいったりきたりしながら、取材を続けたいと思っています。
朝いちばんの働き者になる。今の私が見つけたニューノーマルな働き方
締めくくりにもう一度、「生きづらさ」の当事者意識で見直した、自分の働き方についてふれたいと思います。
振り返れば夜明け前から実家のオーブンを目覚めさせ、コーヒーを淹れ、自家製のグラノーラの焼き立てをつまんだりしていた私は、社会に出る前からずっと朝が得意でした。
あれから10年ほど経つ今、グラノーラは焼いていないものの、旅先でも家でも、朝焼けを眺めながら執筆をすること、モーニングコーヒーの場所を求めて目覚める前の街に繰り出すことに何より至福を感じます。
これだけはアフターコロナで変わらない、自分の持ち味です。
人と違う時間軸を過ごしていることに引け目を感じることもありますが、ビジネスシーンでもプライベートでも、オンラインでもオフラインでも問わず、大切な人といる時はいつも元気な自分でいられるようにしたいから、自信をもって生活を続けて生きていきたい。
これが本日のタイトル「朝いちばんの働き者になる。」に込める、最新アップデートされた私の宣誓です。
ヨガジャーナルは本誌、オンライン共にもともと愛読者でありました。そんな場所で私の声を活かせる場を頂けたことに感謝し「人と違う、私を生きる」を自分ごと、社会ごととして捉えて発信していきたいと思います。
もちろん、これまで追い続けてきたサステナビリティの軸でも、読者の皆様の生活のヒントに貢献できたら本望です。
AUTHOR
腰塚安菜
慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代から一般社団法人 ソーシャルプロダクツ普及推進協会で「ソーシャルプロダクツ・アワード」審査員を6年間務めた。 2016年よりSDGs、ESD、教育、文化多様性などをテーマにメディアに寄稿。2018年に気候変動に関する国際会議COP24を現地取材。 2021年以降はアフターコロナの健康や働き方、生活をテーマとした執筆に転向。次の海外取材復活を夢に、地域文化や韓国語・フランス語を学習中。コロナ後から少しずつ始めたヨガ歴は約3年。
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