〈お金と不安〉なぜ買いすぎる?なぜ衝動的に買ってしまう?24時間あなたを縛るものの正体
社会的に活躍し、経済的にも恵まれているはずなのに、なぜかお金のことで心が揺らぐ——。衝動買いや罪悪感の裏にあるのは、意志の弱さではなく「心のサイン」かもしれません。お金の不安に“寄り添う”専門家・ファイナンシャルセラピストの岸原麻衣さんが、お金の使い方を通して本当の不安を紐解く連載です。
先日、心のダムのことを書きました。そもそもなぜ私たちは、心のダムがオーバーフローするまで重圧を抱え込んでしまうのでしょうか。その背景には、私たちの心の中に棲みついている「過酷な超自我」の存在があるかもしれません。
24時間あなたを監視する「過酷な超自我」
仕事のミスを引き摺ってベッドの中でも反省会、休日にふと「時間を無駄にしている」と焦燥感に駆られる——。社会の第一線で走り続けてきた女性の多くは、心の中に厳しい自己監視の目をもっています。
精神分析の言葉では、社会のルールに合わせられるように自分自身を監督する機能を「超自我」と呼びます。超自我がほどよく機能することで、私たちは社会に適応できているわけです。
しかしながら、この機能が強まりすぎてしまうことがあります。
「もっと生産的であれ」「常に賢く、美しく、周囲を立てよ」「完璧な仕事人、完璧な妻、完璧な母であれ」。その無茶振りのような高い理想像に一歩でも届かないと、容赦なく「そんなんじゃダメだ!」と激しいバッシングを始めるのです。
こうした行き過ぎた自己監視の目を「過酷な超自我」と呼びます。過酷な超自我に支配されていると、お金の使い方は、次のような二極化を起こします。
ひとつは、維持コストとしての消費が嵩んでしまうパターン。自分を磨くためのポジティブな選択というよりは、「きちんと見えるようにしなければ」「マイナスをゼロに引き上げたい」など、独自に設定した合格ラインを目指して、毎月のように美容やブランド品に課金を続けてしまいます。
もうひとつは、あまりの厳しさに耐えかねて、反逆として浪費してしまうパターン。「もうどうにでもなれ!」と、勢いよく決済ボタンを押したり、衝動買いをしたりしてしまう。その瞬間の全能感だけが、がんじがらめの日常から自分を解放してくれる、唯一の手段になっているのです。
労いと感謝を向ける
だからといって、「過酷な超自我」はただの悪者ではありません。
その厳しい視点があったからこそ、あなたは学び、努力し、現在のキャリアや生活を築き上げることができました。今あなたを苦しめている過酷な超自我の存在は、これまであなたを守り、より高みへと引き上げてくれた「功労者」でもあるのです。
ですから、「そんなんじゃダメだ!」というバッシングが始まったら、そっと手を合わせて祈るような気持ちで、その厳しい存在に向き合ってみてほしいのです。
「今までありがとう。私はあなたのおかげで、ここまで育つことができました」
「私はもう成長し、自分で判断できるようになりました。まだ間違うこともあるかもしれないけれど、これからはどうか、裁くのではなく、静かに見守っていてください」
そうやって、その存在を追い出すのではなく、心の中に「引退した守護者」としての居場所を作ってあげる。過酷な超自我から、成熟した自我(=今のあなた)へと、バトンを手渡すようなイメージです。これが、ありのままの自分を承認していくための第一歩。
超自我の重圧から自由になった先の景色
超自我との関係性が変わり、あなたが「引退した守護者」を見守る側になったとき、景色は一変します。
「誰かの期待に応える私」や「理想の私」を演じるための買い物は減っていきます。代わりに、あなたの心の内側から湧き出る「これが好き」「これが心地よい」という、本当にあなたらしいことにお金を使えるようになります。
それは、自分の人生の主導権を、自分の手に取り戻していく。ひとりひとり異なるそのプロセスを、私はファイナンシャルセラピーを通して応援しています。
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