「お金がない」「孤独」の二重の不安から、50代で見つけた自分らしい生き方の選択肢


マンガ家でイラストレーターのなとみみわさん。49歳で離婚をし、最初は一人の生活を楽しんでいたものの、寂しさや不安に直面しました。特にお金の問題は不安が大きく、生活を見直していったとのこと。『老後のお金が不安です! おひとり様マンガ家の50代からの資金計画』(扶桑社)では不安と向き合い、解消していく過程が描かれています。本書に関連して、なとみさんにお話を伺いました。
漠然とした不安が大きかった
——老後の不安について、お金と孤独がツートップと描かれていましたが、お金に関する不安はどんなことが一番大きかったのでしょうか?
49歳で離婚して、ひとりだし、これで貧乏だとすごくつらいんじゃないかなと思って。ご飯が食べられなくて、ひとりぼっちで、どこにも行けないしという感じだったら……と自分の中での想像だけで、勝手に不安が膨らんでいました。なんとなくのイメージから発生した漠然とした不安が一番大きかったですね。
——寂しさを埋めるために飲み会に行っていたり、使わないものを通販で買っていたりしたことが描かれていました。お金の不安に向き合ってからすぐに見直すことができたのでしょうか?
雑誌のお仕事で、断捨離をしたのですが、私の中では大きな分岐点になりました。離婚してからひとりで暮らすようになったのですが、それ以前は自分は明るくて、ひとりでも全然大丈夫で、なんでもできるタイプだと思っていたんです。でもそれは家族の中にいたからそういう自分でいたのだと後から気づきました。本当の自分は、寂しがり屋で、人やものに依存していたこともわかって。
ひとりになってから「なんでこんなに寂しいのだろう」と思ったときに、最初は家族がいなくなったからだと思ったんです。だからぽっかり空いた穴に、慌てて飲み会とか買い物とかいろいろ詰め込んでみたんですけど、全然寂しさが変わらなくて。
原因がわからなくて悩んでいたときに、やましたひでこさんの断捨離と出会いました。やましたさんは「断捨離は物を捨てるだけの時間ではなくて、自分との向き合いが大切です」とおっしゃっていました。
断捨離をしながら、なんで寂しいんだろう?なんで人に依存しているんだろう?と自分の中で整理して解決していって。そうしたら、自分にとって本当に大切なものがわかってきて、寂しさを埋めるための飲み会や買い物はお金がもったいないから、本当に自分のためになることにお金を使いたいと思えるようになりました。
——飲み会の回数は自然と減らせたということでしょうか?
そうですね。行きたい飲み会と行かなくてもいい飲み会と自分で線引きをして選べるようになったので、減らそうと思ったわけではないですね。
支出を見直す過程で、実家のある石川県へ引っ越すことにしたのですが、地元の能登からは離れたところに住み始めて、近くには友達がいないので、最初は飲み会の機会は全くなかったです。
今は少し飲み友達ができたり、仕事先の人と飲みに行ったりもしますが、月に1回あるかないかくらいなので、自分にとってはちょうどいいです。

お金の不安が減っていった過程
——お金の不安が減っていった過程についてお伺いできればと思います。
まず今の生活における月の支出を見直しました。それから老後の生活でもらえるお金と出ていくお金について考えたのですが……実は私、年金を払っていなかったんです。会社員として働いた後、自営業者と結婚して主婦になってから払っていなくて。若い頃は「そのくらい自分で貯めてやる!」と思っていたのですが、年齢を重ねるうちにだんだんと不安になっていきました。
でもファイナンシャルプランナーの先生に見てもらって、年金事務所にも相談して過去の分も遡って支払ったら、無事年金をもらえる人になったことも不安が減った要因として大きかったです。
——本書では、個人年金とあわせて月10万円ほどはもらえる試算が出たと描かれていましたね。
当時は東京の世田谷区に住んでいたので、10万円だと家賃だけでも足りなくて。でもお話を伺っていると、安く住める方法もあると知って、ミニマルな生活という選択肢が増えたことで気持ちに余裕ができました。
あとは、貯める力も意識してiDeCoやNISAもやるようになりました。今はキッチンカーを始めたり、実家のリフォームをしたりと、支出が増えてしまったんですけどね。でも老後の生活における収支のイメージを明確にすることは大事だと思います。足りないにしても、どのくらい足りないのか、なぜ足りないのかがわかれば対処もとれますし。
石川県へ引っ越して
——東京から石川へ引っ越して、どんな変化を感じていますか?
良かったことは、東京にいた頃は、友達のことなど細かいことを考えて生きてきたのですが、今は物理的な距離が離れたので、いつも気にする感じではなくなったんです。
今は自分の仕事とか、これからやってみたいこととか、自分のことを考える時間が多くなって。寂しいときもあるのですが、すごく心は楽になって、自分のために時間を使っていると実感できる時間が多くなりました。
——ご実家のリフォームもされたのですよね。
実家は能登で、東京から引っ越して最初に住んだのは金沢近郊でした。実家のリフォームが終わって、今は2拠点で生活を始めています。石川には息子と一緒に引っ越してきたのですが、能登には私と犬だけが暮らすことにし、2拠点生活をします。
能登では稲作をしたいのですが、週に1回金沢に来なければいけない仕事があるのと、キッチンカーも息子と一緒に金沢でやっているので、半分ずつくらいで行き来する予定です。
能登と金沢は結構距離があるのですが、稲作をやるためには能登へ行く必要があったのと、2024年の地震でも実家は奇跡的に無事でしたし、地元のお祭りとか地元の知ってる人たちのことを考えたら能登で暮らしたいなって思って。
——稲作を始めようと思ったきっかけはどんなことでしょうか?
以前からお米を作ることに興味はあったのですが、ご高齢のご夫婦が引退すると伺って、49年も無農薬で続けてこられたものが途絶えてしまうのはもったいない、という話を地域の人たちとしていたんです。それで、少しでもうちで手伝えることがあれば……ということで、やってみることになりました。
いずれは自分で作ったお米で、自分のキッチンカーでおにぎりなどを売れたら最高だと思うのですが、まだそこまでできるかもわからなくて、ひとまずやってみようという段階です。
——石川県に引っ越してから、家のリフォームやキッチンカーなど「一度の支出が大きいけれども、継続性のあるもの」にお金を使われていることが印象的だったのですが、ご自身の中で心境の変化はあったのでしょうか?
人生でやり残したことがないように生きたいと考えるようになったからですかね。キッチンカーは、元々は全国を回れる移動スナックみたいなものをやれたらいいなと思っていたんです。
でも大地震もあったので、キッチンカーがあったら、能登のためにもなるかなということも考えて買うことにしました。もし上手く使えなくても、キッチンカーなら売却することもできますし。キッチンカーは息子と一緒にやっているのですが、息子はやり続けたいと言ってるので、もし私ができなくなっても、息子に譲ることにしたら、無駄にはならなさそうです。
実家のリフォーム費用はこれからローンを支払っていきます。60歳で返済が終わる計算で、60歳で初めて家賃やローンなしの人生が始まるので、それをすごく楽しみにしています。
※後編に続きます。

【プロフィール】
なとみみわ
マンガ家、イラストレーター。雑誌・広告・Webでマンガやイラストを中心に幅広く制作。
2024年の能登半島地震を受け、被災地での心温まるエピソードを北國新聞「のとはやさしや」にて連載中。
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