4児の母・41歳で血液がんに罹患。三度の再発に余命宣告…ゆれながら身につけた「後悔しない選択」とは

4児の母・41歳で血液がんに罹患。三度の再発に余命宣告…ゆれながら身につけた「後悔しない選択」とは
AdobeStock
北林あい
北林あい
2026-10-31

41歳で「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という血液がんに罹患した祢冝田満代(ねぎたみつよ)さん。治療途中での病名変更、三度の再発に余命宣告、そして生死を賭けた治療選択など闘病生活は波乱万丈。患者は正しい医療情報を入手し、それを理解して生かす能力”ヘルスリテラシー”を求められますが、激流のなかで「知る」ことへの意識はどう変化していったのか。リアルな胸の内を語っていただきました。

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

9年にわたる闘病生活は「まさか」の連続

― 最初に治療の経緯を教えてください。

鼠径部にしこりを見つけて病院に行ったら、良性のガングリオンと言われました。治療の必要はないと言うので放置していたら大きくなり、再度受診したら血液がんの一種である悪性リンパ腫と診断されました。それが2015年のことです。

悪性リンパ腫には様々な種類がありますが、私は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)」というがんでした。

抗がん剤治療で一度は寛解しましたが翌年に再発し、自家移植ができる病院に転院。そこでこのがんはDLBCLではなく、「濾胞性リンパ腫(FL)」の再発の可能性を指摘されたんです。自家移植に向けた抗がん剤と造血幹細胞の採取を終えたタイミングでした。

タイミング
CAR-T細胞療法に臨む祢冝田さん。「まだ受けられる治療があることが希望でした」。

― 自家移植前の抗がん剤をがんばったあとの病名変更、戸惑いが大きかったと思います。

そうですね。もしFLの再発なら急いで自家移植をする必要はないと主治医に言われ、このまま自家移植に進むか、FLの可能性を信じて治療をやめるか選択を迫られ、やめる決断をしました。

そして7年後、二度目の再発。自家移植は拒否し放射線治療で一旦がんは消えましたが、翌月に再燃し形質転換(悪性度の高い腫瘍細胞に変化する現象)が起こり、ハイアグレッシブ腫瘍になって全身に転移しました。

意を決して拒否していた自家移植に踏み切りましたが、移植前治療の抗がん剤がまったく効かず、腫瘍が皮膚を突き破り膿が止まらなくなってしまって。当時、最後の砦と言われていたCAR-T細胞療法に望みを託し一命を取り留めました。

病を知ろうと思ったのは、命の責任は自分で負うと決めたから

― 最初、がんの事実をどのような思いで受け止めましたか?

悪性リンパ腫と言われても病名に「がん」という言葉が入っていなかったし、風邪でリンパ節が腫れると聞いたことがあるから、その程度のことだと思い重く受け止めていませんでした。その後、これは血液がんだと説明を受け、骨髄検査をすると言われてようやく事の大きさを認識しました。

当時、がんは年配の人に限った病気と思っていたし、2人に1人ががんになることも知らなくて。だから恐怖心より41歳という年齢でがんと言われた驚きのほうが強く、明日から4人の子どもの世話をどうするか、という身近な困惑が先立ちました。

― 未知の病が自分事になり、この病気を知っていこうという気持ちになりましたか?

そうは思いませんでした。今まで大きな病気と縁がなかったので、知ることすら知らなかったんです。患者が知らなくても、お医者さんが全部やってくれるだろうという前提でいました。

今でこそ子どもの頃からがん教育を受ける時代ですが、私は知ることが大事と言われても、何から学べばいいのかわからないというのが正直な気持ちでした。

― 当時を振り返り、あのときもっと知っておけばよかったと悔やむことはありますか?

あまりないですね。初発のときはR-CHOP療法という化学療法を受けましたが、抗がん剤の副作用についてもよく知らず、だから躊躇なく治療に飛び込めたと思います。

今は自分で正しい知識を入手することが生きるために大事だと実感しますが、それは他力本願で流されるままに治療し、途中で医療に不信感を抱く過程を経て、最終的に生きるための治療を自分で選び取る経験をしたからこそ気づけたと思います。

― 自分からこの病気を知っていこうと、気持ちが切り替わったタイミングは?

一度目の再発時はやるしかないと思い自家移植に臨みましたが、その後にFLの疑惑が出てこのまま自家移植を続けるか、それとも正式な病名を調べるために自家移植をやめてがんを呼び起こし再生検をするかという選択を迫られたときです。

旦那さんに相談したら、「治療を続けるのもつらいし、やめたら今度はどうなるか分からないいつらさがある。だから俺は選べない」と言われたんです。

見捨てられたような気持ちになったけど、治療の選択を旦那さんに任せきりにしたら、私に万が一のことがあったとき彼はずっと責任を負って生きていかなければなりません。それは違うと思い、自ら調べて選択するようになりました。

死が間近に迫り自分の意思で治療を選択

― 厳しい局面に立たされ自分の意思で治療法を選ぶとき、ご自身のなかで軸としているものは?

一度目の再発で自家移植をやめる決断をした理由は、正直に言うとつらい抗がん剤治療から楽になりたかったからです。

一方でやめる決断をしてがんが悪いほうに進み、再度自家移植をやることになった場合、もう一度気持ちを立て直して踏ん張る力が湧いてくるだろうかという不安がありました。そうは言っても、できることならつらい治療はやりたくないというのが本音。結局楽なほうを選びましたが、「やめます」と言った瞬間から死に向かう恐怖で頭がいっぱいになりました。

恐怖
CAR–T細胞療法後は体力低下やパニック障害に悩むことに。それでもお世話になった人たちに「ありがとう」を伝えたくて笑顔で撮った1枚。

― 三度目の再発では抗がん剤が功を奏さず自家移植を断念し、CAR-T細胞療法に進むことになりました。途中で医療不信になったそうですが、それでも治療に踏み切った理由は?

がんと言われると死を連想する人は多いと聞きますが、私は不思議と死を意識したり、死ぬ恐怖に飲み込まれたりすることがなくて。

三度目の再発時に余命宣告されて初めて、自分のなかに死が入ってきました。
当時は西洋医学が信じられず東洋医学にシフトしていましたが、最終的には子どもとの生活を明日も続けたい、と医師に伝えて「生きるため」にCAR-T細胞療法を選びました。西洋と東洋、二つの医学を経験しましたが、選ばなかった道が間違いだったのではなく、選んだ道を生きているという感覚です。

医師との信頼関係は「私」を理解してもらう努力から

― 治療は情報と意思を主治医と共有し、二人三脚で行うのが理想的です。どのように信頼関係を築きましたか?

医師と十分な信頼関係が築けない状態で、この治療がしたいと自己主張ばかりして喧嘩になり転院したことがありました。これではいけないと思い、5分で自分のことをわかってもらうノウハウをまとめたビジネス本を買って勉強しました。

病気のことはカルテに書かれているけど、「私」という人間をわかってもらうには努力が必要だと思ったんです。

転院先の病院での初診の日、「先生、私は自己主張がしたいんです」と伝え、自分が希望する治療法とその理由を伝えたらすごく熱心に耳を傾けてくれました。

― そのときはどんな主張を?

一番下の娘は、5歳のときから母親の私がずっと闘病生活をしている状態。二度目の再発時、娘は中学2年生で翌年冬に受験を控えていました。

このタイミングで自家移植に入るとまた長い入院生活になるので、1年間だけ治療を延ばしてほしい。受験が終わったら自家移植をするから、それまでどうにかしてがんの進行を抑え、入院せずに日常生活を送れる治療をしてほしいと提案しました。

後悔しない選択をするには「自分を知ること」が大切

― CAR-T細胞療法から2年経ち、現在は寛解を維持されていますね。これからどんな人生を思い描いていますか?

本当に失礼な話ですが、がんになる前は人に心から「ありがとう」と思ったことがなくて。

2024年に余命宣告を受けてCAR-T細胞療法という最新の治療法に助けられたとき、今ある治療は多くの人の情熱や努力、そして勇気を持って治験に参加された方々の賜物だと思ったら、初めて心の底から震えるぐらいの感謝が湧いてきたんです。これからはもらった恩を返し、いただいた人生を楽しみながら使い切りたいです。

感謝
がんの治療研究を応援するための寄付活動などを行うNPO法人「deleteC」の活動に共感。「治療研究は、研究者一人一人の強い想いの賜物だと知りました 」

― 恩返しはもう始まっていますか?

がん情報を知るための入口となるホームページをつくりました。ときには知らないことで守られる場合もあるので、「みんな知ったほうかいいよ」と言いたいわけではなく、知りたいときに「こんな場所があるよ」と選択肢を探す入口として活用していただきたいです。

また「知る」とは、医学の知識はもちろんですが「自分を知ること」がより大切だと感じます。

私はどう生きて何を大切にしたいか、何であれば受け入れられるのかを明確にし、それを自分の言葉で医療者や周りの人に伝えられること。これが「患者力」ではないでしょうか。人に認められることより自分の心を大切にしながら、生きている価値を見出すためにも自分のことをもっと知っていきたいです。

 

お話を伺ったのは…祢冝田満代さん

2015年、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫に罹患し、三度の再発と余命宣告乗り越える。2017年には甲状腺がんに罹患。4児の母であり、発症後にヨガインストラクターの資格を取得し指導。現在は引退しホームページを通してがん情報とつながるための活動を行う。東海地区がん交流ナビ http://tunagarecancercafe.wixsite.com/tunagare-cancer-navi

 

Google Newsでヨガジャーナルの記事が見つけやすくなります

Googleに登録する
広告

RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

タイミング
恐怖
感謝