なぜ生活保護受給者と専業主婦はバッシングの対象になりやすいのか

 なぜ生活保護受給者と専業主婦はバッシングの対象になりやすいのか
Adobe Stock

先日、炊き出しボランティア(※1)に参加してきた。ホームレス状態にある人や、生活に困窮した人たちを対象に無料の食料品を配るというものだ。 炊き出しは路上生活者の方向けに行われるもの、というイメージがあった。しかし、ボランティアを主催しているNPO法人の方にお話を伺ったところ、3割程度は家があるけれど生活に困っている人だという。 その内情に迫りながら、社会的バッシングになりやすい対象者の現状を考えてみたいと思う。

広告

路上生活者は、なぜ生活保護を受給しないのか

週末の夕方、池袋の公園で行われた炊き出しには580人もの人が集まった。一番多いのは年配の男性だ。女性の姿は少なく、1割程度。そもそも女性の路上生活者は1割程度しかいないらしい。女性にとって路上は危険すぎるため、路上生活を続けるのは困難だという。驚いたのは、赤ちゃんを連れた夫婦が参加していたこと。「日本は貧しい国になった」とよく言われる昨今だが、もはや「一億中流社会」と言われていた1970年代とは、全く違う国になっているのだと実感させられた出来事だった。

路上生活者の中には、病気や障害で働けない人も少なくない。実に、路上生活者の3割程度に知的な障害があり、4割程度がうつ病やアルコール中毒などの精神疾患を抱えているという調査もある。

家がなければ携帯電話の契約や就職も困難だ。そのため、路上生活から脱して生活を立て直すためには、生活保護を受給する必要がある。しかし現状、生活保護は路上生活者のセーフティネットとして機能していない場合が多い。

生活保護の受給を福祉事務所で相談した際、職員から水際作戦(生活保護を受給する要件を満たしているにも関わらず、難癖をつけて申請させないよう誘導する作戦)が長く行われてきた過去もある。近年はマシになっているようだが、いまだにNPO職員など第三者が同行しないと、雑な対応をされる場合もあるという。

また、受給できたとしてもその後の生活が良くなるとも限らない。生活保護を受給した後は民間が運営する無料定額宿泊所に泊まることを勧められる場合が多いが、無料定額宿泊所は、無料と名がついているが無料ではない。実は、家賃や食費などを生活保護費から差し引かれるため、結果的に、生活保護受給者の手元には現金1万円にも満たない金しか残らないケースも多い。さらには、無料定額宿泊所はほとんどの場合、相部屋だ。お金もなく、居心地の悪い共同生活を強いられるくらいなら路上の方がマシだったと考え、路上に戻る人も少なくないのだ。

加えて、「どれだけ生活が困窮していようと生活保護は受けたくない」と考える人もいる。なぜなら、「生活保護=恥」と捉える人も少なくないのだ。

生活保護受給者と専業主婦の共通点=賃労働をしていない

「自助」を求める自民党政権によって、2013年から2015年の間には、生活保護費が大幅に変更された。これにより、基準額が最大10%まで減額されることになったことは記憶に新しい。

この時期、一部の議員やメディアによって生活保護バッシングは加速していった。ネットでは「生活保護は甘え」と考える人たちによって、「ナマポ」という生活保護受給者を揶揄するスラングも生まれた。

文筆家の栗田隆子氏は『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社/2025年2月発行)で、「賃労働せずに生きている」存在に対してバッシングが向かいがちだとし、生活保護受給者に対するバッシングは専業主婦バッシングに通じるものがある、と指摘している。

“パラサイトシングルやフリーター、あるいは生活保護の受給者や障害者手帳を取得する人間に対して、「怠けている」とか「ズルい」、「本人の生活の問題」というバッシングがメディアやインターネットで登場するのを目の当たりにしてきた。また私自身の話ではないが専業主婦バッシング(厚生年金の第3号被保険者バッシング)にもどこか共通点を覚え、これらの罵倒が個人の問題でないこともはっきりわかってきた。社会構造に問題があるのに、あくまで個人の選択、自己責任、能力の問題とされる。かつ「賃労働せずに生きている」存在であれば、バッシングがより激しくなる。しかし、そうした罵倒が遺産や投資などで儲けられる階層(いわば「資本家」と呼ばれる非労働者)に向けられることはない。”

生活保護受給者と専業主婦には「(フルタイムで)賃労働していない」という共通点がある。
しかし、「賃労働していない」=「労働していない」わけではない。
 
専業主婦は家事労働や育児、あるいは介護といった労働を行なっている。しかし、これらは賃金が支払われないアンペイドワーク(無給労働)だ。社会的に、無給労働は賃労働より価値が低いとみなされがちで、「無給であれば労働ではない」と考える人も多い。育児は体を酷使し、睡眠も取れない重労働にもかかわらず「働いていない」と思われることが多いのが実情だ。実際、厚生労働省の文書(※2)では、育児や介護に従事している女性たちのことを「働いていない女性」と書いている。

「働いていない=ズルい、せこい、お前も働け!」の心理

ところでなぜ、「働いていない」とみなされる人は、バッシング対象になるのだろうか。
 
それは、「自分はこんなに辛い思いをして働いているのに、楽をしていてせこい!」という気持ちがあるからだろう。低賃金で長時間労働の仕事、パワハラやセクハラが常態化している仕事、軽んじられて見下される仕事……やりたくないのに、生活のため、家族のために嫌々職場に向かう人からすると、働かずに生活できている人が恨めしく思えるのも理解できる。ましてや、低賃金で生活保護費と変わらない収入しか得られていない場合、生活保護受給者を恨めしく思うのも無理からぬことだ。
 
しかし、本当におかしいのは、その過酷な労働環境ではないだろうか。フルタイムで長時間働いているにもかかわらず、生活保護費と大差ない給料しか出さない会社が問題だし、労働者を搾取している資本家が問題だ。給料が上がらないのに着々と税負担を増加させている国政にも問題がある。
 
生活保護バッシング、専業主婦バッシングに夢中になれば、そういった問題から目を背ける、というメリットがある。
 
2012年、自民党の片山さつき議員は、「生活保護を恥と思わないのが問題」などの発言で生活保護バッシングを主導してきた。働いていないとみなされる人をバッシングする流れは、大元の問題から目を背けさせるために、巧みに誘導されてきた、とも言えるだろう。

※1 NPO法人TENOHASHIの炊き出しボランティア

※2 女性の職業生活における活躍の推進に関する法律の施行について
 

広告

RELATED関連記事