東京への通勤も可能?!家族5人で〈山梨移住〉#暮らしの選択肢
二拠点生活者のリアルな日常を深堀りする連載企画「#暮らしの選択肢」。今回は、番外編として、地方へ完全移住を選択された移住者へお話を伺います。自らの価値観に基づき「暮らしを選ぶ」移住者たちが考える、魅力や課題、リアルな日常を深掘り。理想と現実の狭間で見えてくる「暮らしの選択肢」の今を伝えます。
今回の「#暮らしの選択肢」は、番外編。山梨県甲州市へ移住を選択された造形作家の真鍋百萌さんにお話を伺いました。東京都国立市で自宅兼アトリエ教室を開いていた真鍋さんが山梨県へ移住をしたのは、2025年8月。都心近郊育ちの真鍋さんは、子どもの頃から自然豊かな場所に住むのが夢だったそう。一方で仕事の関係で東京を離れることはできず、また3人の子どもの手が離れるまでは、難しいと考えていたのが一転、山梨なら東京への通勤も可能ということが分かり、不安を抱えながらも移住を決意します。移住して5ヶ月たった今、移住当初に不安だったことは、解消されたのでしょうか?真鍋さんの「#暮らしの選択肢」に迫ります。
〈プロフィール〉真鍋 百萌(まなべ もも)
造形作家。
東京国分寺の自宅兼アトリエにて「ゆずの木アトリエ」を開き、「自然のものから暮らしの物作り」をテーマにアトリエ教室を開催。
2025年8月より、夫と子ども3人の家族5人で、山梨県甲州市へ移住。
Instagram: @momo12160627
子どもの頃からの夢を今叶えた理由
– 2025年8月に、東京都国分寺市から山梨県甲州市塩山にお引越しされたということですが、真鍋さんはご出身も東京ですか?
真鍋さん: 実家は千葉です。千葉と言っても、東京にかなり近い埋立地で、マンションがたくさん建っているような場所でした。今振り返ってみると、新しい街なので住環境はとっても良い場所でしたね。道路も広かったですし、街路樹がきれいに整えられていて、公園もありましたし、東京近郊のわりには、緑豊かな場所だった思います。子どもながらに、いい所に住んでいるという感覚があったと思います。一方で、北海道に祖母の家があったのですが、そこに行くと、緑豊かな新興住宅街とは比べ物にならないほど、自然のスケールが違ったんですよ。私が「自然」だと思っているものは、人に手入れされてきれいに整えられた自然なんだということを感じずにはいられませんでした。一方で、北海道の自然は、美しさだけではなくて、怖い部分もある。1年に1回、北海道に遊びに行っていたのですが、その度に、そのような田舎の大自然に対する憧れがとても強くなっていきました。
– 子どもの頃から、大自然に近い場所で暮らしたいという憧れがあったということですね。
真鍋さん: はい。私の心の根底には、子供の頃からずっと、自然と共存する、自然と一緒に循環する暮らしがしたいという気持ちがありました。小学校5年生の時の将来の夢は、北海道でカフェをすることだったんです。きっといつか北海道に住むんだと信じていました。大人になって、その夢は叶わなかったのですが、今は、造形作家として自然の素材を活かしながら、自然と触れ合うということを仕事にしています。そして、2025年8月からは山梨に移住して、少しずつですが、子どもの頃の憧れが、実現に向かっている実感を持っています。今はまだ移住して数ヶ月なのでいっぱいいっぱいですが、いずれは、東京に住んでいた時のように、自宅にアトリエを構えて、制作を通して私なりに夢を叶えていけたらと思っています。
–では、山梨へ移住したのは、子どもの頃からの夢を実現するためだったのでしょうか。
真鍋さん: それも大きいです。子どもの頃から田舎に住みたいという願望はあったのですが、結婚して3人の子どもに恵まれて、夫の仕事の都合もあり、東京を離れることができませんでした。そのため、心の中で子どもたちが成長して手が離れたらゆくゆくは、移住できたらと思っていたんです。そんな中、子供たちが中学校、小学校へ上がり、新たな悩みが生まれました。我が家の子供3人はゆっくり少しずつ世界を広げていくタイプで、大きな学校ならではの集団生活に戸惑うことが多くなって。家やフリースクールで過ごす時間が増えていくにつれ、家族だけで支えることの限界も感じました。そこで環境を変えた方が良いと家族で話し合いをしたんです。もう少しのんびりできる環境の方が、子どもにとってもいいのではないかという結論に達し、それまで先延ばしにしていた移住計画を進行することになりました。
甲州市なら東京へも通勤圏内
– 移住先は山梨以外にも検討されたのでしょうか?
真鍋さん: いいえ、山梨だけで考えていました。山梨には、以前からキャンプでたまに行っていたので、土地勘や雰囲気にもある程度馴染みがあったので。また、夫は仕事の関係で、週に数回東京に通わなくてはならいことから、山梨ならギリギリ通えるのではないかと。それに、北海道にも雰囲気が似ているんです。それで、最初は山梨県の北杜市にある「おためし住宅」(※)に泊まってみました。
※「お試し住宅」: 地方への移住を検討している人が、実際にその地域に短期間住んで生活を体験できる住宅(体験型宿泊施設)のこと。移住後のミスマッチを防ぎ、移住のリアルなイメージを掴むための制度。家具・家電が揃っていて、自治体によっては無料で利用できたり、地域住民との交流機会が提供されたりすることもあり、移住を具体的に検討する最初の一歩として活用されている。
– では最初は、甲州市ではなく、北杜市で検討されていたんですね。
真鍋さん: はい。ただ、北杜市だと東京への通勤時間が、思っていたより長かったんです。そこから、東京寄りのエリアを中心に探し始め、山梨県甲州市の塩山という街にたどり着きました。そこでも再び、お試し住宅に宿泊して、不動産屋さんに直行しました。雰囲気も良かったですし、東京への通勤も無理なくできそうだったので。また、物件の条件を伝えたら一つだけ合う物件が見つかったんです。
– 一つだけ!それは、ラッキーですね。どういった条件だったのでしょうか?
真鍋さん: まず第一に、我が家は5人家族なので、5人が住める広さがあるというのは大前提になります。また、夫は画家で、かなり巨大な絵を描くんです。少なくとも十畳分ほどの広さのある制作アトリエを確保しなくてはいけなくて。加えて、猫を飼っているので、ペット可の物件というのも絶対条件でした。最初から物件を購入するというのはさすがに勇気のいることだったので、賃貸で探してました。そうやって探していったら、山梨県の中でその条件に合うのが2つだけあったんですよ。そのうちの一つが、たまたま塩山に見つかって。ほぼ即決で、飛び込みました。
– 運命的ですね。では、今はご主人は、基本的にはご自宅で絵を描いて、月に数回東京へ行くという生活をされているのですね。
真鍋さん:はい、週に2〜3日、東京の絵画教室で講師をしています。私も、東京には月1-2回、教室に教えに行っているのですが、東京-山梨間は、「特急あずさ」や「特急カイジ」があるので、それに乗ると1時間半で新宿まで着きます。また鈍行電車で通ったとしても2時間ちょっとで着いてしまうんです。わりと眺めも良いので、のんびりできて、睡眠時間に当てたり、自分の時間に当てることができます。
– 山梨というと、東京から遠いイメージでした。
真鍋さん: 私も、そういったイメージを持っていました。けれど、我が家のご近所さんにも、東京に毎日通勤していたという方もいます。もしかしたら、東京での仕事がネックで地方移住ができないという方も多いと思うのですが、甲州市であれば全然アリではないかと。東京から山を越えて、盆地に入ると、空気が変わるんです。東京の喧騒から、山に囲まれた山梨独特の気候や景色に囲まれると、とても不思議な感じがします。また、冬でも昼間は比較的暖かいんです。どうやら甲州市の方は、雪も降らないようです。おそらく北杜市の方まで行くと、雪も結構降るのでないかと思うので、そういった意味でも都心から移住してきての住みやすさのハードルは低いのではないかと思います。また、特に塩山周辺は観光地化されてなくて、歴史のある寺院などがきちんと残っていたり、もちろん自然豊かですし。時が止まったまま残っているような場所もあっておすすめです。
自然の素材を使って作品を作る
– 真鍋さんは、造形作家でいらっしゃいますが、具体的にどういった作品を作られるのでしょうか?
真鍋さん: 自然の素材を使って暮らしのものを作ります。例えば、ツルを摘んで、かごを編んだりとか。東京の自宅でアトリエ教室を開いていた時は、葛という植物のツルを生徒さんと一緒に河原などで摘んで、それを乾燥させて、水につけて柔らかくして編んだり。また、布を自然の植物で染めたりもしていました。職人ではないのですが、暮らしに役立つものを制作をしています。
– 東京に比べたら、塩山の方には素材がたくさんあるのではないでしょうか?
真鍋さん: そうなんですよ。やはり東京に比べたら、素材の量も多いですし、良いものがたくさんあります。東京にいた頃は素材を集めることからはじめないといけませんでした。例えば「多摩川まで行って、素材を取りに行こう」という感じで。それはそれで楽しかったのですが、塩山では半径数メートルの身の回りに素材になるものがたくさんあるんです。今までは葛のツルを使用していましたが、大家さんの敷地に籐のツルがあって、分けていただいて制作してみたり。また、夏の畑に咲いていた菊の花が、秋以降には枯れてドライフラワーになったので、それを使ってリースを作りました。なので、自分から素材を探しに行くことも続けていますが、身近にあるものをどうやったら活かせるか考える楽しみが広がりました。
– 作品制作をする上でも、移住したことで良い変化があったんですね。
真鍋さん: はい。正直なお話をすると収入は減ってしまったのですが、その代わりに、新しい気付きだったり、価値観に変化があって、それはとても嬉しく感じていることです。
– ゆくゆくは、塩山の方でもアトリエを開くことも考えられているのでしょうか?
真鍋さん: ぜひ、そうしたいと思っています。今の家は賃貸なのですが、落ち着いたら中古物件を購入したいと考えています。そこで、またアトリエや工房を開いたり、遠くからいらしてくださった方々が、お茶を飲んでくつろげるようなスペースを作ったり、手仕事の場を作りたいと思っています。
– これからが、楽しみですね!東京で、アトリエ教室に通われていた生徒さんからは、何か反応はありましたか?
真鍋さん: 最初お話しした時は、とてもびっくりされましたね。ただ、家族のことも理解してくれましたし、私がゆくゆくは自然の近くで制作をしたいという思いがあることも知っていらしてたので、みなさん、応援してくれて。引っ越しの手伝いに来てくださる方もたくさんいらっしゃったんです。とても助けていただいて、こちらにも遊びに来たいと、おっしゃってくださる方もいらっしゃるので、お呼びできるように早く整えたいと思っています。
– コロナ禍以降、オンラインで色々なことができるようにはなりましたが、オフラインのコミュニティーには強い絆がありますよね。
真鍋さん: そう思います。もちろん私が場を作る側ではあるんですけど、色々な世代の方でバックグラウンドも違う方々が、みなさんさんで知恵を出し合って、こうしたらもっと面白くなるとか、こうするとうまくいくということを共有する場だったので、それがすごく良かったと思います。私自身もたくさん学ばせてもらいました。
地方移住のハードルは下がりつつある
– 塩山の暮らしには、すぐに馴染めましたか?
真鍋さん: すぐにではありませんでしたが、少しずつ馴染んでいくことができているという感覚があります。地元の方々や学校の先生、子どもたちに助けられています。実は、移住する前に、こちらの暮らしに馴染めるか、コミュニティーに入れるのか、ということがとても不安でした。特に、塩山は移住者が多い地域ではないので、私たちが調べた限り口コミも見つからず…。また、「東京から来た」と言うと、警戒されてしまうんじゃないかとか心配がありました。ただ、そんな心配はする必要は全くありませんでした。皆さん、温かく受け入れてくれて。先にお話しした通り、子供たち(特に上の二人)は東京の学校が上手く行かなかったので、正直とても心配でした。けれど、山梨の中学校は全校生徒が40名弱、小学校は100名程度の小さな学校です。だから、全学年がみんな友達なんですよね。学校の先生たちもとても親身になってくれて、教室に入りづらい時は、「じゃあ、別室で2人でやろう」というように誘ってくれるような感じで授業をしてくれたり。東京の学校が悪かったわけではないと思うし、そこにはそこの良さがあったのですが、うちの子どもたちの場合は、こちらに来てからはとても学校を楽しんでいます。
– 移住先が結局合わずに東京に戻るという話も、珍しくないですからね。
真鍋さん: そうですね。ただ、最初は、「馴染めなかったら、東京に戻って、もう一度考え直せばいい」という気持ちもありました。不安もありながら、やってみるだけやってみよう、と。ただ、最近の地元の方々は、移住に対しても結構オープンなのではないかと思います。私たちよりも上の世代の方で、都心から移住してきたという方が地域にいるのですが、昔はやはり色々あったというお話をされていました。
– 移住の先輩がいらっしゃるのも心強いですね。
真鍋さん: そうですね。移住当初に知り合うことができて、「もし何かあっても気にしなくていいから」と気にかけてくださって、心強かったです。ネットの普及で価値観の多様化が進むなか、地域によって差はあるものの、移住者を迎えるための取り組みや受け入れの土壌が整いつつあるところも増えているように感じています。かと言って、地域付き合いを無理にやって下さいという押し付けもないですし。私は、好んで地域の集まりに参加しているのですが、それにいたしても皆さんオープンに受け入れてくださっています。今の時代だったらどこの場所も少なからずそういう流れになってるんじゃないかなと思います。
– 時代的な流れとしても、移住に対してのハードルが下がっているのではないかということですね。これまで大変だったことはありましたか?
真鍋さん: 一番大変だったのは、お金の管理ですね。リアルな話になってしまうのですが、東京の家の残りのローン返済と山梨の家の家賃をダブルで払っていた時期があったんです。山梨に住み始めたのは8月からですが「今借りないとなくなってしまう」という理由で、6月から空家賃を支払っていたんです。東京の家が売却できるまでは、本当に苦しかったです。それに、引っ越し代や、家具の処分、新しいものを購入するなどで、この8ヶ月くらいは支出が伸びてしまって…。
– それは、かなり大きいですね。山梨の家の契約をする時に「これでいいのかな?」と迷うことはありませんでしたか?
真鍋さん: お金のことを考えると、気持ちがブルーになることもありましたが、「もうこれ以外の選択肢は私たちにはない」と思い…。それに、これから絶対いいことが待ってる、という直感もありました。家族みんなで、そうやって励まし合いながら暮らしていたのですが、それは間違いではなかった思います。
>>後編へつづく
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