性に興味津々だった子ども時代の私。令和女児の母になって突きつけられた被害と加害の矛盾【経験談】

『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)より
『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)より

フィクションで描かれる性描写と現実の性暴力の境界が曖昧だった時代に育ち、ご自身も性に興味津々な子どもだったというこたきさえさん。コミックエッセイ『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)作者のこたきさんへのインタビュー後編では、子ども時代の振り返りや、娘がいる立場になって気づいた自分の中の矛盾について伺いました。「大したことない」と矮小化してきた被害と向き合い、認識を更新していく過程に、性教育の本質が見えてきます。

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子ども時代の自分は、性に興味津々だった

——こたきさんご自身、子どものころは性に興味津々だったと作品に描かれています。改めてご自身の子ども時代をどう振り返っていらっしゃいますか。

子どものころの私はお人形遊びをしているときに、「お人形のここはなんて名前か知ってる?」と質問を繰り出すような子どもでした。友達は「胸」「おまた」と答えていて、私は「胸とも言うけど、おっぱいでしょ」「おまたとも言うけど、マンマンだよ」と教えていたんです。からかいや下ネタを話している感覚ではなくて、「こんなことも知らないなんて、教えてあげよう」と、自分の中では生物学の知識を共有しているくらいの気持ちだったんだと思います。客観的に振り返るとすごく恥ずかしいですし、自分の子どもがそんなことを友達に言われていたら嫌だな、と思います。

——当時のフィクション作品などの影響を受けたと思いますか。

中学生のころ、表紙はかわいい女の子のイラストなのに、開くとかなり踏み込んだ性描写が出てくるような少女漫画が話題になっていた世代でした。

当時の漫画には、本命の彼との性描写ももちろんありましたが、当て馬っぽいキャラクターや不良に襲われかけるシーンも多かったんです。そういう一方的な行為でも、テクニックで気持ちよくなってしまうとか、もしくは本命の彼が助けてくれる、というような展開で、同意のない行為が性暴力として描かれていませんでした。そういうシーンを見慣れていたので、現実の性暴力と、エンタメの中の演出としての描写との違いが、自分の中でよくわからなくなっていたんじゃないかと思います。

——フィクションでポジティブに描かれる性的なシーンが、現実だと性暴力になる。性教育を学ばないままフィクションの影響だけ受けていたことは、ご自身の望まない性的な経験との向き合い方にも影響しましたか?

影響したと思います。自分の被害について、「大したことない」と矮小化していた感覚があります。一方的に性的に見ることも、漫画では好きな女の子に対してする行為として描かれることが多く、犯罪のように描かれることは少なかったので、「その程度のものなんだろうな」と処理していました。

それに当時は「男性から性的に眼差されることが女性としての評価につながる」という価値観が、社会にも、そして私の中にも存在していたと思います。女性向けファッション誌でも「モテ」という言葉が溢れていて、男性から選ばれることがいいことだという空気がありましたし、その中には性的な視線もグラデーションで混ざっていたと思います。

心の奥底では「なんか嫌かも」という感覚があっても、「男性に好意を持たれるのは良いこと」という情報を浴びていたから、自分のモヤモヤや違和感にたどり着きにくかったと思います。今振り返ると、「あれは嫌だったな」と思い出すことがありますが、当時は「男性から性的に評価されるのは良いこと」という社会に漂う価値観を内面化していたので、気づきませんでした。

『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)より
『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)より

娘には絶対に「大したことない」とは言えない。そこで気づいた、自分の中の矛盾

——その認識はどのように変わっていきましたか。

自分の被害を小さく見てしまう考えはなかなか抜けなかったのですが、娘がもし同じ目に遭うかもしれないと思うと、「痴漢くらい」「スカートめくりくらい」なんて、絶対に言えないので、認識を変えていかなきゃと思うようになりました。自分の被害を小さく捉えることは、自分を大切にしないだけじゃなくて、同じような経験をした他の人の被害も矮小化してしまう可能性があると思ったからです。

今は本当によくなかったと反省しているのですが、私自身、女友達との距離が近くてふざけてお尻を触ったりスカートをめくったりといったことを自分もしていたんです。だから「自分もやっていたじゃん」「同じことをされて大げさに思うのはおかしい」という感覚が、どこかにあったのかもしれません。

——ご自身が性に興味津々だった子どもだったことを、作品に出すことに抵抗はありませんでしたか。

正直、一種の禊のような感覚で、恥ずかしさより、ずっと後ろめたかったことを表に出して、ホッとした気持ちの方が強かったです。本作で描いている過去に傷つけてしまった女の子の名前も男の子の名前も、今でもはっきり覚えていて、「○○さん、ごめん」という気持ちが、新鮮なまま残っているんです。親御さんからしたら、自分が大切に育ててきた子どもが、たまたま同級生に私みたいな人間がいたせいで傷つけられる経験をすることになるなんて、本当に嫌だろうなとも思います。

本当に申し訳なく思っているのと同時に、性教育を学び、自分が生まれ育った時代の社会的な背景を踏まえて考えたとき、生まれ変わったとしても、どうすればああならずに済んだのか、いまだに想像がつかない部分はあります。性に強い興味を持つ性質そのものを変えるのは難しいですし、平成初期の生まれで、性教育はほぼなかった時代です。家庭で教わるという文化もなかったし、もしプライベートゾーンを教わっていても、テレビをつければセクハラ的な番組が放送されているし、漫画を読んでも同意のない性描写がある。きっと矛盾を感じて、結局わからなかったと思うんです。

——本作について、読者の方からはどんな反応がありましたか。

「実は私も性に興味津々な子どもでした」という声を結構いただいて、「私だけじゃなかったんだ」と嬉しく感じています。また「自分も女友達との距離感が近くてボディタッチをしてしまっていた」という方もいれば、「私はボディタッチをされる側で、苦手だった」と、どちらの声もいただいています。

試し読みを最初に投稿したとき、「私もお人形を裸にして遊んでいました」というコメントも複数いただいて、私の祖母が私が性に関心が高かったことを否定しないでいてくれたので、それを「素敵だね」と言ってくださる方も多かったです。

——性教育の話をする中で、お子さんから印象的な反応はありましたか。

実は毎回反応が薄くてエピソードに乏しいんです(笑)。「えー、嫌だ」とか「お母さんはしてるの?」とか、こちらは想定して心の準備をしているのに、何も言われなくて。

ただ、最近「望まなくても妊娠は起こりうる」という話をしたタイミングで、性行為の呼び方の話になったんです。「性交」「セックス」「エッチ」と、いろいろな呼び方があるよね、目だって「目玉」「眼球」「おめめ」、英語なら「eye」と、いろいろな呼び方があるのと同じ、と話したら、娘が「あ、セックスってそれのことなんだ!」と言ってたんです。

多分子どもの頃の私みたいな子が友達にいて、娘自身が強い関心を持っていなくても、親が情報の接し方に気を付けていても、子どもの世界が成長とともに広がっていく中で、親が予想していないタイミングで性的な言葉や情報が入ってくるんですよね。親として気にしていても後手に回ってしまうこともあるんだとわかったんです。だからこそ、なるべくタイミングを逃さずに話していきたいと思いました。

『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)
『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)

【プロフィール】
こたきさえ

イラストレーター・漫画制作。姉妹の母。
保育・実用・教材
著書「マンガでわかる 多肉植物はじめます!」(辰巳出版)

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