ヌードヨガ、怖がらないで!不安を解消し、新しい癒しを体験しよう
マットの上で完全な裸になり、自分と他者との間に、何の物理的障壁も、防具も、身を護るものも持たず、自らを護るものを手放し、服を脱いだとき、新しい目覚めがそこにあるはず。オーストラリアでヌードヨガのインストラクターが語る「ヌードヨガ」の魅力を紹介。「自分を見られる」ということは信じられないくらい癒しの効果があるという果たしてその効果とは?
ヌードヨガってどんなもの?
ヌードヨガをするなんて、考えるだけで逃げ出してしまう人がほとんどだろう。ボディイメージや「完ぺき」な外見にとりつかれている社会ではそれも無理はない。
ワークショップ Women’s Nude Yoga のファシリテーターとして、私はたくさんの恐れや言い訳、好奇心や抵抗に遭遇してきた。人々はすぐに最悪のことを思い浮かべる。「蛍光灯が煌々と照らすなか、下向きの犬のポーズをしたりして、他の人のお尻が目の前に来るんじゃない?」(すべて私自身がじっさいに耳にしたことがある内容)…これとは正反対のことを考えてもらいたいのだ。
思い描いてほしい。照明は落とされ、代わりにキャンドルが灯されている(私の開催するワークショップはすべて夕方以降に行われる)。部屋の空気は心地よく暖められている。香が焚かれ、穏やかな音楽が流れている。ヨガマットが円形状に並べられている(そう、横並びではないし、お尻が目の前に来たりもしない)。下向きの犬のポーズはやらない。ゆったりと体を根づかせる姿勢だけ。呼吸と瞑想によって深い内省を行う。
私がいちばん力を注いでいるのは、安全、かつ厳かな空間を創り出すこと。そこでは、自分を変えなくてもいいし、取りつくろわなくてもいい。そのときに自分があるがままでいればいい。そんな空間だ。
私のヌードヨガのワークショップに参加した女性は全員、その経験を楽しみ、好きになってくれただけでなく、ヌードヨガの体験をしたことで自分のことをもっと愛せる人間に、前より自信に満ちた人間になれたはずだ。私は自信を持って、そう言える。だから、ここで、よく耳にする不安について書いておきたい。
1.見られること
ほとんどの人は見られることに対して本能的な恐怖感を抱いている。女性は特にそうだ。身体的にであれ感情的にであれ、他者によってすっかり見られるということは、他者に身をさらすことであり、恐ろしいほど「ヴァルネラブル(守られておらず傷つきやすい様子)」に思える。家父長制の(男性が支配的な)この社会では、「ヴァルネラブル」であることは強さではなく弱さとして考えられており、そのため私たちは、自分がじっさいに何者であるかを見てとられないようにするために、何重にも身を守ることになる。ヌードヨガでは、こうして築き上げた壁(物理的・非物理的を問わず)が崩れ落ち、いかなる価値判断も加えられない裸の姿で目撃される。あるいは、それは人生で初めてのことになるかもしれない。見られることというのは信じられないくらい癒しの効果があり、ヌードヨガにおいて自分の「鎧」をはずしていくプロセスの一部分である。
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