ドラゴンタトゥーはプライドの証|90年代のファッションシーンを駆け抜けたLGBTQアイコンの、今

 ドラゴンタトゥーはプライドの証|90年代のファッションシーンを駆け抜けたLGBTQアイコンの、今
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横山正美
横山正美
2021-12-31

頭に入れたドラゴンのタトゥー、クールなアンドロジナスルック、そしてパワフルな存在感。スーパーモデルブームに沸く90年代のファッションシーンに突如出現し、センセーションを巻き起こしたモデル、イヴ・サルヴァイル。2020年に著書を出版したばかりの彼女が、当時を振り返って今思うこととは。

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「私がこの姿で活動していた1992年は、これがファッション界では特別なものではないと思っていましたし、これが私の本当の姿であり、自分が他の人と違うとも思っていませんでした。実際、ただの若い“パンク”の女の子にすぎなかった私が、あっと言う間に当時ファッション界の大物たちのためにランウェイを歩く存在になっていたのですから。でもあの当時からだいぶ経った今になって自分が他と違う存在だったのだと気づきました」

昨年10月、著書「Be Yourself and You’re Beautiful」の出版に際し、米メディア「Fashion Network」のインタビューで自身をこう振り返ったモデルのイヴ・サルヴァイル。

 

ドラゴンのタトゥーを入れたスキンヘッド、ジェンダーを感じさせないルックス、そして独特の存在感で、ヴェルサーチやジャン=ポール・ゴルチエ、カール・ラガーフェルドらのミューズとして90年代のファッション界に君臨し続けたイヴ。1973年、カナダ・ケベック州に生まれ育った彼女は、18歳に時にモデルとしてのキャリアをスタートした。

運命の扉を開いた“ドラゴンタトゥー”

90年代初頭には東京でもモデルとして活動していた彼女だったが、デビューからめぼしいキャリアに恵まれず、一度は辞めようと決心した。そして、その決意を故郷の父親に話そうと相談したところ、彼の思わぬ言葉が運命を変えたという。

「当時私は、モデルを辞める前に髪を剃ってしまおうと思っていました。そして父にその旨を伝えたのです。『モデルや辞める。でもその前に、髪も思い切って剃ってしまおうと思っている』と。そう父に話したら、意外にも『だったらそれだけじゃダメだ。スキンヘッドの女性アーティストにはすでにシネイド・オコナーがいる。二番煎じじゃなくて、さらに一歩踏み込んでみたらどうだ』と言ったのです。両親はアーティストなので、ただのスキンヘッドじゃつまらないと言ったのです(笑)。そこで自分なりに出した結論が、スキンヘッドにドラゴンのタトゥーを入れることでした。デザインも、800年前の中国の工芸品からインスパイアされたもので、オリジナルに寸分違わず忠実に再現したものでした」。

こうして父親のアドバイスを聞き入れ、東京での最後の滞在日に大胆なイメージチェンジを図ったイヴ。かくしてモデルを辞めようと、ドラゴンタトゥーを入れたスキンヘッドでモントリオールに帰った直後、彼女の思惑に反し、いきなりブレイクのチャンスが訪れたのだ。

「私の写真を見たジャン=ポール・ゴルチエから、突然ショーに出演して欲しい、という依頼が舞い込んできたのです。あまりにも急だったのでとても驚きましたが、そのままショーに出演したところ、これを皮切りに次々と大きな仕事が舞い込んできたのです。もしあの時私が父のアドバイスを受け入れなかったら、今の私はなかった。そして、もしゴルチエに出会っていなければ、キャリアでの成功も当然あり得なかった。この世界への門戸を開き、成功へと導いてくれた父とゴルチエには多くの借りがあるし、計り知れないほどの尊敬の念を抱いています」。

こうして、ティエリー・ミュグレーらビッグメゾンのショーの常連となった彼女の人生は一変し、メディアの撮影等で世界中を飛び回る日々が続いた。さらに当時は空前のスーパーモデルブームの最中にあり、世界中で大きな注目を集めた彼女であったが、曰く「ファッションには全く無縁だった」ことから、モデル業を始めた当初は困惑の連続だったと語る。

「ショーでは毎回他の“スーパーモデル”たちと一緒でした。ある時、私の列のすぐ前にクラウディア・シファーがいました。でも、当時の私はファッションにとても疎くて、彼女が誰だかわからなかったのです。他のモデルたちは彼女が時のスーパーモデルであることを知っていたので、とても緊張していましたが…知らないのは私だけでした(笑)。クラウディアはとても綺麗で、後ろにいる私に振り返って名前を聞いてきました。だから私は「イヴです。あなたは?」と聞き返したのですが、聞こえなかったのか前を向いたまま返答がありませんでした。すると他のモデルたちが肘打ちしてきて「あのクラウディア・シファーよ!同じモデルなら知ってて当然!」と(笑)それ以降は、彼女を含めスーパーモデルたちとは家族のようなおつきあいをするようになりました」。

その後の彼女の活動はモデル業にとどまらず、ロバート・アルトマン監督映画『プレタポルテ』やリュック・ベッソン監督『フィフス・エレメント』に女優として出演したり、DJ Evalicious名義でDJとして活動するなど、そのマルチな才能を大きく開花させた。そんな彼女は、当時を振り返ってこう語る。

「もしあの時モデルを辞めていたら、その後の展開はなかった。そして私は気づいたのです。限界を決めるのは、いつも自分の心の在り方なのだと」。

LGBTQアイコンとして思うこと

そんなイヴは同性愛者であることをいち早くカミングアウトしたスーパーモデルの一人でもある。2007年にアメリカのテレビ出演時には、高校時代はボーイフレンドがいたこと、そして19歳の時にビューティコンテストで知り合った女性と関係を持って以後、恋愛対象が女性となったことを明かしている。そんなイヴの確固たるセクシュアル・アイデンティティの大きな支えとなったのが、アーティストである両親の存在だ。

「21歳の時、私は二人にレズビアンであることをカミングアウトしました。同時私にはガールフレンドがいて、彼女のことも二人はかなり前から知っていましたが、その時まで“彼女”だと言えずにいたのです。そしてついにカミングアウトした時、私は大泣きしてしまいました。そんな私に二人はとても困惑していましたが、父はこう言ってくれたのです。『ああ、知ってるよ。自分が幸せならなんでもいいよ。それでいいじゃないか』と。二人は、私の人生のインスピレーションそのものです」。

一方で、スーパーモデルとして最盛期を迎えた中でのカミングアウトに対し、イヴはこう続ける。

「私はモデルとしてキャリアを重ねる中で、プライベートなことを公表したいと思ったことはないし、それが重要だとも思いませんでした。私のプライベートライフはあくまでも私のものです。それに、公表したからといって、自分のセクシュアリティがキャリアに影響を及ぼすとも考えてなかった。もし、私のキャリアに何か影響を及ぼすものがあるとすれば、それは、自分に課した“制限”や、自分で作った“壁”だけ。最悪なのは人に言われた言葉ではなく、自分の内から自分に向ける言葉です。最悪の事態が外から来ることは私にはあり得ません」。

そんな彼女のデビュー当時と比べると、ダイバーシティやインクルージョンの促進が加速し、多様な個性や美に門戸が開かれているように見えるファッション界。しかし、現代のLGBTQアイコンである彼女の目には、これらの動きはまだまだ表層的なものに見えるという。

「私はファッション界でキャリアを積みましたが、その後ファッション界から少し離れてしまったので、一連の変化を正しく捉えることができません。でも、自分のインスタグラムのフィードを見る限り、以前より様々な体型のモデルや、ハイヒールで闊歩する男性の姿が増えていたり、かなりオープンになっていることは伺えます。だからと言ってこれが日常化しているのかというと、そうではないでしょう。結局のところ、これらはただの“フィード”にすぎないのですから」と、鋭い指摘も。

様々なトレンドが生まれては消えゆくファッション界で、90年代にセンセーショナルなデビューを果たし、第一線を駆け抜けたイヴ。そんな彼女は、自身の成功の秘訣をこう振り返った。

「私は、一部の社会常識にとらわれることなく、常に自分の心に集中して、心が望むことを実践してきました。そうやってあの激動の時代にキャリアを築いてきたからこそ、今私はこうして充実した生活を送っているのだと思いますし、やってきたことに何一つ無駄なことはなかったと思っています。ですが、これは誰の人生においても重要なこと。自分に集中すれば、自ずと道は開けるのです」。

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横山正美

横山正美

ビューティエディター/ライター/翻訳。「流行通信」の美容編集を経てフリーに。外資系化粧品会社の翻訳を手がける傍ら、「VOGUE JAPAN」等でビューティー記事や海外セレブリティの社会問題への取り組みに関するインタビュー記事等を執筆中。



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