「困窮しているのは努力が欠けているから」という誤解はなぜ?「自己責任」では解決できない貧困問題

 「困窮しているのは努力が欠けているから」という誤解はなぜ?「自己責任」では解決できない貧困問題
『助け合いたい』 (C)さいきまこ 秋田書店 2017

さいきまこさん作の漫画『陽のあたる家』『神様の背中』『助け合いたい』(全て秋田書店)は“普通”に暮らしていた人たちが、さまざまなことをきっかけに生活困窮になる過程が描かれる作品。貧困に関する情報が世間に徐々に広がりつつある一方で「努力が足りない」「自己責任」など、誤解も依然として多いです。貧困への誤ったイメージや自己責任論をなくしていくためのヒントや、家族で助け合うことで乗り越えようとする「日本型福祉」の落とし穴など、さいきさんに伺いました。

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限られた席しかなければ努力しても必ず零れ落ちる人がいる

——『助け合いたい』では「困窮しているのは人として何か欠けているからだと世間は思ってる」という言及がありました。でも3作通じて“普通”に生活してきた人たちが病気等少しレールから外れただけで生活が苦しくなる様子が描かれていました。貧困のイメージと現実のギャップ、つまり「自己責任」では解決できないことがあることに気づくためにはどうすればいいと思いますか。

実際に困る経験をしないと見えてこない部分はあるとは思います。格差が大きくなっているので、知らないまま生活できる人は本当に知らないんです。三代続けて経済的に豊かな暮らしをしていれば見えないでしょうし、少し言っただけでは届かないかもしれません。でも経済的に豊かな層は教育機会に恵まれている傾向がありますので、知識を得ることで考えが変わるチャンスはあると思います。

——「実態を知らない」といいますと、メディアで貧困問題が特集されると「○○すればいい」など的外れなアドバイスが行われがちです。

『神様の背中』では養護教諭の大川先生の次のようなセリフを描きました。

<「痛めつけられた経験のない健康な精神状態で「大変な状況」をシミュレーションしたら……「立ち直れる」って思えますよ でもね虐待しない親とか努力できる精神状態とか自分が持っているものをほかの誰もが持っているわけじゃないんです>

私自身、人間の想像力には限界があって、自分が経験したことがないことまで想像が及ぶわけではないと貧困問題を通じて思い知らされてきました。当事者でないとわからないことが多いのに「自分だったらこうする」とアドバイスしてしまうのは暴力的ですよね。「本人でなければわからない/見えていないことがある」ということは、常に自覚していたいと思います。

さえきまこ
『神様の背中』 (C)さいきまこ 秋田書店 2015

「困窮という苦しみは分け合うと倍加する」

——『助け合いたい』での家族で助け合うことで、経済的に苦しい状況が広がっていく様子は読んでいて怖くなりました。

貧困問題について「家族の愛があれば乗り越えられる」と主張する方がいるのですが、困窮については家族で助け合おうとするとドミノ倒し状態になる、ということをシミュレーションとして描きました。

『助け合いたい』で描いた家族は、関係が良好で互いに大切に思っているからこそ、共倒れ寸前まで家族で助け合おうとしてしまいました。でも日本社会の怖いところは、そういった話も美談として受け取られてしまうことです。

作中でも描いたとおり、家族間の扶養義務で強い義務が求められるのは夫婦間と中学生以下の子どもに対して。でも「親を養わなきゃいけないし、その“義務”から逃れてはいけない」と思い込んでいる人は少なくないです。

2012年にお笑い芸人の親御さんの生活保護受給が明らかになった際に、あれだけ芸人さんがバッシングされたのは、世間に「子どもが働いているのだから、親の経済的な面倒は、福祉などに頼らず子どもだけで見るべき」という考えが強いからですよね。だから福祉事務所にも相談していたし、仕送りもしていたのに、単にイメージで「不正」と広がっていったのだと思います。

家族が家族の面倒を見る「日本型福祉」に疑問を持たない人は多いですよね。社会で「当たり前」とされていますし、私も昔は当然だと思っていました。よく覚えているのが『光とともに…~自閉症児を抱えて~』(秋田書店)という漫画で、主人公の母親に、自閉症の子を育てている母親が「なんで障害のある子を生んだら、なんでもかんでも自分で面倒見なきゃいけないの」と泣いて訴えるシーンがあったのですが、当時はそれを読んで、恥ずかしながら「家族だから仕方ないよね」と思っていました。

——家族を支えようとする人の中には家族が好きというより、責任感から行動している人もいるようにも思います。

『神様の背中』の終盤に登場した精神疾患の母親と暮らす曽我くんは、今でいうヤングケアラーです。子どもの頃から周囲の大人に「お母さんの面倒は君が見るんだよ」と言われ続け、本人も内面化しています。3作を描くにあたって支援団体等の取材を行っていて、曽我くんにもモデルとなった子がいます。曽我くんのように「お金を稼げるようになったら、母親は自分が一生養わなければ」と思い込んでおり、支援団体の大人が「あなたは自分のために生きていいんだよ」と必死に止めました。それでも簡単には受け入れられなかったようです。

だからこそ、早めに支援者につながって「家族は(自分を犠牲にしてでも)助け合うべき」という洗脳から解いてあげることが重要です。「自分は家族のためだけに生きているわけじゃない、自分の人生を歩んでいい」という経験を早めにしないと、家族のために自分を犠牲にしなければいけないという考えが強まってしまいます。

——私自身、知的障がいのある弟のいるきょうだい児(ヤングケアラー)で「面倒を見なさい」の圧力を感じてきた一方で、「面倒を見なくていい」って言ってくれた人もいたとは思うんです。でも「親が死んだら弟の面倒は誰が見るの?」と子どもの頃から考えてました。だから具体的な情報がなければ、大人の言うことが信じられなかったと思います。

「あなたが背負うことはないよ」って言ってあげることまではできるけど「じゃあどうするの?」という問いには支援者でも答えられない人がいます。だから社会福祉士など、専門知識があって、利用できる福祉サービスや支援団体などについて具体的に答えられる人と繋がることも大事。「大丈夫、大人を頼っていいよ」と言うだけでは不十分で、現実的な知識を伝えてあげることも絶対に必要です。

さえきまこ
『助け合いたい』 (C)さいきまこ 秋田書店 2017

知識を持ち、背景を知ることで認識は変えられる

——依然として生活保護への風当たりの強さはありますが、良い変化を感じることはありますか。

2009年に国が貧困率を初めて算出して公表し、ようやく貧困が可視化され始めました。徐々に貧困問題がメディアでも取り上げられるようになり、社会的に貧困は可視化されてきていると思います。それは伝わる人に届いた結果だとも思います。

制度面でも改善が見られます。まず、生活保護の運用変更がありました。私が描いていた頃は高校生のアルバイトが収入認定され、その分、保護費が減らされてしまう運用でした。それを知らずに申告せず、不正受給扱いになってしまったケースも多かったと支援者からは聞いています。でも高校生がバイトしたお金を家庭の生活費として換算するのってどうなの?と思いますよね。今は大学進学のためなど目的が明確で、かつ事前に福祉事務所に届け出をすることで貯金が可能になりました。

また扶養照会(生活保護を申請した際に、親やきょうだいに金銭援助できないか問い合わせされる仕組み)も、DVや虐待を受けていたり、一定期間音信不通だったりする場合にはしなくてもいいと厚生労働省が通知を出しました。親族への扶養照会を恐れて生活保護申請を躊躇う人もいますから、大きな一歩です。現実にはその通りには運用されていない自治体もあるようですが……。扶養照会をしたところで金銭援助に繋がっているのは1.5%のみ(2016年度厚生労働省調査)。そもそも金銭援助をお願いできる関係性なら、生活保護を申請する前に相談しているはずです。

これらは大きな進歩だと感じていますが、決して黙ってて自然と改善されたのではなく、社会運動で働きかけ続けてきてようやく変わりました。でもまだ課題は山積みです。たとえば、大学生が生活保護利用できないことや、車がないと生活できないような地域でも資産と判断され、受給が決定したら処分を求められることなど。この辺りは生活保護問題対策全国会議などが主体となって、制度の改善要求をしています。

——今後、生活保護への偏見や誤解をなくしていくためにどのようなことが必要でしょうか。

一連の作品を描いていたときは、的外れなバッシングの原因は、背景が知られていないのが原因だと思っていて「知れば変わる」とずっと言い続けていました。貧困が生まれるのは社会構造の問題であって、生活保護を受給するのには何かしら背景がある。それを知識として持つことで偏見をなくせると思っていたんです。

でもここ数年はその論法が通じない人も一定数いると思い知らされてもいます。それでも2012年のバッシング以降「生活保護は権利です」と唱え続けてきて、声が届いて考えが変わった人もいるので、伝わる人に伝え続けていくしかないと。前編でお話ししたように私自身もかつては生活保護への偏見がありましたし、家族で助け合うことは当然だと思っていました。支援活動をしている人には「以前はバリバリの自己責任論者だった」と話している人もいます。かつては叩く側の考えだった人でも変わることがあるんです。

未だに「なんとなく」のネガティブイメージも強いですよね。日弁連が権利性が明確となった生活保障法の制定を提案し、その中で「生活保護」の名称変更についても言及されています。「生活保障制度」と言われると全然イメージが違いますよね。イメージを変えていけることも諦めたくないです。

今ある問題が「ないことにされる」のが怖いので、たとえば水際対策(生活保護の「申請」をさせてもらえずに追い返されること)に抗議をしたなら、そのことを少しでも発信するなど、不公正なことには声をあげ続けていく必要があると思います。

※前編では、なぜ生活保護は「恥」とされるのか?「生活保護への偏見と誤解」についてお話いただいています。

【プロフィール】
さいきまこ

漫画家。著書に貧困問題について描いた『陽のあたる家~生活保護に支えられて』『神様の背中~貧困の中の子どもたち』『助け合いたい~老後破綻の親、過労死ラインの子』(全て秋田書店)、教師による生徒への性加害を描いた『言えないことをしたのは誰?』(講談社)がある。

『助け合いたい』 (C)さいきまこ 秋田書店 2017
『助け合いたい』 (C)さいきまこ 秋田書店 2017
『神様の背中』 (C)さいきまこ 秋田書店 2015
『神様の背中』 (C)さいきまこ 秋田書店 2015


 

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雪代すみれ

雪代すみれ

フリーライター。企画・取材・執筆をしています。関心のあるジャンルは、ジェンダー/フェミニズム/女性のキャリアなど。趣味はヘルシオホットクックでの自炊。



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『助け合いたい』 (C)さいきまこ 秋田書店 2017
『神様の背中』 (C)さいきまこ 秋田書店 2015