幸せになるために必要なこと|幸せを導くヨガの教え
あなたが手に入れたいと思っているものは何ですか?それは自分をずっと幸せにしてくれるものでしょうか?幸せになるために本当に必要なこととは何でしょうか?
「手に入るもの」は私を幸せにしてくれるものではない
わたしたちは日常の中で、いろいろなものを追い求めています。物理的なものも、権利や名誉など目に見えないものも含まれます。それらを手に入れることで幸せになれると思っているから、追い求めてしまうのです。手に入る何かで一時は満たされた感じがあるかもしれません。でもそれはずっと自分を満たしてくれるものではないのです。満たされなくなったら、また追い求め…の繰り返し。永遠にそれをし続けなければなりません。さらに、手に入るものはいつか手放さなければなりません。その恐怖とも向き合わなければならないのです。手に入れたものを手放さないようにすることに執着すれば、苦しみを生み出してしまうことにもなります。
お金を例にしてみましょう。お金があれば幸せになれる、そう思ってお金を求めます。でも、一体いくらあれば自分を幸せにできるでしょうか?お金を手に入れれば入れるほど、欲が出てもっと欲しいと思うものです。さらに、大金があると誰かに取られないか、手放さないようにしなければと恐怖と執着が生まれます。それは果たして幸せといえるでしょうか?
本当の幸せって?
ではどうすればそこから抜け出し、幸せを手に入れることができるのでしょう?それはただひとつ、「自分はすでに幸せである、足りている」ということに気づくことです。何かを求めるということは何かが足りないと思っていること。そうではなく、もう自分は足りていて、求める必要などないと理解することです。それがヨガのいう“本当の幸せ”です。本当の幸せはいつでも私を満たしてくれます。何かを追い求める必要などないのです。
このように、永遠に自分を満たしてくれるものとそうでないものを見極めることを「ヴィヴェーカ」といいます。この見極めの目をもって目の前の物事を見てみましょう。自分でこれがなければいけないと勝手に決めた思い込みによって、何かをずっと追い求めていたことに気づくでしょう。
ヴィヴェーカが起きると、限定的な幸せを追い求め続けることから抜け出すことができ、今まで気付いていなかった「本当の幸せ」すでに足りている自分に気づくことができるのです。
お金の例でいえば、お金自体は永遠に自分を満足させてくれるものではない、手に入れてもまた追い求め、いつまでも満たされることはなく、恐怖や執着が生み出されてしまうと気づくことです。それに気づくことができれば、不必要にお金を追い求めることはなくなり、最低限のお金だけで満足できるでしょう。お金があることで得られると思っていた幸せを失わないようにするための執着の苦しみからも解放されるはずです。
見極めの目をもって客観的に物事を見よう
永遠に自分を満たしてくれるものとそうでないものを見極めるヴィヴェーカをもって、客観的に物事を判断し、選択することはヨガのライフスタイルの実践でもあります。この判断と選択を「ヴァイラーギャ」といいます。物事の客観的な働きと、それ以外に上乗せされた価値をしっかり理解し、本当に必要かどうかを判断することです。私たちは世の中の物事を“ありのまま”に見ていないのです。そこに自分たちで決めた価値を勝手にくっつけて、そのあいまいな価値を手に入れるために必要以上に執着してしまうのです。さらに時にそれはあいまいであるために、手に入らないこともあります。それがまた苦しみを生み出してしまうこともあるのです。
お金の例でみてみましょう。お金は生きるために物を買うためには必要であるけれど、お金があることが幸せではありません。ここでいうお金があることによる“幸せ”は、勝手に自分たちが決めた上乗せの価値です。お金が生み出す限定的な幸せを得るために必要以上にお金を求めます。お金で幸せになるというのは自分が勝手に思い込んでいるものですから、そうならない場合もあります。お金が手に入っても幸せにはならなかったら、思い通りにならなかったことに苦しみを感じるでしょう。自分の思い込みによって忙しく一喜一憂するのです。
ヴァイラーギャで客観的に選択するとは、本来のお金の「ものを買うことができる」という客観的な働きと、自分が勝手に思い込んでいた「幸せになれる」という上乗せの価値を分けて考え、目的に必要な分だけのお金を手に入れるということです。思い込みの幸せのためにお金を求めるのではなく、生きるために必要なものを買うためにお金を求めるということです。ここで注意してほしいのは、お金を求めることすべてが悪いといっているのではないことです。客観的で明確な目的があり、その手段としてお金が必要だったら求めるべきものなのです。お金やお金を求めること自体が悪いわけではないのです。勘違いした幸せを手に入れるために何かを必要以上に求めたり、執着することが苦しみを生み出します。そうではなく、何かを求める目的を明確に理解し、必要以上に追い求めずに客観的に選択をすることがヴァイラーギャです。
ヴィヴェーカ(見極めの目)をもってヴァイラーギャ(客観的な判断による選択)していくことで、ヨガの価値観が徐々に自分のものになっていきます。そのように日常を過ごしていくことで永遠に自分を満たしてくれる本当の幸せ、つまり自分は何かを追い求める必要などなく、すでに満たされているということに少しずつ気づくことができるのです。
ヨガのライフスタイルの実践とその価値観が身につくと日常が違った視点で見えてきます。自分が執着していたものが自然と手放され、心地よさを味わえるでしょう。日常にヨガを生かしてみませんか?
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