狂気と愛情のはざまで考える、普通って何? 『僕のヒーローアカデミア』トガヒミコの優しい叫び | 連載 Vol.24

狂気と愛情のはざまで考える、普通って何? 『僕のヒーローアカデミア』トガヒミコの優しい叫び | 連載 Vol.24
ルッキズムひとり語り+α
前川裕奈
前川裕奈
2026-02-05

社会起業家・前川裕奈さんのオタクな一面が詰まった連載。漫画から、社会を生きぬくための大事なヒントを見つけられることもある。大好きな漫画やアニメを通して「社会課題」を考えると、世の中はどう見える? (※連載当初は主にルッキズム問題を紐解いていたが、vol.11以降は他の社会課題にもアプローチ。)

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昨年、アニメ『僕のヒーローアカデミア』(ヒロアカ)がついにファイナルシーズンを迎えた。堀越先生、本当にお疲れ様でした。そして今年は、ヒロアカ10周年という節目の年(拍手)。少し前に開催されたジャンプフェスタでは、ヒロアカの特設ステージに人が溢れていた。私もその一人として参加して、この作品と同じ時代を生きれてよかったなぁなんて思っていた。

そして先日、まだヒロアカ未履修だった友達と、私の解説付きで一緒に観る会を開催し、案の定ふたりで大号泣。友達は初見なのでまだしも、私はジャンプ本誌でも漫画でも展示会でもアニメでも何度も履修してきているのに。その度に涙している。特にストーリーでは“ヴィラン”として描かれるキャラクター、トガヒミコの言葉には自動的に涙がでる身体になってしまったようだ。ここで、改めて私がトガヒミコを大好きな理由を考えたい。

「トガヒミコ」は、他人の血を吸いたくなる「異常性」をもって生まれた女の子。好きな人に対してはなおさらだ。けれど、相手を傷つけたいわけじゃない。ただ「好きな人になりたい」「仲良くなりたい」という気持ちが、普通の形と違っただけ。彼女の言葉を借りるなら、「恋をしてキスしたくなる気持ちが、彼女にとっては血を吸うこと」なのだ。けれどその違いゆえに、「普通ではない」「気持ち悪い」「不気味」と否定され、家族にも先生にも受け入れられず、いじめられて居場所を失っていく。そして、ヴィラン連合という「自分を否定されない場所」にたどり着く、という設定。

最終章では、そんな彼女と、ヒロインである麗日お茶子との直接対決が描かれる。ネタバレは回避したいので、詳しくは書かないが、私はこの戦いが、ヒロアカ史上もっとも「優しく切ない戦い」だったと思っている。トガちゃんは、ただ「友達と遊びたかった」「恋バナがしたかった」「好きって言われたかった」「かわいいって言われたかった」。だけど社会からはことごとく「普通じゃない」とされてきた。作中で彼女が何度も繰り返す「私は普通に生きるのです」というセリフが切ないのは、「普通」の定義が誰かによって決められてしまう社会に、彼女自身が翻弄されているからだ。

そして、何より私の胸をえぐって離さなかったのが、対お茶子戦でのこのセリフ:

「構造が違う! お前が言う祝福も喜びも、私は何も感じない!
そっちの尺度で私をかわいそうな人間にするな!」

今カフェでこれを打ちながら、また涙が出てきた。実は、この対決でトガちゃんが今までの苦しみを吐露しているシーンを観ている時、私もまさに「トガちゃん、かわいそう...」と独り言を漏らしていた。その直後にこのセリフが出てきて、「あ、私も尺度を押しつけてた側かもしれない」と気づかされた。彼女はかわいそうなんかじゃない。世間が決めた「普通」に当てはまらない人間が、「かわいそう」なんてことはあってはならないのだ。「血を吸う」という行為は私たちの現実社会ではなかなかいないかもしれないが、「普通じゃないね」「変!」「考え方変わってるね」「浮いてるね」みたいなことを言われたり、思ってしまうことはまだまだそこら中で起きてることである。その「普通/普通じゃない」の基準って、誰が作ったのだろうか。

トガちゃんにとっては「血を吸いたい」という気持ちも「大好きだからこそ与えたい」という愛情表現も、すべて本物だった。彼女にとっては、それが「普通」だった。血を吸うという傷つけてしまう行為ではあるものの、彼女は誰かを故意的に傷つけたいと思うような子ではない。私たちが想像する普通の枠からはみ出していたとしても、それを「かわいそう」と切り捨てることは、その人の存在を否定することにつながってしまう。

トガちゃんが「生きにくい」と言う時、私は必ずうなずいてる。私は血を吸うという癖はないものの、幼少期から何かと「変わってるね」といわれることが多かった。帰国子女として日本に戻ってきた時、母国である日本語や日本文化に馴染めず「変なの」と言われたり。10代の頃も何かと人と違う選択をすることで「やっぱ変わってるよね」と言われたり。当時はぽっちゃりしていたから、周りと違う体型の自分を何度も責めたり。大学に入って選べるようになったメイクやファッションも、流行からは逸脱していたからか笑われることもあったり。その頃は摂食障害になり激痩せしていたが、今度はそれで周りとは“違う”と言われる自分がいた。他人と違うと言われたり、自分でも思ってしまうことは日常茶飯事だったし、「もっと”皆”みたいになりたい」と、人生で何度思ったことか。

 “違い”を“かわいそう”にしない、そんな眼差しがもっと社会にも当たり前にあればいいのに。たしかに「変わってるね」は、時に好意の裏返しでもあるし、褒め言葉の場合もある。けど、言われすぎると「じゃあ普通ってなに?」「変わってるってダメなの?」と自問自答したくなる。きっと、“違い”に悩んだことがある人なら、誰しもトガちゃんの言葉が心に刺さるんじゃないだろうか。

「世界一笑顔がカァイイ普通の女の子!」

トガちゃんが泣きながら笑顔で放ったこのセリフは、私にとって「自己肯定の最終形」だった。自分の“好き”をまっすぐに信じぬいた彼女の姿に、私は何度も救われてきた。『僕のヒーローアカデミア』は、単なる“ヒーローもの”じゃない。“違い”を抱えた人たちがどう生きるか、どんなふうに自分を肯定するかを、丁寧に描いてきた作品だ。ヒーローになるか、ヴィランになるのか、実は紙一重だったりする。誰とどのタイミングで出会ったか、どんな環境で育ったか、それだけで人生はこうも変わっていく。トガちゃんが、自分を受け入れてくれるお茶子のような存在に幼少期に出会えてたら、彼女の生きにくさは軽減したのかもしれない。この作品と、トガちゃんに出会えた私はとても幸せだし、これからも何度でも観返して、そのたびに泣きたいと思う。

違いは、かわいそうじゃない。違いは、その人の輪郭だ。その輪郭を“祝福”していける世界であれたらいいな、と思う。トガちゃんが世界一カァイイ笑顔で、笑い続けられるような世界が訪れますように。

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