「女性のふたり暮らし」はなぜ憧れられ、蔑視されるのか

 「女性のふたり暮らし」はなぜ憧れられ、蔑視されるのか
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女性のふたり暮らしに憧れる女性は多い。しかし、女性がふたりで生きていこうとすると、しばしば差別的な対応をされ、蔑視されることがある。 なぜ、女性のふたり暮らしは、憧れられ、時に蔑まれるのだろうか? そのセオリーを読み解いていく。

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なぜ「女性のふたり暮らし」は憧れられるのか

近年、女性のふたり暮らしエッセイが出版され、脚光を浴びることが増えている。

その中の一冊、『阿佐ヶ谷姉妹ののほほん ふたり暮らし』(幻冬社/2018年7月発行)は、ベストセラーとなり、ドラマ化もされた。阿佐ヶ谷姉妹は40代(当時)の人気お笑い芸人コンビ。本書では、ふたりが時に助け合い、時にちょっとした喧嘩をしながら日常生活を営んでいる様子が描かれている。ふたり暮らし開始当初は同じ部屋に住んでいたが、のちに、同じマンションの隣同士に住むことを決める。柔軟に形を変えながら、背伸びせず心地よい生活を作っている姿が心地よい一冊だ。

また、ふたりでマンションを買い、友達と共に生活している女性もいる。『女ふたり、暮らしています。』(清水知佐子訳/CEメディアハウス/2021年2月発行)は、キム・ハナとファン・ソヌというソウルに住む女性ふたりの共同生活エッセイだ。30代半ばに知り合ったふたりは意気投合し、40歳を前に共同名義のマンションを購入し、ローンを返済しながら暮らしている。ふたりは恋人でも、ルームメイトでもなく、生きていくためのパートナーとしてお互いを選んだのだ。女性ふたりプラス4匹の猫と楽しそうに暮らしいる様は、「人生のパートナーは(異性の)恋愛相手であるべき」という社会的圧力を跳ね除けるパワーがあった。

キム・ハナとファン・ソヌは絶対に結婚しないと決めているわけではない。自分が心地よい関係を選んだ結果、自然とこのような形になったのだが、国の制度上、女性ふたりでパートナーになることは想定されていない。ファン・ソヌは本書の締めくくりで、以下のように語っている。

“生涯を約束し、結婚というしっかりした形で互いを縛る決断を下すのはもちろん美しいことだ。でも、たとえそうでなくても、ひとりの人生のある時期に互いの面倒を見て支え合える関係性があるとしたら、それはまた十分に温かいことではないか。個人が喜んで誰かの福祉になるためには、法と制度の助けが必要だ。以前とは違う多様な形の家族が、より強く結ばれ、もっと健康になれば、その集合体である社会の幸福度も高まるだろう。”

ところで、なぜこういった「女性ふたり暮らし」は女性から支持されるのだろうか? 一つには、異性間の結婚や同棲に発生しがちな、女性が男性をケアする構図から外れることができるからだろう。韓国でも日本でも、共働き家庭であっても、女性が男性の何倍もの時間、家事や育児を担っている。つまり、女性が男性のケアを引き受けている構図だ。

女性同士の場合、性別役割分業から解き放たれ、お互いがお互いをケアすることができるケースが多い。それゆえ、家庭内のケア役割(家事・育児・介護・メンタルケアなど)を一手に引き受けている女性ほど、「老後は女性同士で暮らしたい」と女性ふたり暮らしに憧れるのだろう。

なぜ「女性のふたり暮らし」は蔑視されるのか

一方、これまで女性のふたり暮らしは、軽んじられ、歪められ、無視されてきたという歴史もある。

『ふたり暮らしの「女性」史』(伊藤春奈・著/講談社/2025年3月発売)では、明治時代から昭和にかけて、女性をパートナーとして選び、ふたり暮らしをしてきた人たちの存在を語り直している。

本書で取り上げられている女性ふたり暮らしの実践者は、オリンピックのメダリストやパイロット、起業家、日本初の女性騎手など、世間からの注目度の高い女性ばかりだ。彼女たちは、女性ふたり暮らしを行なったことで、メディアや業界内から詮索され、嘲笑され、ゴシップのネタになった。「本当は男性と結婚して子供が欲しかったに違いない」という偏見に基づいて、男性記者が彼女たちの関係を描写することも珍しくなかったという。

なぜ女性のふたり暮らしが差別的な扱いをされていたのか。それは、異性愛中心主義と家父長制が絶対の社会だったからだ。男性と番(つがい)になって、男性や子供をケアすることこそが女性の幸せだと考えられている時代において、「女ふたりで幸せに暮らしている」なんてことはあってはならないことだったのだろう。

そして、こういった考え方の残滓(ざんし)は、令和の今でもあちこちに見られる。

女性ふたりで暮らしている人に対し、「結婚相手が見つからなかったのか」という視線を向ける人もいる。また、女性同士が一緒に住むことを拒否する不動産会社も珍しくない。

2024年には、福岡市の不動産会社が扱う賃貸物件の募集条件に「ペット相談(犬)不可」「楽器相談不可」などの項目とともに「LGBT不可」または「LGBT可」と記された物件資料を提示していたことがニュースになった。現代でも、女性同士あるいは男性同士がパートナーとして生きていくことに対し、偏見や嫌悪感を抱いている人が一定数存在しているのは、残念ながら事実だ。(※1)

嫌悪を抱かれていない場合でも、「女性のふたり暮らしは一時的」「女の友情は脆い」と軽視するケースも散見される。異性間の結婚であっても、3組に1組が離婚するわけだが、なぜかそちらの方が強固なつながりだと思われていることから、異性愛中心主義の根強さが感じられる。

「女性のふたり暮らし」が憧れられることもなく、蔑視されることもない日を目指して

現状、女性のふたり暮らしに対する偏見や蔑視は存在している。しかし同時に、世間の目がどうであろうとも、女性が女性をパートナーに選ぶケースは多々ある。一時的にでも、長期間でも、女性のふたり暮らしを選ぶ人もいるし、女性ふたりでマンション購入を行う人もいる。

彼女たちの関係性は様々だ。恋人の場合も、友だちの場合もあれば、名づけられない関係性の場合もある。友だちというわけではないけれど、一緒に生活していくパートナーとしては最適だと判断した場合もあるだろう。

そんな彼女たちは、今、自分たちの生活を自分の言葉で語り始めている。この先、そうした事例が増えていけば、女性ふたり暮らしは何も特別なことではなく当たり前のことになっていくだろう。

※1 朝日新聞 ペット不可と同列に「LGBT不可」 賃貸物件の表記に当事者は絶句

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