人生に「意味」なんて必要なのだろうか? ー『クレイモア』で考えた人生の痕跡 | 連載 Vol.29
社会起業家・前川裕奈さんのオタクな一面が詰まった連載。漫画から、社会を生きぬくための大事なヒントを見つけられることもある。大好きな漫画やアニメを通して「社会課題」を考えると、世の中はどう見える? (※連載当初は主にルッキズム問題を紐解いていたが、vol.11以降は他の社会課題にもアプローチ。)
「自分の人生の意味ってなんだろう」ー昔はよくそんなことを考えてた。病んでる時は特に陥りがちなこの問い、答えが簡単に出ないから厄介だ。
歴史に名を残す偉人、ノーベル賞を受賞する研究者、何十年も歌い継がれる名曲を生み出すアーティスト。そうした人たちは、その人生を終えたあとも、作品や功績を通じて誰かの記憶に残り続ける。そんなことができるのは一握りの人間かもしれないけど、私だって、いつか自分がこの世を去ったあと、何かしらの痕跡を残せたらいいな、なんて一丁前に思ったりもする。「生きた証」ってやつを...(笑)
けれど以前、尊敬する先輩に「生きる意味」みたいなものほど考えて意味のないものはないよと一撃されたことがあり、なんとなく腑に落ちて、そこからは考えることがなくなった。その上で先日、八木教広先生の漫画『CLAYMORE(クレイモア)』を再読して、なんかようやく数年越しに自分なりの答えが出せた気がした。というか、答えが出ないことに対する答えというか。
クレイモアは、妖魔を討伐する半人半妖の女性戦士たちの過酷な戦いを描いたダークファンタジー作品だ。とにかく壮絶で、容赦がない。美しく、強く、そして己の信念や目的のために戦い続ける女戦士達の姿に、気づけばすっかり夢中になっていた。女戦士物や金髪が好きな人は大体ハマると思う。
そんなつよつよ女性戦士たちの発するセリフなんて、好きなものだらけに決まってるのだが、ここで一つ紹介。主人公クレアに向けて、戦士イレーネが放った言葉だ。
「生きろクレア。お前がこうして生きてることこそがテレサが存在していたというたった一つの証なのだから」
ここで少し補足すると、かつてクレアを救い、彼女に愛情を教えてくれたテレサという女性戦士がいた。テレサは命を落とすが、クレアは彼女の血肉を受け継ぎ(文字通り、体内に入れ込む)、戦士となる。テレサの仇を討つことを生きる目的にしていたクレアに、イレーネが伝えたのは「復讐を果たせ」ではなく、「生きろ」という言葉だった。
当たり前のことかもしれないが、私はこの時、「誰かがこの世界からいなくなっても、その人が存在していたという事実まで消えるわけではないんだ」と思った。テレサを精一杯受け継いだクレアがいたように、私たちは常に先人たちの想いを取り込みながら生きてる。いや、必ずしも先人である必要すらなくて、人生の先輩である祖父母、両親、先輩、友人の想いだったりもする。
優しさや言葉、生き方、価値観。そうしたものが受け取った人の中に残り、時にはその後の人生を動かすこともある。テレサがクレアに残したものも、決してその血肉だけではなかったはずだ。
この場面を読んで、私はかつて社畜時代にお世話になった上司のことを思い出した。社会人としての右も左もわからない私を支え、時には厳しく、時には温かく導いてくれた人だったので、退職することになったとき、私はその上司にお礼がしたいと伝えた。その時の上司の言葉が今でも残っている。
「あなたが後輩に道を拓いてあげることが、私への恩返しになるよ」
それまで私にとって「恩返し」とは、何かをしてくれた相手に、同じように何かを返すことだった。けれど先輩は、受け取ったものを自分に返すのではなく、次の誰かに渡してほしいと言ったのだ。いわゆる「恩送り」という考え方で、当時の私にとっては衝撃的であった。先輩から受け取った優しさを、後輩に渡す。その後輩がまた別の誰かに渡していく。そうして自分の知らないところで、誰かの言葉や行動が少しずつ広がっていく。
私たちが今生きている社会も、そうした無数の「恩送り」の積み重ねでできている。今の社会が生き心地が良いとは思わないけれど、例えば、かつて女性が教育を受けたり、社会で働いたり、自分の人生を自由に選んだりすることが、今よりずっと難しかった時代がある。そのなかで声を上げ、行動し、少しずつ道を切り拓いてきた人たちがいた。私はその人たち全員の名前を知っているわけではない。直接感謝を伝えることもできない。それでも、彼女たちが生き、挑戦してきたことの恩恵を、今の私は確かに受け取っている。
そう思うと、もしかしたら私も今、少し似たようなことができてるのかもしれない。kelluna.、講演、そして執筆などを通して、より生きやすい社会を整えて次世代にハンドオーバーしたいと思っている。自分では忘れてしまったような小さな出来事が、誰かの人生の一部として残り続けていることだってある。私たちは、みーんな、知らないうちに、誰かの人生の一部になっているのかもしれない。こうやって一生懸命自分の人生を生きてることで、何かしら「意味」を残せてるのかもしれない。
『クレイモア』には、こんな言葉も登場する。
「生きる理由などあとから見つければいい」
散々「生きた痕跡」みたいな話をしながらも、この言葉もとても好きだ。人生の意味や価値なんて、生きている最中にはわからないものなのかもしれない。むしろ、あとになって振り返ったときに、初めて気づくことの方が多いのではないだろうか。だからこそ、ただ自分の人生を一生懸命生きる、それに尽きるんだろうな。
私が生きているこの時間も、いつか誰かの中で、思いがけない形で続いていくのだとしたら、それはなかなか、素敵なことだという気もしてきた。そんなことを考えながら、今日も私は好き勝手に、自分の人生を生きている。誰かに何かが残るかどうかなんて、未来の誰かに聞いてみないとわからないし。長生きが目標なので、まだまだ死後の世界はだいぶ先だが、もし100年後にこのコラムが何らかの形で残ってたら嬉しいな〜。
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