「どうか人生を楽しんで」。生き延びることに必死だった私が、この言葉に込めたいこと|連載「本当は何を望んでるの?」

「どうか人生を楽しんで」。生き延びることに必死だった私が、この言葉に込めたいこと|連載「本当は何を望んでるの?」
Getty Images
uka
濠うか
2026-10-30

社会や他人の期待の中で、いつのまにか見失っていた「私」を、もう一度見つけにいく。誰かのためではなく、ただ、自分の心をやさしくやさしく、ほどいていく。この連載は、濠うかさんが「自分を取り戻す」ために歩んだ、小さくて深い、気づきの旅の記録。

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「どうか人生を楽しんで」

それが、どんなに愛のある言葉だったとしても、綺麗ごとに聞こえてしまうときがあることを私は知っている。だとしても、今日一日を、誰一人として「生き延びる」なんて気持ちで生きないでほしいと思うのは、私もまた「生き延びてきたから」なのだろうか。

去年の今頃のことだ。仕事をきっかけに出会い、近況や人生を気にかけながら関わってくれている方の都合で呼ばれた東京ステーションホテルのロビー。スーツ姿のビジネスマンや、エレガントな紳士淑女たちが商談や談笑をする卓の間で、私は一杯2,000円もする紅茶を啜っていた。

私はこの日、同じく10月生まれの友人と、奮発して予約したコースディナーの予定を控えていた。2ヶ月ほど前からプールしていたお金を握りしめ、黒いミニマルなワンピースに小さなレザーのバッグを合わせて、背筋を伸ばして紅茶を啜る私の姿は、はたから見たら大きな悩みもないように見えていたかもしれない。けれど内心、「これからどうやって生きていこう」と、そんなことだけが頭を巡っていた。

20代も後半になって思う。何かを手に入れるとき、なぜか同じタイミングで何かが離れていく。仕事も、人との関係も、これからの暮らしも、それぞれに形を変えながら一気に押し寄せてきて、その変化に追いつけずにいたのが、まさにあの頃だった。

絶対に泣かないと決めていたのに、とめどなく溢れてきてしまう大粒の涙を拭う。そうして、高くひろがった天井を見つめた私は、「なんとしてでも生き延びる」と、覚悟を決めた。

この連載が始まったのも、同じく1年前のことだ。あの頃、当てもないのにどこかを訪ねたり、これまで見えない場所にしまっていたものをわざわざ床一面に並べたりしていた。けれど、なんの意味があるかもわからないまま、どうにか救われようとして取った行動で、結局身動きが取れなくなってしまうという本末転倒ぶりに、自分のことながら呆れ果て、さらに身を縮こませるような毎日が続いていた。

身動きが取れないくせして、「あてもなく旅に出ることで、新たな人生を切り拓く」。これまで生きてきた物語が、私をまた引き戻そうとしてくる。よく知った物語の中に広がって見える道を前にして、また燃え上がる炎の力にからだが抗うことができず、次第にコントロールを失っていった。

これは誰かに燃やされているのか。自分自身の中に燃えたぎる炎なのか。わからなかったけれど、よく知った「成長物語」の展開の中にまだ自分がいることに悔しさが込み上げ、涙が溢れてくる。

自分を説明するために「物語」が欠かせなくなってしまったことにも疲れてしまっていた頃だった。ペシミズムが自分を生かしてきたことだって、十分理解していた。だけど、そんな苦しみの物語を背負って、またそこに閉じ込められていくことなんて、まったく望んでいなかった。

「おい、そろそろいい加減にしろよ。お前はコメディーの登場人物でもあるだろ」と、紛れもなく私自身の声がどこからか聞こえてくる。何もかも悲劇に回収してしまう物語なんて。すべての選択や失敗を、成長の布石にするような物語なんて。そんな物語なら、今すぐに終わってしまえと何度も思った。

願いが聞き届けられて物語が終わるとき、私まで巻き添えになって死ぬのなんて御免だとも。それでも、そんな私を連れ出してくれたのも、結局は「物語」だった。

2011年に公開された映画『八日目の蝉』(原作・角田光代)も、そのうちのひとつだ。父親の不倫相手に誘拐され、物心ついてからもしばらく、その誘拐犯を実の母親だと疑わずに生きていた壮絶な過去を持つ恵理菜は、ある日突然、目の前に現れた謎多きフリーライターの千草とともに、自分自身の数奇な過去をたずねる旅に出ていく。

恵理菜は不倫相手の子を身ごもっている。4歳で実の両親のもとに帰された後、地方で育ったことで訛っていた恵理菜の方言を聞くたび、恵理菜の母親は激しく取り乱した。すべての元凶である父親は、いつもどう接していいかわからないような顔を恵理菜に向けた。そして、自分の人生を狂わせたあの女。たったの4年間。しかし、確実に恵理菜の人生を変えてしまったあの女から受け取った、たしかに愛されていたような、かすかな記憶。

そんな大人たちの愛憎の間で揺さぶられながら生きてきた恵理菜は、少しずつ大きくなっていくお腹の中の我が子のことをどう受け止めたらいいのか、この先どうやって愛してあげたらいいかわからず、我が子への愛と同時に、その戸惑いもまた大きくしていく。

我が子にこんな自分の物語を引き継がせてしまうのではないかという恐れを感じながらも、旅の終わりに恵理菜は、まだ顔も見たことのないその子に言う。「可愛い服を着させて、美味しいものを食べさせて、『なんにも心配いらないよ』って言ってあげる」「世界で一番好きだって、何度も言うよ」と。

自分の大切な人が、「生きるためだけ」に、切実にならないでほしい。その人生の中に、可愛い服や、美味しいものがあってほしい。大変なことがあっても、「生きること」には何の心配もいらないと信じてほしい。「生きること」を、生きる最大の目的にしないでほしい。

誰かのことを心から思うとき、そんな気持ちは自然に湧き上がってくるものではないだろうか。私はこのシーンを見て、椅子に腰掛けていられないほどにわんわんと泣いた。これはまず、恵理菜が自分自身にかけなくてはいけない言葉なのだと思ったからだ。

悲劇的な過去を抱えながらも、懸命に何かを探し生きる恵理菜の物語を観ながら、恵理菜が破滅する結末を願う観客なんているのだろうか。他人の人生を眺めるとき、その人のかたわらに、たくさんの道や可能性があるように見えるものだ。しかし、自分自身の人生のこととなると、途端に四方八方が塞がっているように感じてしまう。

生きるために生きなくてよかった。どんなに、生きることに切実にならなくちゃと思うときでも。どんなに無駄に見えることでも、いくらでも時間を費やしたってよかった。おいしいものを食べたり、好きな服を着たりすることを、自分の価値と結びつけて誰かに見せなくてよかった。ただ、楽しんでよかった。

1年前のあの日。ホテルのロビーからディナーに向かった私は、薪火を囲み、季節の食材を味わうレストランのコースを楽しんだ。私の生まれた日を祝って、大きな暖炉の薪火が、ぱちぱちと火の粉を飛ばしている。鼻先を掠める煙が、昼間に流した大粒の涙を思い出させる。相反しているようにも思える感情が、一日の中に一気に押し寄せたあの日のことを、私はきっと忘れることはないと思う。

今を生き延びようとしている人に出会ったとき、私はどんな言葉をかけられるだろう。正直まだ戸惑う。けれど、何か言葉を求められたら、「見守っている」とだけ伝えたいと思う。

どんな過去があったとしても、それはもう変えられない。だとしても、そんな深刻なページの次のページに、くだらなくて、笑えるシーンがあっていい。だって人生は、ひとつの物語に収まるものじゃないのだから。

濠うか

東京の西・深大寺のレストラン「Maruta」にて。昼間ずいぶん泣いたので、目のまわりは見事に真っ黒。そんな顔で、私は季節の料理をおいしく食べていた。今の私でもう一度訪れたい場所。

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