母の手を振りほどいて|抜毛症のボディポジティブモデル Genaさん連載 #私が祈る場所
痛みも苦しみも怒りも…言葉にならないような記憶や感情を、繊細かつ丁寧に綴る。それはまるで音楽のように、痛みと傷に寄り添う。抜毛症のボディポジティブモデルとして活動するGenaさんによるコラム連載。
小さなころはお母さん子だった。
明るくて、公園でも家でもたくさん遊んでくれて、おいしい料理もお菓子も作ってくれるお母さんのことが大好きだった。
よく図書館に連れて行ってくれて、毎晩寝る前に絵本を読んでもらうのが楽しみだった。
小学校低学年だったある日、突然母の手にたくさんの血管がはっきりと浮き出ていることに気が付いて戦慄したことを覚えてる。どこか悪いのではないか。お母さん、すぐに死んでしまうのではないか。言霊を信じていたので口には出さないまま、じっと母を観察していた。数カ月経っても血管は相変わらずだったけれど母は元気なままだったので、ああよかったと安心して、母を失う不安は頭の中から拭い去された。
母の日や誕生日には喜ばせたくて、できる限りのお手伝いや贈り物をした。好みにうるさい人だったので、今から思い返すとあまり喜んでいなかったかもしれない。
妹はお父さん子で、家族で二手に別れるときは母と私、父と妹の組み合わせが多かった。
父も母と同じぐらいよく遊んでくれて、たくさんの場所に連れて行ってくれ、デジカメすら普及していない時代にたくさん写真やビデオを撮りのこしてくれた。
母と私、父と妹。自然にこの組み合わせになることを受け入れていたけれど、大人になってから振り返るとある種の疑念が生まれた。母は第一子で同性の私を囲い込んでいたのではないか、ということ。
子供のころの親の記憶はどうしたって母のほうが鮮烈で、結びつきも強かった。特に私と母の間は。
私はしばらくミニ〇〇(母の名)ちゃんと親戚の間で呼ばれていたらしい。片時も離れず一緒にいたからなのか、私が彼女に似ていたからなのかはわからない。
もう少し大きくなってからは同時に同じ鼻歌を歌いだしたり、同じものが食べたくなったり。
母の表情一つで、呼びかける声のトーンで、彼女が何を言い出そうとしているのかがはっきりとわかるぐらいだった。
お手伝いがもっとできるようになると、母の手足として頼られるようになった。母が手が回らない家事や不在のときのあれこれを、彼女のこだわり通りに遂行すること。
家族の中で、母の複雑な買い物の要求にきちんと応えられるのは私だけだった。
家事の頼りにされるだけではなくて、娘にはこうあってほしいという母からの大きな期待も感じるようになっていった。
母には自分と娘を同一視しているような、自分の延長としてとらえているような、そんなところがあった。幼い私にはそれは心地よく、絶対の安心感に包まれていた。それなしには生きていけないと感じるぐらいに。
小学校で起きたことは何でも話すし、だから母は私の友達を全員知っていた。私たちの間には隠し立てはひとつもなかった。
母と私の間には境界線なんてかけらも見当たらないような、どこまでも密な関係性だった。
二人でひとつの世界に入っていて、境界線はその外にだけあるような感覚。
14歳の夏、学校での人間関係が音を立てて軋んでいた時期に、母のことが大好き、と思っていたことを覚えている。たぶん、あれが私が母に対して純粋な思いを抱いていた最後の時期だったと思う。
その密な関係は、私が成長するにつれて変質していった。
母はいつでも私たち姉妹の体調、教育、食事には大いに介入して世話を焼いてくれた。そのおかげで健康で、成績も悪くなかった。
でもなにかを一緒に楽しんだりすることはほとんどなくなったし、女性になっていく娘たちの成長を祝ったり見守ったりという態度は母からは感じられなかった。
子どもが小さいうちだけが可愛くて、大きくなったら可愛くなくなるのかな。義務感で食事と社会的体裁だけ与えられているような、見捨てられたような気持ちもしていた。ひどくなるばかりだった抜毛症について医療機関に連れていかれたことはなかった。
私は母との境界線の外に出かかっていて、彼女は私を留めておくために生活の世話を焼いていたのだと思う。
思春期以降、私は家の中にいるときが一番さみしかった。
もう母と私は一心同体ではなかった。少なくとも私からしては。
大人になりかかった私の体形についての言及も苦痛だった。
自身が大柄のために「苦労」してきたこともあり、母は折に触れては「あなたは私に似て足が大きいから」「男の子より背が高いから」苦労するわよ、「上背がある分、太ると巨大に見える」だから気をつけなさいと言い聞かせた。
彼女なりの忠告は、私にとっての呪いだった。
私が自分の感性を持って成長したとき、男の子より背が高いことを気まずく思うのか、痩せていなくてはと強迫観念を持つのか、そもそも恋愛をしたいのかどうか、男女の一般的な恋愛のスタンダードに自分を適応させたいと思うのか。
それは私が大人になる過程で経験するかもしれないことで、事前に母からそういう考えを引き継ぎたくはなかった。
あるいはそれは忠告なんかではなくて、あなたも同じ苦労をしなさい、という親子の絆を深める儀式だったのかもしれない。
全部、今だから思う話。
母の期待はいつでもはっきりと読み取れる。
女の子らしく、おしとやかで、きれいな字を書き、バランスの取れたおいしい手料理を作り、整理整頓が得意で、いつでも人に気を配ること、成績優秀で、見た目も美しく。
そして誰からも愛されるような人物でいること。私の名前の由来はここから来ている。
生まれたときから母の期待に応えることが自分の使命だった。
頑張って達成したものも、自分の性質とあまりにも違うために応えられなかった期待もある。
必死の努力の末に難関の大学に合格したとき、母はそれは喜んでくれた。親戚中に自慢もしていたから本当だと思う。その興奮がひと段落したとき、母が冗談めかして言った。
「次はミスユニバースね!」と。そのときのショックをまだ覚えている。私はまだ不十分なのか。
やっと高いハードルを乗り越えられたと安心していたら、次なるハードルが設けられた絶望感。しかも気まぐれにまったく別のベクトルだったことも気に障った。
私は母の期待に応えるのを止めることにした。でもそれは一筋縄ではいかなかった。
どんな時でもはっきり認識できる母の期待に意識的に抗うとき、強烈な罪悪感を感じた。
例えばコンビニで食事を買うとき、売り場で長時間の葛藤があった。うちのルールはコンビニで買っていいのはおにぎりだけだった。菓子パンが食べたい、けど買ってもいいのだろうか。そんな小さなことでも母の刷り込みがあって、一人の時でもそれは常に機能していた。
そんなものを無視しようとしても耐え難くて、私は結局母の元へ戻ってくる。
悔しくて地団太を踏みながら。どこかではホッとしながら。
学生時代はこのように過ぎた。
私は母とのこの関係が、自分の抜毛症に無関係だとは到底思えない。
没頭するまで夢中で髪を抜いてはっと我に返ったとき、一番に押し寄せてくるのもまた、底なしに深い罪悪感だったから。
その罪悪感は誰に対するものだったのだろう。何百万回も味わった感情だけど、その実態を掴み切れずにいる。
自分自身に対してはすでに別の自己嫌悪と強烈な自責の念を覚えていたから、やはり母に対してなのかもしれない。
お母さん、大事に育ててくれたのに髪の毛を抜いてごめんなさい。自分の手で醜くしてごめんなさい。
そうであるならば、髪を抜くことは母への復讐でもあるだろうと解釈もできる。
あくまで客観的に見た場合の解釈で、渦中ではなにも考えることなく本能的にそうしていただけだったのだけど。
抜毛行為そのものを止めるより、自己嫌悪と自責を手放すほうがよほど難しかった。
でもその二つをとうとう手放すと、症状はどんどん軽くなっていった。
ようやく私が母の重力圏から出たのは社会人2年目のときだった。
実家を出ると決めたとき、両親ともに反対した。
安全面を心配する父を「友だちと同居するから」となんとか説き伏せ、引っ越しを手伝ってもらった。最後まで反対していた母は、それでも引っ越し先まで来て手伝ってくれるつもりだったようだった。でも長く使った子ども部屋から持ち出す荷物を車に積んだら、もう母の乗るスペースはなかった。
結局母を乗せずに、父の運転する車で実家を出発した。
窓越しに、取り残された母の呆けたような顔が見えた。手を振りもせず、悲しみがにじむ顔を見送った。
罪悪感が胸を焼いた。あれが育ててくれた母の手を振り切った瞬間だった。
母への蓄積された怒りがなかったらあんなことはできなかった。
それでも気分は落ち込み、それをごまかすために明るい曲をかけた。ユーミンの「ルージュの伝言」。わくわくするような旅立ちを無理やり装って。
私には罪悪感を上回る怒りがあったから、あんな残酷なことができたんだと思う。
母をとても傷つけてしまったが、離れたことに後悔はしていない。
長年感じてきた罪悪感の正体は、母に逆らうことに対してというより、私が母との境界線の外へ出ようとしたとき、母から分離しようとしたときに感じていたものだったのだと今ならこんな風に言葉にできる。
そもそも生まれたときから別の境界線が設定されるべきだったのだ。若く愛情深い母親と、可愛い赤ちゃんにはそれがわからなかっただけ。
初めて境界線の外に出たとき、自分の人生が始まったと感じる。
広くて深い世界のなかで、自由も責任もどちらも同じだけ、自分の好きなだけ選べる。
私は自由になる。母の手を振りほどいて。
私は自分の人生を生きる。タトゥーを身体に刻んで。
私は幸せになる。自分で選んだ家族を持って。
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