『僕のヒーローアカデミア』から学べる理想とリアル | ルッキズムひとり語り #4
SNSや雑誌、WEB、TV、街の広告には「カワイイ」が溢れている。けど、その誰かが決めた「カワイイ」だけが本当に正義なの? セルフラブの大切さを発信する社会起業家・著者の前川裕奈さんがオタク的に綴る、ルッキズムでモヤっている人へのラブレター。
ここ数年、私の心に極上の潤いを与えてくれている漫画がある。こう書くと、まるでキュンキュンする恋愛物語と思われそうだが、週刊少年ジャンプで現在連載中の『僕のヒーローアカデミア』だ(以下「ヒロアカ」)。ヒロアカが大好きすぎて、グッズやイベントに課金してきた金額は...考えただけで泡吹きそう(推しに課金して、経済回そう!)。今回は、ヒロアカの「隠れた良さ」について紹介する。
わからない人もいると思うので、とても簡単に要約すると、社会を守る「ヒーロー」と、それを阻止する「ヴィラン」が戦う物語(不本意ながら100万分の1くらいに簡易化した説明)。ヒーローもヴィランもどんどん登場人物が増えていくので、現在40巻時点でキャラクター数はなんと余裕の100越え(これだけいれば、あなたもきっと推しが見つかる)!
ヒロアカのテーマについて語りたい気持ちは山々だが、そうするとルッキズムのコラムがただの趣味ブログになってしまうので、今回は本編の筋書きとは関係のない、この漫画の「隠れた良さ」について触れたい。
ヒロアカに出てくるキャラクターのデザインは、いわゆる「人間」らしい子もいれば「人間離れ」した子(「異形型」)もいる。たとえば、髪の毛ツンツンのザ・少年漫画っぽい男の子もいれば、肩より上だけ鳥の姿をした男の子や、ピンク色の肌の女の子もいる。人間と異形型の混在は、ヒーローとヴィランどちらにもだ。そして、重要なのは「この見た目の差については基本的には大きく触れられることはない(話の本筋ではない)」ということだ。
金髪の少年と、鳥男が一緒に机を並べて学ぶ光景を見て、私は「なんで人間と人外が同じ教室にいるんだろう」と最初の頃は思ってしまっていた。可愛らしいボブヘアの人間の女の子が、ピンク色の肌の子やツノの生えている子と仲良くしているのをみて、いつか説明があるのだろうかと思っていたが、特段そこの深い説明はないまま何巻も何巻も進んでいく。同じ教室で過ごすなかで、互いの見た目について言及することはなく、共にヒーローを目指す仲間として描かれているのだ。あくまでも本筋はヒーロとヴィランが戦う物語だ。
百聞は一見にしかず。つまりはこういうことだ!と、ここでキャラクターの容姿の多様性がわかる公式画像を貼りたいところだが、著作権の問題とか大人の事情があるので、私が課金しまくった食玩についてくるステッカーでどうぞ。
最近は今まで以上にエンタメにも色々な設定がある。美女と非人間の恋愛映画。学校一のモテ男が陰キャ女子と付き合う漫画。障がいのある方や同性愛にスポットライトをあてたドラマ。「かわいい」とされる子が「ブス」設定の子と友達になるアニメ。そして世間は、「多様性」とか「共生」とか流行語のようにいう。けどさ!実際にそれらを「強調」している時点で共生なんてぶっちゃけできちゃいないと思う。本当に目指したいのは、共生していることが「素晴らしいよね」と押し出している状態よりも、特に触れずとも「あたりまえ」になっている状態。それができてるヒロアカって神コンテンツ?
容姿の違いについて触れることなく、良い意味でそこに作品の焦点をあてることもなく、「イケメンとブス」「モテと非モテ」などの二元論で浮き彫りにするわけでもなく。ヒロアカの作者はそこまで考えて描いていないかもしれないが、これこそ一番理想的なルッキズムにとらわれていない状態なのでは?20年近く容姿コンプレックスと闘った私もヒロアカの世界線に存在したかった...けれど、次元の壁を越えるのはまだまだ難しそうだ。
作品のファンとしては、このまま賞賛しつづけたいところだが、残念ながら、こういった個性が共生できていると描き方と共に、「古典的ルッキズム」が同時に作中で共存してしまっているのもまた事実。驚くほど胸や体の曲線が必要以上に強調されている女性キャラも何人かいたり。女性「性」を主張するのもキャラクターデザインの遊び心の一つだと言われてしまえばそうなのかもしれないけど、男性「性」が露骨に表現されているキャラクターってあまり一般的に目にしないよね...。それに「モテそう」な容姿の人間の男の子が「イケメン!」と騒がれるシーンはやっぱりある。さらに、基本的に容姿の違いには言及しない(本筋をそこに置いていない)と言ったものの、実は人外の容姿をもつキャラクターが「気持ち悪い」と幼少期に虐められた結果、それが心の呪いになってしまう話が後半になってようやく特定のキャラクターで描かれる。そういう点でもヒロアカは「個性」が共生できている世界に、「古典的ルッキズム」もガチガチに混在している。理想とリアルのパラレルワールド。私たちが生きる三次元も、より良い世界に向かおうとしている今、この混在感がまた過渡期っぽくてリアルでもある。
頭だけが鳥だったり、全身が爬虫類肌というのは極端すぎて、現実世界には確かにいないかもしれない。けれど、ヒロアカで描かれている「個性」は、現実世界にももう少しわかりづらい形で存在している。たとえば、華奢・ぽっちゃり・一重・二重・色白・色黒・背が高い・低いといったところ。ヒロアカの世界と同じように個性を「あたりまえ」と捉える世界は、もっと生きやすいのでは。
過去のコラムでも書いたが、年代問わず、漫画やアニメが作り出す現実世界への影響って、良くも悪くもなかなか大きい。私のような限界オタクでなくても、二次元が文化の一つとなっている日本で暮らす以上、無意識的にも目に入るものは多く(二次元の広告を駅や車内で目にしない日の方が少ないのでは)、子どもたちがコンテンツに触れる頻度も高い。だからこそ、こうして二次元をはじめとしたエンタメコンテンツが少しずつ理想に近づくことで、現代を生きる我々が受け取れるメッセージはあるはず。
ルッキズムって、ヴィランそのものだし、一朝一夕で生きやすい世界にはならないかもしれない。あえて「異」に焦点をあてることで「多様性だぜ!」と叫ぶようなコンテンツも大事だけれど、そこに触れない、違いを「あたりまえ」としていけるようなコンテンツが増えれば良いよね。
最後に。もうすぐヒロアカのアニメ第7期が始まります。
AUTHOR
前川裕奈
慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にフィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、様々な社会課題について企業や学校などで講演を行う。趣味は漫画・アニメ・声優の朗読劇鑑賞。著書に『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。
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