「妊娠は大好きな人とじゃなくても起きる」娘に伝えた令和の母の踏み込んだ性教育のリアル【体験談】
「プライベートゾーン」の話はしていたけれど、それ以上踏み込めない——そんな悩みを抱える保護者は少なくないのではないでしょうか。今回は、コミックエッセイ『平成生まれの母、令和女児の性教育に挑む』(はちみつコミックエッセイ)作者のこたきさえさんに、二人の娘さんへの性教育について伺いました。生理用品を日常の道具として使う工夫、会話のきっかけを逃さない姿勢、夫婦間の温度差との向き合い方など、肩の力を抜いて取り組むヒントが詰まったお話です。
性教育の絵本の仕事から始まった、子どもへの伝え方を見直すきっかけ
——性教育に向き合おうと思った最初のきっかけから教えてください。
プライベートゾーンについては、明確には覚えていないのですが何かで知る機会があって、長女が4歳、次女が2歳くらいのころには伝えていたんです。基礎の基礎の部分は意識できていたのですが、それ以降はあまり踏み込めていなくて。
その後、イラストのお仕事をする中で、性教育の本の販促物のご依頼をいただき、その性教育の本を読んだことがきっかけで、もっと深く意識するようになりました。その本には「子どもにきちんと性教育をするためには、親が恥ずかしがっていてはいけない」「体のことを正しく説明するために、性器の名前もちゃんと言えるよう練習して慣れていきましょう」という主旨のことも書いてありました。
また「性教育はなるべくなら10歳までにすると、子どもがすんなり聞いてくれる」という説も紹介されていました。当時、娘たちはまだ10歳未満。「タイムリミット的なものがあるのか」という焦りもありました。防犯のこと、アニメや漫画のこと、広告のこと、人との関わり方のこと……性教育のエッセンスが必要になる場面は、日常の中にどんどん増えてきていて、これはちゃんと取り組まなきゃいけないな、と思いました。
——実際にお子さんに伝えた内容や、そのときの反応について教えてください。
最初は『あかちゃんが うまれるまで』(童心社、作:遠見才希子/絵:相野谷由起)の読み聞かせをしたタイミングでした。ほかの絵本と同じように子どもたちに読んだだけです。反応は、意外なくらい何もなかったのですが、「どうだった?」と聞くのもなんだか変な気がして、その日はそのまま他の本も読んで終わりました。
その後、絵本を読んだ次の週に家族で水族館に行ったとき、娘が魚の展示を見ながら「お魚のメスはどうやって卵を産むの?」といったことを聞いてきたんです。本の内容を踏まえないと出てこない疑問だったので、ちゃんと覚えているし、ちゃんと伝わっていたんだなとわかりました。
生理用品は「特別なもの」ではなく、日常の道具として家にある
——日常の中で性教育を自然に取り入れるために、意識している工夫はありますか。
特別なもの扱いせず、日常に落とし込むことを意識しています。たとえば私自身、子育ての中で、生理に関係なく衛生用品としてナプキンを使っていました。おむつが外れたばかりの3歳~5歳の子どもって、まだ排泄のコントロールが完璧ではないですし、胃腸炎など失敗しやすいタイミングもありますよね。下着を汚してしまうことも、お腹が痛いのに何度も着替えさせるのもかわいそうだったので、ナプキンを貼っておくようにしていました。子どもも「貼ったから安心」と思えたみたいでした。
その流れで、娘たちは小学生になってからも、「お腹壊してるからナプキン借りるね」と自分で使うようになりました。これが正しい方法なのかはわかりませんが、特別なものではなく、当たり前のものとして使えているのはいいのかな、と思っています。
ナプキンの本来の使い方については、小学校4年生の宿泊学習の前に伝えました。女の子は生理が始まっているかにかかわらず、必ずナプキンを持っていくルールがあったんです。生理については一緒にお風呂に入るタイミングなどで話す機会もあったのですが、改めて準備しながら、「お腹が痛いときにも使っているけれど、生理のときに使うものだよ」と話して、ナプキンに水を吸わせてみたりもしました。
——他にも、日常で気をつけていることはありますか。
性教育の話ができそうな話題が出た瞬間を、なるべく逃さないようにしています。少し前、娘が理科の授業でメダカの受精のことを学んできたと話してくれて。そのとき「そういえば、人間の子どもはどうやってできるか覚えてる?」と聞いてみました。何もないところから急に「赤ちゃんのつくり方ってわかる?」と聞くと、子どもからしたら「急にどうしたの?」となってしまうので、きっかけがあるときに話す方が自然だと思っています。
最近も何かの話の流れで、娘に「妊娠や出産は、大好きな人との間でなくても起きることがあるんだよ」と、少し重いけれど大事な話もできました。
——性教育関連で、難しさを感じたご経験はありますか?
娘たちの年齢を考えるとまだ早いんじゃないかと思ったアニメを見せてしまったことがあって。性的な表現がある作品を見せてしまったこと自体に、子どもが罪悪感を抱かないような言い方をずっと考えていました。「見せちゃってごめん」と謝るだけだと、子どもの側が「いけないものを見てしまった」と受け取ってしまうかもしれない。かといって何も言わなければ、性的な描写を子どもがそのまま受け取ってしまう。そのあとのフォローは、すごく難しく感じました。
得意なことを担当するけれど、やってもらうことを「当たり前」にしない夫婦関係
——まさにアニメの見せ方についてご夫婦で話しているシーンが印象に残っています。性教育に関して、ご夫婦でどのように共有していますか。
正直、温度差は存在していると思います。性教育について自主的に調べるのは私ですし、娘二人なので、体の変化や気持ちのフォローは私が主体で担っていますが、不満はありません。ただ、意識の共有はしておいた方がいいと思っていて「私はこのくらいの気持ちで、性教育や娘との関わりを気にしているよ」と伝えるようにしています。
心がけているのは、少し早めに共有することです。たとえば「いつまで父親と一緒にお風呂に入るか」という問題。娘が「もうパパと入りたくない」と言ってからやめるのでは、若干遅いと思っているんです。娘が嫌がる前から夫に「そろそろ別々の方がいいんじゃない?」と伝えました。トイレの付き添いも、娘が明らかにまだ1人では行けない年齢の頃から、「今はこういう事件もあるから、ちゃんと付き添うようにしたいんだよね」と先に共有していました。
——最近共有したエピソードはありますか。
少し前から娘が化粧に興味を持ち始めたんです。私のメイク用品を使ったり、自分のお小遣いで買ってきたりして。ただ、始めたばかりなので、すごく濃い化粧になっていたんです。なので夫に、「最近お化粧に興味があるみたい。たぶんしばらく濃い化粧になると思うけど、からかわないであげてね」と伝えておきました。父親としてうっかり一言、ということは起こりやすいので、先回りで言っておく感覚です。
——温度差はありつつも、一緒に性教育に向きあっている感覚はあるので、不満はないのでしょうか?
そうですね。たとえば「娘のキャミソールをそろそろパッド付きにした方がいいんじゃない?」みたいな話を夫から言ってほしいかというと、そういう気持ちはまったくなくて。性教育の担当の比重が私の方が大きいといった感覚でしょうか。ただ、性教育の話をしたときに「任せるよ」と他人事の反応をされるのは嫌だなと思います。その点、夫は話したときにはちゃんと当事者として聞いてくれてますし、私が担当しているのが当然のこととも思っていないので、感謝の言葉も自然に出てきます。だから丸投げにされている感はなく、不満もないですね。
そういった役割分担はほかにもあるんです。たとえば家の中に虫が出たとき、私は虫が苦手ではなく、出たら絶対に外に出したい気持ちが強いので、100%私の担当です。下手に夫に任せて取り逃がして、物陰に消えられたら絶対に嫌だから、自分で責任を持って始末したい。その代わり「感謝してね」「たたえてね」という気持ちでいます(笑)。
逆に、ガソリンを入れるのは夫の担当です。私はメモリが点滅するまで入れる気になれないタイプで、夫は早めに入れたいタイプ。うちは夫の車と私の車とそれぞれあるのですが、夫が私の車に乗ったとき、いつの間にかガソリンを入れて帰ってきてくれていることがあって、そのときは感謝を伝えています。お互い得意な方が得意なことをする、その積み重ねです。
※後編に続きます
【プロフィール】
こたきさえ
イラストレーター・漫画制作。姉妹の母。
保育・実用・教材
著書「マンガでわかる 多肉植物はじめます!」(辰巳出版)
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